2017年12月16日土曜日

療育は障害がある時だけにするものではない

子供の発達の問題に対して療育を受けるかということについて皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。一般的には何らかの障害がある時に療育は受けるものというイメージだと思います。僕の経験上、親御さんたちは発達障害、知的障害などの診断を受けた場合には療育というのは受けるものなのだと受け入れてくれる方が多い。一方で、はっきりとした障害と診断は受けていないが、何となく周囲よりも幼い、衝動性が強い、言葉が遅いなど少し違和感があるくらいだとあまり進んで医療機関や療育機関に行かないという方が多い気がします。子供のことで違和感を感じて、不安でありながらなかなか勇気が出ないという親御さんに出会います。医療機関や療育機関は何も障害を見つける場所ではありません。むしろ発達の悩みについて解消するための手段をお伝えする場です。少なくとも、当院で行う療育は健常の子供たちの育児において使う方法をより細かいステップにしてみたり、工夫したりしたものです。なので療育は何も障害のある子供に対してだけするものではありません。なので、医療機関や療育機関をあまり特別なものとして見ずにお子さんの違和感を感じたら、まずは近くの相談機関で尋ねてみてください。

2017年12月9日土曜日

2018年4月からの心理士を募集しております

今日は2つ目のブログです。スタッフの募集で恐縮です。いつも読んでくださっている方、申し訳ありません。

現在、当院では2018年4月からの心理士の先生を2名募集しております。

僕たちと一緒にちゃんと患者さんを治したいと思われる心理士の先生を募集しています。

条件は

1. 患者さんを治すことへの情熱を持っていること
2. 年齢は40歳までであること

以上です。

応募をご希望の方は履歴書、ご自身の治療でうまくいったと思うケース(Word形式,1600字まで、それ以上の指定はありません)を当院まで郵送してください。募集は採用が決まり次第で終了とします。

宋こどものこころ醫院 心理士応募係
〒540-0004 大阪市中央区玉造1-5-7


諸条件については面談の上、ご相談させていただきます。 ご不明な点についてはお電話にてお問い合わせください。よろしくお願いします。

まだ何もわかっていない

将棋の羽生善治さんが前人未到の永世七冠を達成されましたね。将棋の歴史の中でこれまで永世の称号を獲得した棋士はわずか10人で、しかも今あるタイトルの8つ中で永世の称号があるタイトルがあるのは7つなので、これで永世と称号がつくものは全て獲得したことになります。将棋の棋士になることさえすごいことなのに、永世七冠というこんなすごいことを達成されたわけです。羽生さんは対局終了後のインタビューで「本質的にはまだ将棋を何もわかっていない。これから強くなれるかわからないが、そういう姿勢で次に向かいたい」とおっしゃったそうです。僕は永世七冠よりもここまで上り詰めて、このような発言をされることの方が本当にすごいと思いました。一流の方々の言うことはいつも同じ気がします。みんな決して満足せず、「無知の知」を口にされる。自分が無知であることを知っている。だからこそ、そこまで上り詰めることができるし、そこからまだ上に行けるのでしょう。

2017年12月2日土曜日

相手に合わせることと自分を持たないこととは違う

すでに多くの医療関係者が言っている通り、僕も医療はサービスであると考えています。なので出来るだけ患者さんのニーズに合わせるように努めています。しかしこちらの基準を持たずに、すべての患者さんのニーズに合わせようとすると、組織としては崩壊します。当然ですが、こちらが到底答えられない、あるいは後々責任の取れない患者さんからの要求が時にあるためです。患者さんごとにそのニーズに合わせるかどうかの僕たちの基準を持つことが開業以来の課題でした。そして様々な細かな基準を作りました。それらの礎になったのが僕なりの考えが今回の表題です。

相手に合わせることと自分を持たないこととは違う

それぞれのニーズが異なるすべての患者さんに合わせようとすれば、その度に流される状態になり、どっちつかずなその組織は必ず淘汰されるでしょう。つまり医療機関としての目標や軸になる信念が必要だということです。それがあれば、様々なニーズが来ても、それに合わせるかどうかの判断ができるようになります。これは実は個人に置き換えても同じだと思います。友達や知人のニーズにすべて答えようとすれば個人としては存続ができなくなります。基本的に僕たちはみんな生きて行くことを目標にしているはずです。そのためには自分の軸になる考えを持たなくてはならない(ただそれに固執を続けたり、他を批判することとは違います)。でもそれはそんなに簡単に見つからないので、自分は何がしたいのか、どうなりたいのか、それを自問自答する作業を地道に続けることが最も大切であると考えています。

2017年11月25日土曜日

目の前の人がいい人になるか悪い人になるかは自分次第

人は他人(自分も含めて)に対して何らかの評価をします。その評価を下しているのは当然自分であり、その人をどういう視点で見ていくかも自分で決めている。目の前の人がどうなのかが大事なのではなく、それを決めている自分の心だと僕は考えています。つまり、目の前の人がいい人になるか悪い人になるかは自分の心次第だということです。目の前の人や事象に出会った時にそれをいかに少しでもプラスに転換できるか、この自分への鍛錬を日々行うことが最も大切。人のことを評価するならいい評価をしたいですよね。その方が自分が楽だし、気持ちがいいから。するとその人との関係も良くなる可能性が高まる。僕はこの考え方を師匠から学びました。これを皆さんにも知ってもらいたくて、今日はブログに書きました。


2017年11月18日土曜日

治療にも鮮度がある

食べ物にはその鮮度というものがあります。あるいは食べ物として一番美味しい時期というのがあります。その鮮度や時期は最も美味しく食べるために大切なことです。時期を逃せば美味しくなくなるか、食べられなくなることもあるでしょう。精神科の治療も同じです。患者さんやそのご家族が「これはほんとに困ったな」と思って、電話で診察の予約をされる時が最も治療として鮮度が高い、つまり治療に最も適切な時期です。「これをなんとかしたい!」と強く思っている患者さんやご家族のこの気持ちが最も治療に役立ち、そのモチベーションだけで半分治ると言っても過言ではありません。なので当院ではあまりにも遠い先の診察の予約はお受けしないようにお願いしています。鮮度が高い時に治療を受けていただき、治療を成功させたいからです。

2017年11月11日土曜日

強い人は強がらない

先日のプロフェッショナルは感じることが多かったので、前回に引き続き山中慎介選手の言葉です。「昔みたいに(普段)強がらなくなりました。今は試合以外で強いところを出す必要がないので」

これは山中選手は本当に強いので、試合以外で外にいるときに強がる必要がないのでしょう。学びにしたい言葉です。

2017年11月3日金曜日

ぎりぎりの闘いだけが自分を成長させてくれる

先日のプロフェッショナルはプロボクサーの山中慎介選手。チャンピオンの防衛戦では必ず自分が勝てるかどうかわからない強い選手と試合をしてきたそうです。

「勝って当たり前の選手と試合をしてたら、試合までに成長できない。これまでにどちらが勝つかわからないという相手と組まれた時に成長できた。その危機感が自分を成長させてきた。ぎりぎりの闘いだけが自分を成長させてくれる」

山中選手の言葉です。こんな言葉を聞くと、僕はいつも自分と重ねます。僕にとっての試合は日々の臨床です(今は前ほど試合で闘うような闘争心で臨床はしていませんが)。「こんな時どうしたらいいんだろう」と頭の中でのたうち回りながら、それまでの自分の全てを投入してぎりぎりの治療をしている時は正直すごく苦しいですが、そこでのひらめき、使った技術、得た感覚は絶対に忘れないので自分の本当の実力になり、間違いなく僕自身を成長させてくれました。今もそれを日々実感しています。山中選手と自分を重ねるなんておこがましいことですが、やはりどんな仕事も同じだなと感じました。

2017年10月28日土曜日

この子のおかげで家族が一つになれました

この子のおかげで家族が一つになれました

障害を持ったお子さんをお持ちの親御さんからよくお聴きする言葉です。この言葉は障害がわかって早々ということは少ないですが、年月を経るとこのような言葉を口にされる親御さんが多いように思います。

2017年10月21日土曜日

人の心に土足で入らないように

人は知らない間に他の人の心に土足で入ってしまうことがあります。精神科医も同じです。患者さんを傷つけたいなんて思う精神科医はいないでしょう。でも知らない間に患者さんの心に土足で入っている時がある。僕自身、「あっ、やってしまった」という経験がたくさんあります。でもそれは患者さんにとってはやってしまったでは許されない。この確率をいかに下げていくか。そのためには言うまでもなく、患者さんの考えや思いをしっかりと正確に知った上で接することが何よりも大事なのでしょう。でもこれはこの字面にあるほど簡単なことではありません。多くの人はそんなに自分の気持ちをストレートに投げてはくれません。それを患者さんの様子や言葉の使い方からこちら側が敏感に感じ取っていく。この敏感さは精神科医にとって本当に大切な技術だと思います。

2017年10月14日土曜日

人の交わりにも季節がある

最近学者の南方熊楠と中国の革命家の孫文は、孫文が中国で革命を成功させた暁には北京に熊楠のために植物園を立ててあげると約束するくらいの熱い友情を交わした親友であったそうです。

しかし後年二人は二度と会わずにそれぞれの人生を終えています。孫文の死を知った熊楠が残した言葉があるそうです。

人の交わりにも季節がある

まさに人間関係を的確に表現した至言ではないかと思います。

2017年10月6日金曜日

誰も人を傷つけたいわけではない

心ない言葉を直接言われたり、誰かを通して聞いたりすることがあります。それをそのまま受けて、傷つくことがあります。でもそれってその人が自分のことを傷つけることだけが目的でわざわざ傷つく言葉を言うのでしょうか。その裏に、その言葉を言った人の悲しみ、寂しさ、辛さなんかがある気がします。スピリチュアリストの江原啓之がこんなことを言っていました。

「幸せな人は意地悪しない」

何かしらみんな悲しみを持っているから、誰かのせいにしたり、誰かを攻撃したくなる。誰も人を傷つけたいわけではない。そんな気がします。

2017年9月30日土曜日

医者が処方するのは薬ではなく希望

少しでも気持ちがしんどくなると、過食嘔吐が止めれない子。幻聴が頭から離れなくて1日中動けない子。強迫の症状のせいで汚いことが気になって手を洗うことを1日中止めれず手がボロボロになってしまう子。みんなそれぞれの症状があまりにも過酷で辛くて、そこから抜け出せないでいる。そんな時に親はそんな我が子を連れて医療機関を受診する。親子でその症状のせいで憔悴しきった様子。これが児童精神科の臨床の現場です。医者として僕ができることは薬の処方や素晴らしい金言や説法ではありません。医者が処方するのはその人たちがもしかしたら治るかもしれないという希望です。そういう意味では薬も治るかもしれないという希望の役割としての薬を処方するわけです。何の効果もないプラセボの薬でもうつ病の6割の人が改善したというデータがあります。これはもちろんプラセボとして出された小麦粉が効果があったわけではありません。この薬(プラセボ)を飲めば治るかもしれないという希望がそうさせたはずです。あらゆる治療において一番大切なのは希望であると僕は考えています。

2017年9月23日土曜日

その悩みにはその人が一番一生懸命

患者さんやご家族はなんらかの悩みや問題、症状を抱えて精神科を訪れます。それは患者さん本人が来られる場合、ご家族と一緒の場合、本人は来れなくてご家族だけということもあります。いずれにせよ、多くの場合はその問題について一番なんとかしたいと思っている方が来られます。そして訪ねて来られるその方は一番その問題に一生懸命で、一番その問題について詳しい。でもその問題はなんとかできない(と思っている)。僕の立場でいくと、それをどうしたらいいのかと尋ねられます。実はその人自身が一番問題を解決することができる人なのに。その時に僕たち治療者がすることはその一番一生懸命で、一番詳しい方が持っているいろんな力をどうしたら引き出せるのか。僕らの仕事はそこだなと最近つくづく思います。「こんなに一生懸命で素晴らしい力を持った方がなんでこんなことで悩んでおられるのかな」。お話をお聴きしてると、そんな風に思うことが非常に多いのです。

2017年9月15日金曜日

心理検査の数字以上にできることはよくある

発達指数が低いのに、親の顔色が見れる、保育所でやることの手順を覚えている、友達と一緒に笑顔で遊べる。検査で数字が低くてもこんなことは児童精神科臨床では日常的にあります。

これはなぜかというと、検査の数字は検査をする検査者、状況、検査の内容など多くの要素で数字が算出されるために、冗談ではなくあくまでも参考ということになります。しかも検査は多角的にその人のことを判断しますが、それで日常生活の全てが説明できるわけではありません。数字を見て、それに打ちひしがれてしまうこともあると思います。でも親御さんが望んでいるのはその数字でしょうか。望んでいるのはその子の日常生活が少しでも楽になり、出来ることが増えて、さらには我が子の将来の幸せでしょう。

決して検査結果を楽観的にみてくださいという意味ではありません。ただ大切なのは数字を参考にしながら、そこから得られた情報で本人の将来の幸せのためにどう関わってあげられるのか。それを周囲の方(ご家族、学校の先生、主治医の先生、心理士の先生)と相談されることをお勧めします。



2017年9月8日金曜日

一緒に楽になりましょう

僕はこのブログの中で勝手な自分の考えを書いています。診療では僕は専門家としての意見を求めれることがあり、それに答えるのは義務です。しかしブログは義務ではないので好きに書いています(笑)。

なのでここでは僕が精神科医としてとか、専門家としてとかではありません。僕も一人の迷える人間であり、人って同じような悩みをしているんじゃないか、それに共感する人がいたら一緒に楽になれるんじゃないか。そんな気持ちでブログを書いています。ブログを書き始めた当初は何か情報を発信しないといけないという変な気負いがありました。でも今は本当の正直な気持ちを書いて、もし共感する人がいてくれたらいいな、その人と一緒に楽になれたらいいなと思って書いています。

2017年9月2日土曜日

自分を解放する時間を持つ



モノマネのコロッケさんの舞台を見てきました。今年でデビュー37年目を迎えたそうです。日本のモノマネを作った人と言っても過言ではない方です。物まねを生業とすることでいろんな批判があったはずなのに、自分の世界を作られたことは本当にすごいと思います。ショーの内容は本当に素晴らしかったのですが、僕が感じたのは観客側の人たちのショーや公演を観るときの姿勢です。笑わせてくれるモノマネやアップテンポで楽しく盛り上がる曲でも真剣に座って動かずに見ている人が多いのです。それは遠慮深さなのか、人の視線を意識するからなのか、そういう文化がある気がします。困ったコロッケさんが苦笑いしながら、こんなことを言っていました。

「このショーはそんなに真面目に見るようなものではありません。もっと楽に笑いながら見てください(笑)」

しんみり聴くバラードならまだしも、せっかくお金を払って、時間を使って笑って楽しむために来ているわけですから、もっと自分を出して、騒いでいいと思います。自分を解放する時間を持つ。そのためにショーや公演に行かれるのは本当にオススメしたいです。

2017年8月26日土曜日

心理士の育成をそばで見ながら

醫院で大学院生の実習を受け入れてから、心理士の先生方の育成に関わり、彼らの姿をそばで見させてもらうことが多くなりました。その中で精神科医の育成について思うことがありました(もちろん、ここで述べることは僕個人の経験や感じたことなので、いろんな育成の仕方があることを前提に読んでみてください)。

精神科医という仕事は人との会話を通して行うことが多いため、ライセンスと会話さえできれば誰でも出来てしまいます。僕自身、小児科から精神科に転科した時に、先輩の診察を何回か見ただけで「さあ、まずは患者さんを診察してみて」みたいに、いきなりのぶっつけ本番でした。精神科以外の科の場合、そんなわけにはいきません。お腹の手術を数回見て、指導医もついていないのに、いきなり手術をすることはないはずです。僕が小児科の研修医だった時も、そばには部長先生がついてくれて、あれこれ指示しながら教えてくれたことを思い出します。

医者というライセンス、医学知識だけで、あとは日常的に自分が友達の話を聴くときと何も変わらない会話術。到底、患者さんに提供できる精神療法、お客さんに食べてもらえる料理ではありません。これが精神科医になったばかりの時の僕の姿です。完全に我流の精神療法を行い、患者さんへの返答に困ると、ごまかすことを繰り返し、そのごまかす技術ばかりが高まって、僕自身、すごく嫌でした。

一方で、心理士は患者さん一人に出会うまでに先輩の横について陪席を長期間重ね、ようやく初めての患者さんを担当し、さらにその1例のケースについて先生から指導を受けるという形式をとることが多い。そうすると、準備期間を十分置き、一人の判断ではなく先生の指導を受けた上で一人一人の患者さんに関わるので、勉強にもなりますし、患者さんにとっても大きなミスが減り、全体に丁寧になっているように僕は感じています(そうでない心理士もいるかもしれませんが)。

精神科医の育成を僕はたくさんはしたことがありませんが、これから精神科医になろうと思っている人たちに、決して当時の僕のようにはなってほしくありません。心理士の育成を通して、多くのことを感じ、勉強させてもらっています。

2017年8月18日金曜日

治療者が治すのではなく、その人が治る(治す)のだ

病院やカウンセリングルームに行くと、そこの専門家の偉い先生が治してくれると期待していきます。これはかくいう僕も患者の立場で病院に行く時はそれを期待していきます。でも実際はどうなのでしょうか。僕は精神療法を勉強して、その考えに変化が起きました。それでもう一度これまでの自分の臨床を振り返って、考え直してみたんです。

僕は小児科臨床や精神科臨床しか直接自分が経験したことはありませんが、その中でもそうでした。小児科では患者さん自身の力(体力、治癒力、免疫力)がないと薬は使えませんし、重要な処置も行えません。特に生命の危機状態にある子供たちには、その治癒力、生命力の大きさには日常的に驚かされていました。精神科でも患者さんやそのご家族のもともと持たれている強み(例:家族の結束が固い、家族それぞれが強く干渉しない)、得意なこと(例:スポーツが得意、字が綺麗に書ける)、性格(例:優しい、思いやりがある、頑張り屋さん)などが治療において大きな力を発して、よくなっていかれる患者さんに日常的に多く出会います。これらも全て患者さんやご家族の力です。決して僕が提供するものではありません。さらに言うならば、物理的に手術を受けるということでさえ、その患者さん自身の力が治療の中ではかなり大きな部分を占めます。もし患者さんの力がなければ、その手術を行うことさえできません。

患者さんは治療者が治すのではなく、その人やご家族の力で治るのであり、その方々が治すのです。その方の力を発揮しやすいようにお手伝いするのが治療者だと考えています。これは僕が開発したものでもなんでもなく精神療法の学びの中で教わったものを自分の経験に照らし合わせながら考えて、言葉にしてみました。それを皆さんにもおすそ分けしたくて今日のブログに書いてみました^^

2017年8月11日金曜日

開業して初めて学会で発表してきました



開業して初めて学会で発表してきました。学会発表も論文発表もそうですが、症例を自分なりに検討し、振り返り、人の前で発表できる形を作っていく。実際に患者さんを診る臨床を除けば、この過程ほど医者にとって勉強になる方法はないのではないかと思います。

写真は学会のあった松山で寄った道後温泉本館です。真夏に温度の高い温泉に入り、しかも昔の建物のままで(もうすぐ大改装されるそうです)脱衣所にエアコンがないという非常に稀有な経験をしました。温泉から出ても汗が止まらず、あとのビールが最高だったのは言うまでもありません(笑)

2017年8月5日土曜日

明日で開業から4年

明日で開業してからちょうど4年を迎えることができます。正直なところ、開業して何年なんて経営している側以外の人にとってはあまり重要ではないと思います。なのでみなさんに読んでいただくブログで毎年これを触れる必要はないのかもしれません。しかし、醫院の診療、経営を継続できているのは関わってくださるすべての方々のおかげであることは間違いありません。ですので、あらためて毎年このようにお礼を言いたく、ブログに書いてしまいます。

当院に関わってくださるすべての方々、本当にありがとうございます。

これからも、家族みんなが楽になれる醫院として、治療技術とサービスの向上に邁進していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

2017年7月29日土曜日

ただ話を聞いただけで楽になるのはなぜ?

友達の相談に乗っていて、自分ではただ話を聞いただけのつもりがその友達が楽になって、喜んでくれる。こんな経験って、誰にでもある気がします。それってなぜでしょう。理由を挙げると無数にありそうですが、僕が大きいなと思うのは対話を通じて、本人がその問題を「客観視」することができるからです。その中にも2つくらい客観視できる理由があるように思います。

1つ目です。相談する側の人が一人で頭の中で考えている時はその問題を客観視することが難しいため、その問題に巻き込まれてしまう。そこに相談を受ける側の人がその問題に関する質問をすることで、客観的な視点を与えることになり、その対話でその問題を客観視できて問題から少しずつ離れて楽になれる。2つ目です。その問題をこれまで誰にも話をしたことがなく、信頼出来る友達がただ聴いてくれるだけで気持ちが楽になる。すると心に余裕ができて、少しずつ冷静にその問題を客観視できるようになる。みんなそれぞれ問題を抱えていますが、客観視は大切だな。今日はこんなことを考えてみました。

2017年7月23日日曜日

良くなるスピードは患者さんが決める事

人にはそれぞれ自分のペースというものがあります。それは生き方も、病気や精神状態が良くなる事も同じように思います。精神科医としてそばで見せてもらっている自分としては少しでも早く良くなってもらいたいので、焦って次々と話を進めて行きたくなります。しかし当のご本人やご家族がそのスピードについていけないことはよく経験します。なのでいかにいい方法だとこちらが思っても、スピードを相手に必ず合わせ行かないと、逆に患者さんやご家族をしんどくさせてしまう。相手にスピードを合わせる。これが精神科の治療において重要なことであると感じています。

2017年7月14日金曜日

患者さんがよくなるための一部の責任を担う

僕は自分の仕事に対する責任ついてよく考えます。その中で思うことがあります。

僕にとって患者さんが楽になるために最善を尽くすことは仕事ですが、僕が患者さんを楽にするとか、患者さんが何かできるようにするなんて、全部本気で思うのは間違いだと思います。僕は患者さんがよくなるための一部の責任を負っているわけで、その人がよくなる全ての責任を負っているわけではありません。あくまでも主人公は患者さん自身であり、僕はほんの少し協力させてもらうという程度でしょう。ただ、その一部の責任に対して、僕は最善を尽くしたいと思います。

2017年7月8日土曜日

みんな自分の中に答えを持っている

すべての方に当てはまるとは言いませんが、多くの方は自分が今抱えている問題に対して、どうしたらいいのかの答えをうっすらと持っていると感じています。でもそこには何らかの事情があって、実行できない、あるいは避けてしまう。そんな時、その答えを他の人から指摘してもらって、どうしようもできないことにただ泣きたい時が人生にはあるのかなあなんて思います。そしてそれが実行できたりしたらもっといいし、あるいはできなくても違う道が見つけられたらいい。そんな人との出会いが人生にはある気がします。

2017年7月1日土曜日

話を通じてみんなとつながりたい

精神科医として技術を高めたいとか、診療うまくなりたいとかっていうのは本当のところ、自分は何を望んでいるのかなと突き詰めていくと、1つ目は自分のためです。これはまさに自他不二(自分を利することは他人を利することになり、他人を利することは自分を利することになる)です。患者さんのためと言いつつ、それは自分に返ってくることであり、自分のために勉強していると、それが患者さんのためになる。なので、僕は「患者さんのために」とあまり声高々に言うのは好きではありません。それだけ言うと、どうしても嘘くさく見えてしまう。そして2つ目は話を通してみんなと繋がりたいということ。僕は他の人のことをわかってあげたいし、僕自身も誰かにわかってもらいたい。人としての根本的な欲求、みんなと繋がりたいという気持ちからなのだと最近ふと気が付きました。すごく親しい友人と話をしていて、「そうやねん、そうやねん!」って心のそこから繋がった感じがした時の幸福感と言ったら、言葉では表現できないくらい嬉しいものです。これも結局は自分のため、自他不二ですね。そんなことを精神科臨床を通じて一生やっていきたいなと思います。

2017年6月24日土曜日

休むことが究極の練習

体を休めることが試合でいいプレーをするための最大の武器であり、最良の調整法だ

ソフトバンクの川崎宗則選手曰く、イチロー選手の言葉だそうです。メジャーリーグに比べて日本のプロ野球選手は練習時間が長い。つまり、練習時間を減らして、休む時間を長く保つことがより重要であるという考え方。プロ野球選手が練習時間を減らすなんて、一見すると、すごく怖いことだと思います。でもいかに練習時間を短くして、体力を温存した状態に試合本番に臨めるのか。患者さんに会うまでにいろんな準備をたくさんしてしまう僕にとっては、すごく耳の痛い言葉ですが、これからは準備をいかに密度の濃いものにして、自分を休めておくのか。それで頭をクリアな状態にして試合(診療)本番に臨む。休むことが究極の練習。ここをテーマにしたいきたいと思いました。

2017年6月17日土曜日

つぼみの時がいい


初夏です。今年も蓮の花の季節になりましたね。蓮の花はもちろん美しいですが、最近なぜかつぼみのほうが美しいのではないかと感じるようになりました。絶頂を迎えたりするよりも、成長しているときのほうが美しいのかもしれません。

2017年6月10日土曜日

何かが降りてくる

脚本家の倉本聰さんは何かが降りてきて、脚本を書くことがあるそうです。そのことについてNHKのプロフェッショナルでこんな話をされていました。

「技を磨くっていうのは大前提なんだよね。(何かに)降りてこられる条件としては人間がピュアにならないと降りてこない気がするんだ。そのピュアさみたいなものを自分で備えないといけない。それがプロだっていう気が僕はしている」

この言葉は仕事に対する一本気な真摯な姿勢が表れていると感じました。自分をピュアにして降りてくるのを待つ。人はいろんな意味で煩悩があり、仕事に対しても煩悩が出てくるものだと思います。でも仕事に対してはピュアにまっすぐに向き合いたいですよね。僕は自分がピュアだとか、こころが綺麗とか決して思えませんが、自分の診療に対してだけは心の底からまっすぐになりたいし、そうでないと自分自身が納得できない性分なんだとも自覚しています。何かが降りてくる感覚は僕みたいな凡人にはわかりませんが、道を極めた人々の背中を見て、また自分の肥やしにしたいと思いました。

2017年6月3日土曜日

接遇は一方向ではない

僕なりに丁寧に接しているのに、なぜ満足していただけないのか、あるいは逆に不満を持って帰られてしまうのか。これは医者になってからずっと思ってきたことで、開業してからはその思いが何倍にも大きくなりました。そしてその一つの答えが接遇にあるはずだと考え、ずっと接遇の研修を受けたいと思っていました。それが今回ようやく叶って、スタッフたちとANAの接遇研修を2日間受けてきました。

接遇としての技術的なこと、患者さんはどう感じているのか、医療者と患者さんとの感じ方の違いなど、目からウロコの内容が数多くありました。でもそこで学んだ一番大きなことは、接遇はこちらからだけがしているものではないということ。つまり接遇とはこちら側から患者さんに向けてしているように見えて、実は患者さんから僕たちも受けているということ。普通に想像すれば当然のことですよね。人は誰かによくしてもらうと、その人によくしてあげたくなる。「お返し」の精神ですね。

僕らの仕事もそうです。医療従事者が患者さんに温かい態度で接すると、それで患者さんも医療従事者に対して温かい態度で接してくれる。まさに患者さんが僕らを助けてくれているわけです。

「もてなし、もてなされる」

接遇って一方向ではなく、双方向なんですよね。

2017年5月26日金曜日

生き方に正しい答えなんてない

僕は自分の治療について、師匠の先生方に相談し、指摘やアドバイスをもらっています。「こういう時はこうした方が良かったでしょうか?」、「何がまずかったのでしょうか?」ついつい僕は師匠が正しい答えを知ってるのだろうと聞きまくってしまいます。でも師匠は「これはこうだらか、こうしなさい」みたいな断定的なことは言われません。僕はその度に何ではっきりしたことを言ってくれないのかなと内心疑問を持ってきました。しかし師匠の指導を受けて数年が過ぎた今、何となく感じるものがあります。治療の方法に必ず正しい答えというのを決めてしまうと、自由な発想がなくなり、僕自身の成長の支障になる。これじゃないかと思うようになりました。師匠と僕は当然違う人間であり、感じるものも違う。それを無理に師匠の答えに自分が合わせていくと、成長が止まりオリジナルも育たない。物事を習うときの「守破離」とはよく言ったものだと改めて思います。最初は言われた通りのことを守り、次にはそれを破って見て、最後には自分なりのものを作っていく。これは僕の仕事である治療というもの以外にも当然通じる話でしょう。もしかしたら生き方もそうかもしれない。最初は誰かの言葉や本にある生き方など、何かを参考にすることは大事なことです。でもその内容が通じないことって生きてるとあると思うんです。それでも一つ考え方に無理に当てはめ続けようとすると、どこかに不自由さが出てくる。結局は自分自身の生き方みたいなものを見つけてはまた壊す。それを繰り返す。そんな自由で柔軟なほうが結局は楽なんじゃないか。そんな気がします。

2017年5月20日土曜日

障害名や病名を告げる時

障害名や病名を告げる。小児科医時代は知的障害、脳性麻痺、悪性腫瘍、特殊な難病、今は発達障害や精神病を告げることがあります。これらを告げることが好きな医者はいないのではないでしょうか。でも医者としてはこれは仕事ですから避けるわけにはいきません。

障害名や病名を告げる時はいつも緊張します。その患者さんやご家族はどんな捉え方をされるのか。正直なところそれまでの診察でどのように捉えそうかなというのは予測していますので、告げる時の口調や表現、説明の仕方はある程度頭で整理してからその日の診察に臨みます。しかし何度告げても緊張するものです。告げた後、気丈にそれを受け入れて、生きていこうとされる患者さんやご家族にはこちらの方が頭がさがることが多いのが医者としての本音です。医者は何か障害名や病名を告げると、その後の治療や経過を含めて全てを知っているかのように思われますが、決してそんなことはありません。診断の後にすることは患者さんやそのご家族と一緒に、その方々が満足できたり未来への希望を持てるように、その後の作戦を考えていくことになります。決して何かを教えるとかいう上の立場では決してなく、一緒に考える。これが医者ができることだと思っています。

2017年5月13日土曜日

誰かが見ててくれていたら

人は他の誰よりも、自分自身と接している時間が長い。
自分の日々の営みを一番見ているのは自分。
人はみんな孤独だから。



誰もが大舞台で拍手を受けられるわけではありません。ほとんどの人は自分の周囲にいる誰かが見てくれていたらいいなあ程度だと思います。自分がたった一人でしていることを、誰かが見ててくれていたら、誰かが自分の頑張りに気づいてくれたら、誰かがわかってくれたら。そんな人がいるかわからなくても、空の上から神様、あるいは死んだおじいちゃんが見てくれてるんじゃないかな。そんな小さな希望だけでも、人は生きていける。きっとそうなのでしょう。


2017年5月6日土曜日

充電できる場を探す



奈良県と三重県の県境に近い奈良県宇陀市にある竜鎮の滝に行ってきました。僕はいつも何か癒される場所がないのかなと探しています。その中で見つけた滝でした。水があまりにもきれいなことに加えて、何か魅かれるものを感じていました。本当に美しい水の流れる滝でした。ただただ水が流れるのを見て、何も考えずにぼーっとしてしばらくいました。自分がそんなものを欲する時はなるべくそれに合わせて動くようにしています。皆さんもご自身の充電できる場をお持ちだと思います。そんな場所は本当に大事にしたいですね。

2017年4月29日土曜日

反省ではなく復習する

治療がうまくいかない時、患者さんがよくならないまま来なくなってしまった時、正直かなり落ち込みます。そんな時、僕は自分のどこがまずかったのかを考えて反省してしまいます。それを何度も頭の中で繰り返して、しばらく引きずるので、僕の中では自傷行為のような行為です。自分の間違いを振り返って後悔する。いわゆる反省というものでしょうか。

でもこれは精神的には良いものとは言えませんし、度が過ぎてしまうと、明日への活力を削いでしまいます。そこで僕はいつも自分に言い聞かせます。

「反省はよくない、復習しろ」

なぜなら大事なのは自分をいじめるような後悔や反省ではなく、次回から同じミスをせずにうまくやることです。つまり何がまずかったのかだけを復習して、気持ちを切り替えて明日に向き合うことこそが大切なのです。自分で思いついたこの考えを自分に刷り込もうと努力しているところです(笑)。

2017年4月22日土曜日

みんなが医療機関に来れるわけではない

毎日家から出て醫院に自分で来ている患者さんを治療していると、何か勘違いしてしまいそうになります。勘違いとは患者さんは外に出ているもの、必要なら自分から外に出てくるはず、そうでない人は今は仕方ないのだという半分諦めとも言える発想。外に出れずに精神疾患で悩んでいる人たちは実際に受診している人よりも多いはずなのに、そんな当たり前のことを忘れがちです。

なぜこんな考えに至ったのかというと、実は最近、ACT(包括型地域生活支援プログラム)をされている先生の本を読みました。ACTとは重い精神障害を持たれた方が病院以外のところで暮らせるように医療と福祉のチームで援助するシステムです。この本を読んで、改めて自分がしている医療は外に出れる人を相手にしているかなり特殊な医療であり、ごく一部なのであると認識させられました。

そんな目で自分がしている医療を見ると、ますます目の前にいる患者さんやご家族は少なくとも出てこれている人たちだし、何らかの思いを持って受診してくれているわけだから、一人一人の方にしっかりとした結果を残していかなくてはならないと思います。

2017年4月15日土曜日

自分の体験から出てくる言葉が本当の言葉

NHKのミュージックポートレイトという番組をご存知でしょうか?2人の対談形式で、それぞれの出演者の人生を振り返りながら、その時の思いが詰まった曲を紹介する番組です。僕はこの番組でいろんな人の人生を見せてもらえて、勉強になるし、興味深いので、結構見ています。先日はつんくさんと、久本雅美さんでした。その中で、久本さんがテレビに出だして売れ始めていた時に何か違うと悩んでいたそうです。その時に気付いたのが、自分は人にどう見られてるかばかり気にしていたこと。そしてそれが実は落とし穴なのだと気付いたと言います。これは苦悩の中、自分の中から出てきた言葉でしょう。こういう言葉を聞くと、本当の実体験から出てきた言葉の強さを強く感じます。僕はこのブログの中でどうしてもどこかからの言葉を引用してしまいます。もちろんそれも悪いことばかりではありませんが、できるだけ自分の体験や苦悩を通して、自分の中から出てきた言葉でブログにしていきたいと思います。

2017年4月8日土曜日

薬が効かなくなってる?

薬が効かなくなってるみたいなんです。

患者さんたちから本当によく聴く言葉です。医学的にこれが正しい場合もあります。例えば睡眠薬は長期間使えば、確かにだんだんと効きが悪くなります。児童精神科ではADHDに対する薬としてコンサータ、ストラテラという薬をよく使います。これらの薬は落ち着きのなさ、集中力のなさを改善してくれる薬です。実際に効果的な薬です。僕の場合、これらの薬をお出しすることが多いので、これらの薬について薬が効かなくなったと言われることがどうしても多くなります。確かに効果がなくなることは絶対ないとは言えません。しかしほとんどの場合、薬の効果が落ちたのではなく、次の2つが多いように思います。一つ目は効果が出ている患者さん本人の状態が当たり前になり、内服前に比べて改善しているのを見ている側が忘れてしまい、さらに本人への要求が高まっている場合。二つ目は患者さん本人を取り巻く状況が変化して、落ち着きや集中力が低下している場合です。もしADHDの薬を飲まれていて、効かなくなったと思われた場合、これら2つの可能性を考えてみてください。

そしてもっと根本的な薬というもので考えると、確かに、「薬=症状を改善するもの」ですが、「薬=どんな状況でも症状を改善するもの」ではありません。悩みや考え事が多すぎる時にどんなに睡眠薬を飲んでも寝れないのと同じです。これは患者さんにも医者自身にも言えることですが、「薬=症状を改善するもの」、さらには「症状が悪くなる=薬を替える、増やす」という幻想に囚われ過ぎないことが大切だと考えています。言うまでもなく、薬が万能なわけはありませんから。

2017年4月1日土曜日

ちゃんと息を吐いてますか?

目の前のことに真剣になりすぎたり、緊張が過ぎると、人は呼吸が浅くなります。でも何かに集中してしまっているので人はそれに気づきにくい。もし呼吸をしていない自分に気づいた時は、仕事の最中でも、深く息を吸って、吸った時間の3倍の時間でゆっくり吐き出してあげてください。すると、少し体や心の緊張がとけます。特に、息は吐き出すことで全身から力が抜けます。歌を歌うのも息を吐くため、タバコを吸うのも吐くためです。息を吐く。この感覚がとても大事だと思います。

2017年3月25日土曜日

2歳の息子を保育園に預ける時

僕には2歳の息子がいます。上の子たちのときは仕事の都合上ほとんどしたことがなかったのですが、今は時々僕が保育園に預けに行くことがあります。息子は保育園に着いて先生に会うと、走っては向かいますが、僕と離れたくない気持ちからか先生と僕との間を行ったり来たります。僕と手をつなごうとして自分の手を少し上げるけど、また下ろします。決して強く僕の手を握ろうとはしません。息子は自分から父親が離れていくことを知っているのでしょう。日によっては我慢ができず、抱っこをせがみ、仕方なく僕が先生に息子を渡す時には大泣きしていることもあります。その時の気持ちといったら言葉では表せません。子供を保育園に預けている世の中のお父さん、お母さんたちはみんなこんな朝を迎えている。なんと切ないんでしょうか。子どもの気持ちはもちろん大事ですが、僕はお父さんやお母さんの気持ちが切なく思えてなりません。

2017年3月18日土曜日

その人からもらうお金の大きさじゃない

生活保護でも診てもらえますか?という問合せを頂くことがあります。その意味を僕はあまり深く考えたことはありませんでした。生活保護であろうが、3割負担の患者さんであろうが、他の医療券で500円であろうが僕は意識していませんでした(もちろんこれは保険診療という医療制度のおかげです)。ただ、一時期、僕はいつか保険診療ではなく、自費で1時間〜万円みたいな診療、カウンセリングができるようになりたいと考えていた時期がありました。そこでもらえるお金の大きさが自分の実力を反映しているものだと勘違いしていたのです。それは深い意味もなく、ただ一般的に物は価格でその価値が決まるというよくある社会通念によるものでした。でもそれがある日いかにバカバカしいものであるのかとふと思ったのです。

患者さん1人に対してもらうお金がいくらであろうが、その人がしんどくて楽になりたいから来てることに変わりはなく、その人を楽にしていくことが僕の仕事。綺麗事でもなんでもなく、その患者さんがいくら払うのかで、自分の価値を測るなんてあまりにも稚拙な考えであるのかを思ったのです。それでなくても保険制度で守られている日本の医療。それならばもっとお金ではなく患者さんをよくすることに全力で臨める。その人が僕に払ってくれる対価ではなく、その人が楽になっているのかで、自分の価値を測りたいです。

2017年3月12日日曜日

自分がしていることが相手に映し出される

自分は医者としてちゃんとできてるのか。常にそれが気になります。それを知る方法はただ一つ。僕の患者さんの様子を見ればいい。患者さんの状態が良くなってるのか、満足されているのか、表情や態度はどうなのか。これだけで十分です。自分がしている治療の結果は患者さんの様子に映し出されます。これは医療機関だけの話ではないでしょう。お店がしていることがお客さんの様子に映し出されます。自分がしていることが相手に映し出されるのでしょう。

2017年3月4日土曜日

自分ことが見えてきたら、他の人のことが見えてくる

イライラしたら、ついつい要らないことを言ってしまう。そんな自分に気づきます。自分がどんな状況で、どんな行動をとり、どんな感情を抱くのかを見つめていくと、他の人の言動や行動の意味や理由が理解できます。自分のことが見えてきたら、他の人のことが見えてくるんでしょうね。

2017年2月25日土曜日

発達障害の方の純粋さ

どこかの本で読んだ気がしますが、発達障害の人たちの純粋さに、ほっとする瞬間を感じることができるのはその方々に関わる者の特権かもしれません。人の気持ちは複雑だし、人はみんな自分の心に数え切れないほどのガラスの破片が刺さったまま生きています。それでも発達障害の人たちは自分の道を頑なに生きようとしている(もちろん、これがすべて良いとは言いません)。これは人としての純粋さという表現しかできない気がします。本当に失礼ながら、その人のことが心からかわいいなと思います。発達障害の人たちと話をしていると、本来は人間ってこんなにも純粋なんだ、こんなに綺麗な心を持った人と話ができて本当に幸せだなと感謝する時もあります。人は歳を重ねる中で、いろんな傷を受けることになるので自分を守るためにいろんな心の武装をするようになります。その武装をしながらも、それでも純粋に生きようとする人たちに会えることは児童精神科医としての大きな喜びです。

2017年2月19日日曜日

当院の予約システムの見直しについて

当院に通院されるすべての患者様へ(当院の予約システムの見直しについて) いつも当院に通院いただき、ありがとうございます。 開院から3年半が過ぎ、たくさんの患者様に来ていただけていることにスタッフ一同、心から感謝しております。 その中、いろいろな患者様に来ていただくことになり、完全予約制にもかかわらず、事前のご連絡をいただけないキャンセル、当日の直前のキャンセル、大幅な遅刻をされる方がおられました。そのため、予約時間をお守りいただいている患者様には長い待ち時間、待合室での混雑、初診をご希望の患者様には初診予約をお断りせざるをえないなど、たくさんの方々に多大なご迷惑をおかけしております。これも院長である私自身の不手際であったと深く反省しております。 今後はそれらを根本的に見直したいと考えました。ご予約いただいた患者様をできるだけその時間内にきちんと診療させていただき、これまでよりも質の高い診療とサービスを実践するため、以下の『予約のルール』を設けさせていただきました。 ・予約の変更やキャンセルは前日(前日が休診日の場合は直近の診療日)のお昼の12時半までにご連絡ください。それ以降の予約の変更やキャンセル、予約時間に1時間以上遅刻された場合(連絡のあるなしに関わらず)は「連絡なしキャンセル」の扱いになります。「連絡なしキャンセル」が2度あった場合には予約をお受けできないことがあります。ただし、変更、キャンセル、遅刻が患者様ご本人やご家族の体調不良や交通事情による場合にはそれぞれの証明書(当日の医療機関受診の領収書、遅延証明書)をお持ちか、ご家族の不幸などはその限りではありません。 ・当院の再診の診察時間は患者様お一人につき5分から10分間です。 ・カウンセリング、東洋医学に遅刻された場合には、その時間だけ時間は短くなります。 ・これまで行ってきた当院からの予約確認のお電話はいたしません。 この『予約のルール』は2017年2月20日以降にご予約や変更、キャンセルされた患者様から随時お知らせし、同時にそれ以降のご予約や変更、キャンセルについては適用となります。それ以外の患者様については2017年2月20日から同年3月20日までをお知らせの期間とし、それ以降はすべての患者様に適用となります。 通院中の患者様により質の高い診療とサービスを提供するため、院長として苦渋の選択をいたしました。ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。                                                     2017.2.20                                                      宋こどものこころ醫院 院長 宋大光

話を通してみんなと繋がりたい

精神科医として技術を高めたいとか、診療うまくなりたいとかっていうのは本当のところ、自分は何を望んでいるのかなと突き詰めていくと、1つ目は自分のためです。これはまさに自他不二(自分を利することは他人を利することになり、他人を利することは自分を利することになる)です。患者さんのためと言いつつ、それは自分に返ってくることであり、自分のために勉強していると、それが患者さんのためになる。なので、僕は「患者さんのために」とあまり声高々に言うのは好きではありません。それだけ言うと、どうしても嘘くさく見えてしまう。そして2つ目は話を通してみんなと繋がりたいということ。僕は他の人のことをわかってあげたいし、僕自身も誰かにわかってもらいたい。人としての根本的な欲求、みんなと繋がりたいという気持ちからなのだと最近ふと気が付きました。すごく親しい友人と話をしていて、「そうやねん、そうやねん!」って心のそこから繋がった感じがした時の幸福感と言ったら、言葉では表現できないくらい嬉しいものです。これも結局は自分のため、自他不二ですね。そんなことを精神科臨床を通じて一生やっていきたいなと思います。

2017年2月11日土曜日

みんなそれぞれ事情がある

周囲から見ると、どんなに幸せに見えても、どんなに不幸に見えても、どんなにまともに見えても、どんなに変に見えても、みんなそれぞれ事情がある。事情のない人なんていない。精神科臨床をしていると、そう感じざるを得ません。おこがましい気持ちを持ちながら、それぞれの方、ご家族の事情をお聞きして、みなさんが楽になる道を一緒に探るのが精神科医の仕事なのだと思っています。でもその事情はたとえ精神科医だと言っても、そんなに簡単に話せるわけではない。精神科を受診するだけでも難しいと考える方もおられるはずです。それぞれの事情を少しでも楽に話していただくためにはきちんとした技術が必要です。その技術を持たないことは患者さんやそのご家族にこれ以上失礼なことはありません。それだけはあってはいけないので、お話をお聴きする僕たちがその準備を常にすることが大切だと考えています。当たり前のことすぎて、みなさんに笑われてしまうかもしれませんが、ふと思ったので書いてみました。

2017年2月5日日曜日

実るほど頭を垂れる稲穂かな

僕は歌手のさだまさしさんが大好きで、歌を聴きに行くことがあります。さださんのコンサートは歌の素晴らしさだけでなく、笑いや涙を誘ってくれます。特にすごいのが、いつもさださんは1000人はいるだろうと思われる僕たち観客1人1人に握手してくれるのです。本当に感激としか言えない瞬間です。長年ヒット曲を出し続け、その間に人生の辛酸をなめ、コンサートでお客さんにゆっくり深々と頭を下げて、お礼を言われている姿を見ると、いつもこちらの頭が下がります。

さださんほどの大きなものではありませんが、僕も人に楽になってもらったり、その人の気持ちに触れる仕事をしています。実るほど頭を垂れる稲穂かな。改めて、この言葉が心に沁みます。

2017年1月28日土曜日

自分のためじゃない方が長く続く

人が「自分のため」に行動するのは自然なことです。でもそれだけでは物事は長続きしない。心の中に「自分のため」が入っていてもいいけど、その中に「誰かのため」が多く入っていればいるほど、物事は長く続いたりうまくいったりする。そんな気がしてなりません。

2017年1月21日土曜日

患者さんを診る事ができる幸せ

研修医をしている時、いろんな患者さんが診たくて友達や先輩と誰がその疾患の人を診るのかと取り合いになった事があります。これは決して患者さんを侮辱する行為ではなく、みんなが自分の医者としての実力を少しでも上げたいためにしていることです。多くの研修医が新しい患者さんに出会いたいと思っていると想像します。

ご多分にもれず、当時の僕も自分がそれまでに見たことがない患者さんの主治医になれるだけで気分が高揚し、患者さんを診察する前に本をあさって十分な知識をつけて、先輩にも診察の仕方、治療方針などを嬉々として教えてもらっていたことを思い出します。

いつの間にかその高揚感は今では、日々患者さんが来てくれて、医者として診療ができているのだという感謝に変わりました。だって、患者さんがいないと医者という仕事は成り立ちません。これはどんな仕事も同じでしょう。お客さんがいるから、誰かが必要としてくれてるから仕事が成り立つ。その感謝を思うと、日々忙しくてしんどいなと思う気持ちが不思議と和らぎます。これもどんな仕事も同じなのでしょう。

2017年1月14日土曜日

育児に正解なんてない

「これが正しいのかわからなくて」

多くのお父さん、お母さんからこの言葉を聴きます。育児についていろんな人たちが意見をおっしゃいますが、僕は育児に正解なんてない気がします(まあ、すべての物事において正しい、間違ってるなんてもの自体がないのかもしれませんが)

僕は今、4人の子供を育てていますが、僕がしている育児の方法は完全に僕の独断と偏見であり、これが正しいから他の人たちに絶対勧めたいなんて気持ちはこの数年でなくなりました(恥ずかしながら以前はありました)。今の仕事をしているので、育児の正解について意見を求められますが、みんなにお勧めの育児法なんて、自信を持って言える気が全くしません。なぜなら人はそれぞれ考えや環境が違うからです。僕も日々迷いながら育児をしています。なので皆さんも大いに悩んでいただいて、ママ友の意見、本、講演、グーグルでの検索もしてもらっていい。そのような機会を通して、考えて欲しいのです。自分がどんな育児をしたいのか、我が子にどうなって欲しいのか、その答えは親自身の中にあります。そんな時に人と話をすることはご自身の意見を明確にすることに役立ちます。もし僕がお手伝いできることがあるとすれば、親御さんとの対話の中からその親御さんにとって、その時の育児の最善策を一緒に探すことではないかと思います。


2017年1月7日土曜日

そのままにしておく

新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年初めてのブログは「そのままにしておく」という内容にしてみました。

先日、生まれて始めて座禅を体験しました。そのときに初めに言われた言葉は、

「雑念という念はない、雑草という草もない。雑念が湧いてきたという自分がいるだけ、なのでいろんな考えが湧いてきてもそのままにしておくように」

僕は「そのままにしておく」という言葉で、すごく気持ちが楽になりました。僕たちは日々の生活の中で起こることに対して、そのままにするということが得意ではない気がします。何かが起これば対処しないといけないという観念に駆られます。そして心はここにあらずで過去や未来に心がせわしなく動き、その事でかえって疲れます。でもほとんどの出来事は少しの時間そのままにしておいても、実はそんな人生に変わりはありません。

この座禅の時間はそれをそのままにしておいていい時間、そしてそのままにする考えを日常でも持てるよう練習する時間だと感じました。それから僕は毎朝その時間を持つようにしています。皆さんにも「そのままにしておく」時間をお勧めしたいです。