2018年4月6日金曜日

診療には常にストーリーに基づく根拠がある

プロの囲碁棋士の井山裕太さんの本を読みました。井山さんが史上初7冠のタイトルを取られたことは本当に有名なことです。その中でこんなエピソードが書かれていました。井山さんは小学生の頃からすごく強く、全国で優勝していました。しかしそんな強い中でも自分の棋譜は覚えていなかったそうです。なぜなら手合(囲碁の対戦)の時に必然性を持たず、場当たり的に思いつきで打っていたため、自分の棋譜を覚えていなかったとのことでした。確かにプロ棋士で、自分の棋譜を覚えていないなんて話は聞いたことがありません。井山さん曰く、プロ棋士は記憶力がいいから棋譜を覚えているのではなく、全体のストーリーを把握した上で打っているから、自然に棋譜を覚えることになる。つまり囲碁を打つ上でストーリーは非常に重要であるということです。実はこれは精神科臨床でも同じです。一時的ではあれ(特に診療の直後なら)自分の診療の全体のストーリーは明確に記憶しています。逆に、ストーリーなく場当たり的に思いつきでやっている精神科医の診療や面接は見ていればわかります。事実かくいう僕も、ストーリーがない時は師匠の先生が僕の診療を見て、「先生、ここノープランだね」と瞬時に僕が何も次の手が思いつかずに何となく診療していることを見抜かれます。

実はこれは患者さんから全体の話を聞かずにいきなり、「子供が癇癪を起こすのですが、そんな時はどうしたらいいのですか?」と聞かれても、答えられないことに通じています。つまり、全体のストーリーを知らずに対応(囲碁でいう次の一手)を述べることができないことと同じです。棋士も精神科医も全体のストーリーが見えて、初めて根拠を持って対応がわかるのです。もし全体のストーリーを知らずに即答できてしまう精神科医がいるなら、それは神がかった技術の持ち主(この場合も根拠はあるはず)か、その患者さんに関する情報とは関係ない知識や経験で答えているか、当てずっぽうかのいずれかでしょう。つまり、囲碁も精神科臨床も全てストーリーに基づく必然的な根拠がある上に対応(次の一手)がわかるのです。今日は複雑な話になってしまいましたが、囲碁(将棋も含めて)と精神科臨床の共通点の大きさをあまりにも強く感じたため、熱くなって書いてしまいました(笑)。

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