2016年12月31日土曜日

いただいたお礼へのお礼

昨日で今年の当院の診療が終わりました。

年末になると患者さんの中には心温まるお礼の言葉を下さる方がおられます。その時、なんと言葉を返していいのか心の中ですごく戸惑います。こんなにありがたい言葉をいただいたのだから、僕もそれに対して自分の気持ちを正確にお礼の言葉にしたい。なのに、それがうまくできず、「いえいえ、こちらこそです」みたいに簡単に終わってしまう。これは僕としてはなんとももどかしいですね。それで後で仕事が終わった後にしみじみとありがたかったなと一人で思い返します。なので、今年の年末にお礼の言葉をくださった方々、僕はそのお言葉をすごくありがたく思っておりますので、そこの部分をご理解いただけると嬉しいです。本当にありがとうございます。

そして来年も来院いただいた患者さんやご家族に喜んでいただけるよう醫院全体としてスタッフ全員で最善を尽くす所存です。よろしくお願いします。


2016年12月23日金曜日

初診をお待ちいただいていることへのお詫び

当院では初診予約受付を1か月先までとしております。そのため当院では現在、初診予約の患者様の受付をさせていただけず、初診をご希望の患者様には大変ご迷惑をおかけしております。

その理由として、当院の特徴上、長期間の通院を必要とされる患者様が多いことに加え、当院では来ていただいた患者様お一人お一人にスタッフ全員でその時の最善の治療、サービスを提供することを醫院の方針の中心に置いています。そのために当院のキャパシティーを超える数の患者様を診療することができません。本当に申し訳ありません。

現在ご迷惑のおかけしている患者様にはご理解、ご容赦をいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

                  宋こどものこころ醫院 院長 宋大光 

2016年12月17日土曜日

人は気持ちよくしゃべりたい

人は他の人から素晴らしい話を聴くよりも、自分の言いたいことを気持ちよくしゃべりたいものです。患者さんに気持ちよくお話ししてもらう。それが心の治療の第一歩だと思います。

2016年12月10日土曜日

療育は日々の生活の中にある

発達障害への療育というのは今や常識になっています。確かに療育は大切ですが、僕は療育とは日々の生活の中にあると思っています。〜療育センターで療育を受けることはいいことです。でもその時間はその子にとってはほんのわずかな時間であり、そのほかの大部分の時間にそこで学んだことを親御さんや周りの人が継続してくれないと、多くの場合、発達はそう簡単には伸びません。生活の中で療育の技術を取り入れて、実践してあげてください。そうすることで本人が伸びるだけでなく、親御さんも関わり方を知って、生活が楽になり、お互いにハッピーになれます。

2016年12月3日土曜日

ボールに絡んでいないときのうまさ

サッカー日本代表の本田圭佑選手が新聞のインタビューでこんなことを言っていました。

「日本でサッカーがうまいとはボールタッチのことばかり言われる。ヨーロッパではボールに絡まなくてもうまい選手がいる。ボールに絡んでいないとき(オフ)にの駆け引きのうまさでオンを輝かせる」

サッカーの試合では一人の選手がボールを触る時間は2分に満たないそうです。つまりそれ以外の時間はすべてオフなわけです。僕自身の診療も同じです。僕自身が話ししてる時間なんて短い。患者さんが話しをされてる時間のほうが圧倒的に長いわけです。大事なのは患者さんの話しを聴いてるときに僕が何をしているのか。自分の頭の中で何を考えるのか、どんな表情をするのか、どう反応するのか、視線を合わせるのか外すのか。僕が話しをしている時間よりも聴いてる時間のほうが大切であることは言うまでもありませんでしたが、本田選手の言葉でよりそれを強く感じました。

2016年11月26日土曜日

検査で異常がない時こそ人間の出番

心理検査で異常がないから通院する必要はないと言われたという話を患者さんからよく聴きます。でも実の患者さんや家族は困っている。体が辛いから内科に行って検査を受けると異常がないので心配ないと言われる。でもその辛さは続いている。こんな話もよく聴きます。

現段階の科学や機械による検査で異常がないから問題ないと判断する。科学や機械が正常か異常を判断するなら今話題の人工知能にお願いすればいいし、人間はいらない。検査で異常がないけど、症状で困っている患者さんこそ、科学や機械ではなく、臨床や研究をしている医療者という人間の出番であると思います。

2016年11月19日土曜日

最近の当院の待ち時間について

当院は完全予約制にもかかわらず、最近、待ち時間が1時間を超えることが時にあります。これは全て僕たちの不覚のいたすところです。診療やサービスの質を担保しながら、なるべく早急にこの問題を解決すべくスタッフ全員で頭をひねっています。よろしくお願いいたします。

2016年11月12日土曜日

患者さんは僕らの状態を感じている

先日タクシーに乗った時にこんなことがありました。

僕は助手席に乗ることになり、その時に助手席には運転手さんの私物がたくさん置いてあり、助手席は後部座席に座る人のためにめいいっぱいまで前に出された状態で、大人が座るには狭い状態でした。このときに助手席を後ろに引いてくれる運転手さんと何も言わずにそのままにする運転手さんがいます。一言、一つの動作で、助手席を後ろに引いてくれれば、お客さんとしてはかなり助かる。でもこれは面倒臭いことでもあるわけです。1日に何人ものお客さんを乗せて、運転手さんも疲れている。でもお客さんにそんな事情は関係ない。

患者さんは僕らの言葉遣いや態度を無意識にチェックしています。僕らは仕事なので毎日のことなのである意味感覚が鈍りますが、患者さんはそうでありませんから、いつも感覚は新しいわけです。こちらの状態を患者さんはいつも感じている。そのことを意識しながら仕事と仕事に向けての自分の準備をしたいと思います。

2016年11月5日土曜日

誰もがそれでいいよって言ってもらいたい

人は誰もが自分がしていることを(一般的にいいことであれ悪いことあれ)わかってほしい。わかってほしいから友達に会ったり、本を読んだり、映画を見たり、自分の気持ちを理解してくれる場を探し求める。自分を認めたい、慰めたい。それでいいよって言ってもらいたい。人ってみんなそうなのでしょう。

2016年10月29日土曜日

ブログを書きながら

最近、自分のブログの内容が人生の話になることが多いことを自覚しています。これは当然僕が人生を知っているとかそんな馬鹿げた話ではなく、人の悩みって、実はそんなに多様ではない気がするからです。つまり僕自身が悩んだりすることって他の人も悩んでるんじゃないかな。もっと大きく言うなら、人ってみんな同じなんじゃないかとも薄々感じています。人に対して優劣をつけているのは人です。その価値観を作ったのも人です。勝手に作り上げられたものです。「職業に貴賎なし」と言いますが、「人に貴賎なし」な気がします。このブログを書くことで僕は自分自身の整理になりますし、その過程を読んでいただくことで、読んでいただいてる方々にも自分なりの整理をしてもらえるんじゃないか。そんな妄想をしながら書いています。

2016年10月22日土曜日

がんばったことを忘れるくらいがちょうどいい

過去にがんばったこと、努力したことを自分の心に置いたり、人に話したり、あるいは言葉の端々に出したり。そんな人を見てきたし、今の自分もそうだなと思います。でもそれってどうなのかな。僕が見てきたすごい人たちはそんなのはおくびにも出さなかった気がします。たまに立ち止まって懐かしんだり、自分を鼓舞するために思い出すくらいならまだしも、しばしば過去の努力や栄光に浸るのは無意味と言えるかもしれません。がんばったことを忘れるくらいがちょうどいい。今はそんな気がします。

2016年10月15日土曜日

してあげたなんて考えは捨てる

あんなにしてあげたのに、あなたを育ててあげたのに、あの時助けてあげたのに。

人ってこんな感情を持つものですよね。ご多分にもれず僕もそんなことを思います。自分が診療することで(偶然や薬のおかげではなく)患者さんがよくなられたら、内心、「よかった」、「やったー!」と思います。それでそっけない感じで帰って行かれる人や、そのまま音沙汰なく来られなくなる人も当然ですがおられます。その時に、寂しい気持ちがどうしても自分の中に湧く。これはまさに僕の中に「してあげた」なんて自惚れがあるからです。それで思ったんです。僕は寂しい思いをしたくないので、「してあげた」なんて考えを心底から捨てよう。そして、たまに「ありがとう」なんて言ってくれる人に出会ったら、ラッキーくらいに思えばいい。そうすると、寂しい気持ちではなく、幸せな気持ちになれるんじゃないかな。今からそんなバカみたいな期待をしています。

2016年10月7日金曜日

やり抜く力

勇気付けてくれる本に出会いました。

題名は「やり抜く力」




著者は幼い時に父親から「いいか、お前は天才じゃないんだぞ」という言葉を言われ続けて育ったそうです。そんな著者が「マッカーサー賞」、別名「天才賞」を受賞しました。奇しくもその受賞の理由は人生で何を成し遂げられるかは生まれ持った才能よりもやり抜く力(情熱と粘り強さ)によって決まる可能性が高いというのを科学的に理論的に証明したものでした。それに至る過程とその理論が綴られています。

この本を読みながらいつものように自分に当てはめて考えてみました。僕は精神科医を生業にしているし、それは生きていくためではありますが、実のところ「精神療法がうまくなりたい」という気持ちの方が強いのかもしれません。振り返ってみると精神科医になってからずっと「精神療法がうまくなりたい」その一心だけで来ましたし、今もそれは続いています。ただ、日々の臨床で精神療法をしながら失敗をしたり、自分の無能さに押しつぶされそうになる時があります。そんな中、この本は僕に大きな勇気を与えてくれました。何かを成し遂げることと天賦の才能を持っていることはイコールではない。やり抜く力さえあれば、僕のような凡人でも精神療法がうまくなれる可能性があると思えたのです。

この本は簡単に言えば、「うさぎと亀の話」や「継続は力なり」というのを科学的に証明し、その理論を作り上げたものと説明できるかもしれません。この本がそれを語りかけてくれることで、僕に自信を持たせてくれました。

ただ、大切なのはやり抜く力はどんな内容でも発揮できるわけではないということです。この本の中にもありますが、それは自分にとってかけがえのないことに取り組んでこそ発揮されるものです。ということは自分が本当にしたいことを見つけることが、その後のやり抜く力を発揮できるのかどうかを決定づけるということ。自分が本当にしたいことを早々に見つけられれば幸運だけど、早々に見つかる人なんてほとんどいないでしょう。つまり本当にしたいことを見つけるまでにも「やり抜く力」は必要だということです。逆に自分が本当にしたい事さえ見つかれば、誰にでもやり抜く力は発揮できるという事です。大切なのはしたいことが見つかるまでの「やり抜く力」があるかだけだと僕は考えます。

スティーブ・ジョブスの「成功と失敗の一番の違いは途中で諦めるかどうか」、イチロー選手の「僕は天才ではありません」という言葉通り、世で天才と言われる人たちの中で自分の事を天才だという人を僕は知りません。その人たちは自分が本当にしたいことを見つけて、やり抜く力で努力を継続できたからそこにたどり着いた。そんな気がしてなりません。

2016年10月1日土曜日

人は他の人のことをわかった気になってしまう

人は他の人のことを自分だけの基準で判断してあれこれ評価します。言ってしまえば、言いたい放題です。でもそれは無理もない。人は自分の歴史は振り返えることができても、他の人の歴史は知らないから。これは人間であれば誰もが抱える習性みたいなものでしょう。なので、他の人のことを簡単に評価することは人として本当に気をつけないといけないことだと自戒したくなるわけです。

2016年9月25日日曜日

指示や説教の診療から離れていく

師匠から僕の診療について指導を受けていて、「先生はなぜこんなにも指示や説教が多いのかな」と言われて、自分の癖に気づきました。指示や説教なんてしたくないのにしている。それをなぜかと考えてみたんです。

僕は小児科医、精神科医という医師として患者さんから質問されて、それに答えたり、説得したりという動きを繰り返してきました。その習慣が体にこびりついて離れなくて、指示や説教が多くなっていました。確かに多くの医者はそうするし、患者さんにとっても一般的に医者といえば何か指示してくれたり教えてくれたりと思うものです。内科や外科などの身体的な科であれば、指示や説教が功を奏する場合も多いかもしれませんが、精神科では検査や診察結果は目に見えないものであることが多いため、指示や説教はあまり役に立たないことが多いのが僕の実感です。

もちろん指示や説教を全否定するつもりはありません。もし指示や説教をするのであればこちらがちゃんと意図してすること、あるいは指示や説教を望んでいる人、それくらい関係ができた人に対してすることが大切だと思います。無意識に自分の癖で指示や説教するのは違いますね。僕の直すべき課題であり、僕の診療の中でいつの日か指示や説教なんて必要なくなる日が来る、そんな気さえしています。

2016年9月17日土曜日

今まで自分がもらったものを届けたい

自分の仕事って何かな、自分って何しに生まれてきたのかな、最近の僕のブログはいつの間にかそんな話が中心になってきました。あるかどうかなんてわからないけど、「何が真実なのか」を知りたい。いつもそんな思いです。

その中で一つ気付いたことがありました。今の僕の仕事は今まで僕が誰かからもらった情(愛情や友情)、知恵、力を誰かに届けること。僕で言うならこの世に生まれさせてもらって、医者にしてもらって、院長にしてもらったんだから、患者さんを含めた周りの人に自分がこれまでもらったものを届ける。ただそれだけのシンプルなこと。そしてそれを繰り返していく。仕事や人が生まれてきた理由ってそういうものなんじゃないかと思ったんです。今日一日もそうやって生きたいと思います。

2016年9月10日土曜日

患者さんが教えてくれる

「あの時、先生が話をいったん受け止めてくれたからよかったんですよ」

最近、ある患者さんにこんな言葉を言われました。自分自身はただひたすらその時に頭で考えたことをしているにすぎません。しかしこの患者さんの言葉は自分の治療のこれまでの流れを詳細に解説してくれて、さらには僕自身が気付いていないことをその患者さんに教えてもらい、また勇気付けられた気がしました。この時あまりに感動して僕は二の句が継げませんでした。

逆にこのようなお褒めの言葉だけでなく、「あれは先生が悪かったです。あの先生の言葉で調子が悪くなりました」と言ってくれる方もおられました。この時も僕はハッとして、自分のその時の治療を思い出して何がまずかったのかが頭に浮かびました。本当にありがたいことです。

僕は日々自分の治療や醫院全体のことを振り返る作業をしていますが、それだけでは気づかないことがもちろんあります。それを目の前の患者さんがリアルに生で教えてくれる。こんなにありがたいことはありません。これまで同様の内容でブログを書いたことはありますが、改めて強く思ったので今日は書いてみました。

通院中の患者さんにお願いがあります。これからも宋こどものこころ醫院に忌憚のないご意見をお願いいたします。それをご自身とそのご家族に、そして明日の患者さんに還元していきますので。

2016年9月3日土曜日

臨床は常に一期一会

「毎日毎日同じ場所で同じ仕事をしていて飽きないですか?」と何度か言われたことがあります。医者の世界でも外来を毎日するのは退屈だと言う人もいます。僕は今の日々の精神科外来、精神科臨床を退屈だと思ったことはありません。っていうか退屈なんてありえないと思っています。

同じ患者さんであっても「臨床は常に一期一会」です。同じ人でも今回と次回とでは何かは必ず違います。そのときにすべきこと、お話しする内容は程度の差はあれ、毎回必ず違います。なので飽きるなんてことはあり得ません。飽きるのであればそれはこちら側の問題です。患者さんのわずかな状況の変化をキャッチできないで、仕事をするから飽きるのでしょう。うどん屋さんは毎日の天気や湿度で水の量を変える、お寿司屋さんはその日のネタの状態で下準備を変えるそうです。どんな仕事も同じではないでしょうか。日々の臨床での一期一会を大切にしたいと思います。

2016年8月27日土曜日

力があるから力を抜ける

20代後半で水泳を習い始めたとき、僕は全身に力が入りまくって、なかなか体を水の中で浮かすことができませんでした。しかしコーチに教えてもらい、泳ぎ続けているうちに体の力が抜けて、体を浮かすことできて、楽に泳ぐことができるようになりました。すべてのスポーツは力を抜くことが大切だと言われます。力が入って硬いままだと動きがスムーズでなくなるからです。

でもこれはスポーツだけではなく、すべての技術、いや人生もおなじではないでしょうか。技術がないとどうしていいかわからないので不要な力が入ります。人生でもどうしていいかわからないときに全身に力が入ります。上手に楽に生きているように見える人たちはどこか肩の力が抜けて見えます。そのために大切なことがあります。それは力を抜くには力(たとえば技術力、知力)が必要だということです。

メジャーリーガーの川崎宗則選手が雑誌のインタビューでこんなことを言われていました。

「ゴロを捕った後に日本では踏ん張って力を入れて投げるけど、アメリカでは踏ん張らずに力を抜いて投げても強いボールが投げられる。力を抜いたほうが強いボールが行く。力を抜くために力をつけるのです」

おそらくそういうことなのかなと思います。


2016年8月20日土曜日

とにかく耐える時期ってある

多くの人の人生を傍で少しだけ見せてもらったり、自分のことを振り返ったりすると、人生にはどうしようもないことってやっぱりあるなと感じます。どうしようもないっていうのは、人はその問題の早急な解決を望むけど、その解決にはいろんな意味で時間が必要で解決するのにその時、タイミングを待つしかないことがある気がします。その時期を耐えることはしんどいけど、その時期を耐えるしかない。しかもいい見通しなんてなにも立たないけど。そんなことに世界中の人間はみんな耐えているのかなと思うと、みんなすごいですよね、尊敬してしまいます。

2016年8月15日月曜日

子どもにはっとしてもらう

僕が高校生のころだったでしょうか。友達に傷つくことを言われて、母に愚痴っていると「男が腹を二つ持たないでどうすんの!それくらい腹に抱えて自分で我慢しなさい」と冷たい一言。普段やさしい母にその言葉を言われてすごくショックであり、でもそうだなと納得して何も言えなかったがありました。この言葉は今も僕の中に強く残っている言葉です。

親は子供がかわいいあまり何かで困っていると、こけて怪我しないようにすぐに座布団をひいてあげたくなってしまう。でも時に子供にはっとしてもらうことがすごく大切であると思っています。なぜなら我が子はいずれ一人で生きていけないといけないからです。時に突き放したように聞こえる親の言葉が子供をはっとさせ、それが生きる力を育むのだと思っています。

2016年8月6日土曜日

ありがとうございます。

3年前の今日、宋こどものこころ醫院を開業し、みなさまのおかげで3周年を迎えることができました。

ありがとうございます。

ありがとうございます。

ありがとうございます。

2016年7月30日土曜日

悩みの答えは自分の中にある

人は悩みを抱えるとどどうするか。方法は無数ですが、多くは大きく分けて3つかなと思います。1つ目は自分で解決策を探る(考える、調べる)、2つ目は人に相談する、3つ目は時間が解決する。多くの悩みはこれでなんとかなるような気がします。

これら3つには共通点があります。それはその間すべて自分の頭で考えている。つまり自分に徹底的に聞くことが最終的には解決につながる。自分がどうしたいのか、自分は何に悩んでいるのか、どんなことをしてもらいたいのか。でもこれはすごくエネルギーがいるし、時間がかかることもあります。

精神科診療で僕が意識するのはこの自分の中にある答えに自分で気づいてもらうことです。アドバイスや助言を求めて来られる方が非常に多いですし、それは当然だと思います。ただ、患者さん本人は僕なんかよりずっとご自分のことや今の状況を知っている。答えに気付いていないだけです。でもその作業は一人では辛いので、そのお手伝いするのが僕たち支援者ではないかと考えています。

2016年7月24日日曜日

自然に感謝することになる

感謝なんてものは教えるものではないのかもしれない。なぜなら人は生きていれば、自然にいろんなものに感謝するようになるから。

2016年7月16日土曜日

やはり「人は城」

僕は普段、当院のクリニックのスタッフに助けられて仕事をしています。受付スタッフ、看護師、心理士が僕の診療を支えてくれています。

「人は城」という言葉があります。この言葉は経営者がスタッフに対して思うものだと思っていましたが、実は日常的に誰にでも当てはまるものなのだと気付きました。それは普段の人付き合いを大切にすることが自分を守ってくれるということです。実は自分という人の周りには常に人がいてくれて、自分を守ってくれている。もちろん自分も他の人を守る一員になっている。お互いに自分を中心にお互いに守り合う形になっているわけです。でも守ってもらうためにはまずは中心にいる自分が周囲の人を大切にしないといけません。こんなお互いの包囲網ができたら、人生は生きやすいんだろうな、そんな想像をしてみました。

2016年7月9日土曜日

自分ができていない部分に向き合う

僕は3年前まで堺市にある阪南病院という精神科の病院に勤務していました。そのつながりから病院の広報誌を定期的に送っていただいています。その中で、今回は自殺予防対策チームの活動と題して、自殺者数、その転帰、疾患名、自殺の方法などをデータで挙げていました。僕はこれは本当にすごいなと感じました。精神科の医療機関として自殺は最も重い部分であり、できたら避けたい話題です。それを阪南病院は開示している。いろんな病院を見てきましたが、自分たちの一番痛い部分を開示できている病院は多くはありません。自分ができていない部分にはみんな向き合いたくないし、知らないふりをしたい。でもその部分に真摯に向き合う。これを続けることが成長につながるのでしょう。

2016年7月2日土曜日

大切なのは自分を見つめること、それから今を見つめること

人は他の人と自分を比較したり、過去を悔やんだり未来を憂いしたりします。僕自身もそうして自分を苦しめてきたように思います。それで最近、発見がありました。それは大切なのは自分を見つめること、それから今を見つめることじゃないかということです。

「自分を見つめる」とは具体的には例えば、自分は何に悩んでいるのか、自分はどうしたいのかを自分に問うこと。

「今を見つめる」とは過去や未来ではなく、今はどんな状況なのか、今をどう過ごすのかを考えること。

人は自分の頭の容量をオーバーして自分ではどうしようもないことまで悩んでしんどくなります。でも自分と今だけを見つめると余計なことを考えないで済むし、目の前のことに集中できる。今自分がすべきことに向き合う、ただそれだけ。自分と今を見つめることは結果として自分を守ることになり、今の自分を大切に生きることにもなり、ゆくゆくは明日につながるのです。

2016年6月25日土曜日

キャンセルされるのはこちら側の問題

経営をする立場の人であればどんな職種であれ、キャンセルされるのは大きな打撃です。もちろん僕はそれを開業してから知りましたし、それに対してどうしたらキャンセルを減らすことができるのか悩んできました。でもその答えにこの1年くらい薄々気づくようになり、最近それがはっきりと見えてきました。答えは簡単です。僕たちの治療のレベルを高くして患者さんに満足してもらうことです。そうすればキャンセルは格段に減るはずです。僕たちの治療のレベルと患者さんの満足度が低いからキャンセルされてしまうわけです。つまりはすべてこちら側の問題なのです。これはどの職種でも同じでしょう。

予約がなかなか取れないレストランを人は簡単にキャンセルしません。僕たちがレストランを予約するときに「キャンセル料が発生します」みたいなことをよく言われます。

それはこんな悪循環によるものだと想像します。


そのレストランのレベルとお客さんの満足度が低い
          ⇩
簡単にキャンセルされてしまう
          ⇩
経営者はキャンセルされてもいいようにキャンセル料を取る
          ⇩
お客さんの満足へのハードルが上がるので来なくなる可能性が高まる


どうかすると、キャンセルする客が悪い、みたいになるわけです。これっておかしいですよね。それにキャンセル料のことを言われて喜ぶお客さんはいないでしょう。

こんな僕もキャンセル料について考えたことがないと言えば嘘になります。一瞬、キャンセル料を取ろうかと頭をよぎったこともあります。でも何か違和感があったんです。なぜならキャンセル料と言われて、自分が不快だったから。今は治療のレベルと患者さんの満足度さえあげればその必要がないのだと確信しています。当院は今はまだキャンセルがありますが、これをどんどん減らしていきたい。そのためにすることは僕たちの治療レベルと患者さんの満足度を上げること、それに集中していきたいです。


2016年6月19日日曜日

力をもらいに



今年はお遍路に行けなかったので、自分の力の補充のために福岡県と大分県の境にある英彦山(ひこさん)に行ってきました。僕も名前しか知らなかったのですが、英彦山は山伏の修験道場として日本三大修験山の一つだそうです。山伏の人たちが精神や武術を鍛えるための修験道場で僕も精神が鍛えられたらいいなと何の気なしに行ってきました。標高は約1200mで頂上からは雲海が広がり、雨の中霧まであってなんとも幻想的な場所でした。頂上にある英彦山神宮上宮まで徒歩で2時間くらいで行けました。この上宮に入って、僕はなぜか「優しさ」を感じました。力をもらえて、また診療に臨めと応援していただいた気持ちになりました。自然と神の力に感謝です。

2016年6月11日土曜日

人が治るのをただそばで見ているだけなのかも

一人の人であれ、家族であれ、会社などの組織であれ、日々いろんな問題が起こります。でもその時、そこにいる人たちが自分の力や周囲の協力、あるいは偶然の出来事によって多くの問題は解決します。それらの努力のもとにそれでも問題が解決しない場合に、いろんな相談機関に相談に行くことになると思います。その一つに医療機関があり、そこで僕はお話をお聴きします。

患者さんたちを見ていて、何らかの問題が解決する人たちの中には大きく3つの種類があると感じています。①まったく偶然の出来事によるもの、②それまでにはなかった周囲の人たちの関わり、そして最後に③僕たちの介入(治療)です。最近、僕は自分が診せてもらった患者さんの振り返りをしています。その中で明らかに自分の介入によってよくなるものもあります。

ところがその考えが少しずつ変わってきました。少し前までは「僕がなんとかしてやる」と思いが大きかったのですが、最近は僕の前に現れた方々が治るのをただそばで見ているだけという気がしてきました。でもそれはよく考えてみると当たり前です。その人の生活の中で僕が知っている範囲は限られているし、関与できる範囲も限られている、もちろん未来も予測できない。治療者としてすごく不遜な考えだったと思います。大きなその人の人生の中で、治療者はその人にとって小さな基点になるくらいがせいぜいだと思うほうが自然なのかもしれません。そう思うことで僕たち治療者にとっても肩の力を抜いて治療に臨める。こんなことを感じました。


2016年6月4日土曜日

僕は治し屋

専門家としてのご意見をお願いします、医師としてはどう思われますか?、精神科医として見た場合にどうですか?。そんな言葉をたくさん聴いてきたし、これからも言われることになるのでしょう。でも僕はこれらの言葉にはどうしても違和感を覚えます。専門家として見られることは仕方ないにしても、僕自身は自分がそんなに専門家だとは自覚していません。そんな自分の気持ちをどう表現したらいいのか、自分にしっくりくる言葉がないなあと思ってきました。

そんな中、先日のプロフェッショナルで作曲家の佐藤直紀さんの言葉に出会いました。「僕は作曲家ではなく、どちらかといえば、作曲屋。みんなが喜んでくれるならパンツも脱ぎますってことです」。これだ!って思いました。

僕は専門家でも医師でも精神科医でもなく、何かに悩む人が楽になりたいというオーダーに対して答えられる、そんな治し屋でありたいです。

2016年5月28日土曜日

自分の畑だけを一生懸命耕せ

「あの人は〜な人だ」と、僕たちは日々知らないうちに、他人の評価をしていることがあると思います。それはメディアに出てくる人に対しても、身の回りの人たちに対しても、限られた情報の中で評価するわけです。なので評価はある意味しやすい。でも自分のこととなると、自分の事情については一番詳しいので情報量は多くなり、感情も合わさって、その評価はかなり複雑になります。場合によっては自分への甘さも相まって、曲解されることもあるかもしれません。つまり、自分のことは簡単に口にすることが困難になるわけです。

僕は幼いころから父に「他の人のことはいいから自分の畑だけを一生懸命耕せ」と言われて育ちました。この言葉にはこれまでも、そしてこれからも心の底からうなづけます。他の人の評価をしている暇があるなら、自分の目の前のことをすればいいのだと今も思います。

2016年5月21日土曜日

あの患者さんは今ごろどうしてるのかな

ふと「あの患者さんはどうしてるのかな」と思い出すことがあります。1度きりの方もいれば、何年にも渡って通っていただいた方もいます。ただ共通するのはある一時期をその病気や症状をどうしたらよくできるのかと一緒に考えた仲間とでもいいますか、(僕の妄想です)そんな気持ちになります。患者さんとの別れは合意のもとで終診というのもありますが、多くの場合はいつの間にか来られなくなります(これはあくまで僕の場合ですし、これがいいのか悪いのかはわかりません)。いつの間にか来られなくなる患者さんには3種類あります。1つ目はそれぞれの事情で来られなくなる方。2つ目は自分が治せなかった方、3つ目は病気や症状がよくなったり満足いただけているはずだと思えた方。

1つ目はそれぞれの人生にはもちろん事情があるのでこちらの力が及ばない範囲のものです。2つ目の自分が治せなかった患者さんは来られなくなった時点、いや患者さんが診察室から出られる時点でわかるので、これは完全に自分のせいだなと感じることができます。そして対策としてカルテをみて原因を探せますし、復習することができます。気になるのは3つ目の方です。ある程度、病気や症状がよくなったり満足いただけているはずだと思っていても、来られない方もおられます(これも僕の妄想ですが)。カルテをみても原因がわからないことが多いのです。あの患者さんは今ごろどうしてるのかな。僕も一人の人間としてさみしい反面、その方の病気や症状には僕はもう必要なくなったのだとうれしい部分もあります。いつまでも病院にかからないといけないというのは少なくとも幸せなことではありませんから。こんなことを土曜日の夜に一人考えています。

2016年5月15日日曜日

矛盾を感じながら

僕の好きな番組の中にNHKの「ドキュメント72時間」という番組があります。同じ場所で72時間カメラを回し続けて、そこに登場する人たちにその場所に来ることになった事情などをインタビューするというものです。その中でこんな話がありました。


場所は仙台の食堂。仙台には震災以降、復興景気で人が来られたそうです。津波を防ぐ防潮堤を作る建設業のある男性。仕事を求めて大阪から。その方は復興の仕事に就くことに後ろめたさがあったと言います。

建設業は何かが壊れないと、潤わない。でもそれが人の死や不幸の上に成り立っていることに引け目を感じる。そんな思いで現場に行って「復興の工事をさせてもらいます」と言うと、地元の人は「ありがとうな、助かるわ」と言ってくれる。それを言ってもらえると、今生きている人に対してちょっとは手助けできてるんだなと思えて、仕事へのやる気が出てくる。

この話を見たとき、僕の仕事も全く同じだなと思いました。以前にもブログで書きましたが、医療という仕事は人の不健康の上に初めて成り立つ仕事です。これは穿った見方ではなく、一つの事実だと思っています。でもこの建設現場の方の場合と同じように時に感謝してもらえることで、仕事へのやる気が出てくる。なんとも矛盾している話です。でもそんな矛盾を医療人は忘れてはいけない気がするんです。日本社会では医療というと人の役に立ついい仕事(そうでない仕事なんてあるのでしょうか)というイメージがあったり、医療人自身がそう思っていたりします。僕はそんなことはないと思います。不健康な人が来られて、その人を治して、喜んでもらうことでまた僕たちががんばれる。ただそんなことの繰り返しをしている。ただそれだけのことです。





2016年5月6日金曜日

ブログを通して伝えること

気がつけばブログを書き始めて3年が過ぎていました。いつも僕のブログを読んでいただいている方々に改めて御礼申し上げます。ありがとうございます。

ブログを書きながら、いつも僕が心がけているのは読んだあとの「後味」です。せっかく読んでくださっているのだから、ブログを読んでいる人の目を汚したくない、読んだ後にいい余韻が残る、後味のいいブログにしたいです。でも今の自分のブログで僕自身が満足できないでいます。

この3年間、文章を書くことをの難しさを感じ続けてきました。文章を書くということは何かの主張をすることになるので、必ず反対側の意見が言えてしまう。善があれば、悪があり、光があれば闇があるように、どんな言葉も2つの側面での解釈ができてしまうからです。それを意識しすぎて、書きにくいなと思ってきました。もうそういう考えは捨てたいと思っています。自分らしい考えを迷わず書きたい。そのためには自分の考えを熟成させる時間をもっと持つべきだという結論に達しました。

そこで自分の文章をもっと検証して、数は多くなくても、より後味のいい質の高い文章にしていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

2016年5月2日月曜日

お客さんにフィットするように

先日、ある勉強会で東京に行ったときに、いつものようにアプリで調べて、おいしいと書いてあった会場近くのラーメン屋さんに入りました。そこは若い男性4人でされている元気のある小さなお店でした。お店に入った瞬間から耳障りのいい丁寧なあいさつ、座るとすぐにカバンをおけるカゴを持ってきてくれて、メニューの案内、そして目の前には黙々と1杯のラーメンに向き合う店主らしきこれまた僕と同世代くらいの男性。入った瞬間からこのお店の雰囲気、サービスが僕にフィットしているなと感じました。うまく表現できないのですが、そのお店にいることが心地いいんです。ラーメンはもちろん美味しかったですが、その前からすでに僕の評価はうなぎのぼりでした。僕は一人でラーメンが出てくるまで「心地いいなあ」と唸っていました。

僕も小さなお店をしている身ですので、このような体験はすごく貴重なものに感じます。多くのお店はお客の一人である僕にこんなにも深い印象を残してくれませんし、正直なところ学ぶことは反面教師なものがどうしても多くなります。

無論、すべてのお客さんにフィットさせることは困難であったとしても、できるだけ多くのお客さんにフィットさせていくことを目指したいと改めて感じた体験でした。

2016年4月27日水曜日

精神療法は融通無碍

外来で診療する精神科医の武器として大きく2つあります。精神療法と薬物療法です。ただ、今の段階では薬中心で治療していこうとすると限界があると僕は感じています。なぜなら薬の種類は限りがあり、患者さんの状態の種類は無限だからです。薬の規格に収まらない人がいて当然ですよね。一方で精神療法は患者さんと治療者で一緒に進めていくもので、いわば融通無碍です。そうすると、文字通りオーダーメイドの治療ができるわけです。これから薬物療法も遺伝子研究の進歩からオーダーメイドの時代に入ると言われています。薬物療法と精神療法の療法がオーダーメイドになれば、この両輪で精神科診療はかなり楽なものになります。そんな夢のような日が早く来て欲しいものです。

2016年4月20日水曜日

力のおすそ分け


僕自身のケアのため、癒しを求めていつも行く奈良のお寺で牡丹の蕾を見つけました。春ですね。この蕾にあまりに大きな力をいただいて、独り占めするのがもったいなくてブログに挙げてみました。この日は雨が降った翌朝で露が葉を湿らせてくれて、より瑞々しい美しさを与えてくれました。

2016年4月17日日曜日

どう意味づけするのか

震災のあとになんらかの精神疾患を発症する人とそうでない人がいます。なんでこんな違いが生まれるのでしょう。勝手な僕の考えですが、それは「意味づけ」の違いだと考えています。つまり目の前で起こったことを自分がどう意味づけするのかの違いです。こんなに辛いなら死んだほうがマシだと思うのか、いやこんなことで死んでたまるかと思うのか。どう意味づけをするのかは自分次第です。最近流行っているアドラーがこんなことを言っています。

「我々が状況に与える意味によって、自らを決定するのである」

目の前に起こっているすべてのことは善にも悪にも意味づけできます。僕のおすすめの方法は普段から目の前に起こることにいい意味づけをする練習をすること。そうすれば何かが起こったときに、いい意味づけをする習慣がついているので、いろんなことにいい意味づけをしやすい。こうすれば少しでも人生が楽に生きられるのではないでしょうか。

2016年4月13日水曜日

仕事は楽しいのか

仕事を楽しむことが大切だ。こんな言葉をよく耳にします。仕事って、楽しめるのか。頭の中でいろいろ考えてみますが、今の僕にはまだその言葉の真意が完全にはわかりません。

僕の場合、仕事というのは大きく4つあります。

1. 患者さんと接する診療
2. 経営を含めたクリニック全体のシステムを考える
3.当院のスタッフのことを考える
4. 臨床の技術や医学の勉強

このうち、1については楽しいと思ったことはまだありません。なぜなら僕にとって診療はスポーツの試合本番や将棋の対局のようなもので楽しむというよりも必死で患者さんの状態をよくする方法を考える時間です。楽しむって言葉には何か余裕のようなものを感じます。一方で2、3、4については正直、楽しんでいます。小さなクリニックですが全体のシステムをどうするのか、スタッフとクリニック全体をいかに盛り上げるか。そして臨床をうまくするために勉強したり、患者さんとの診療を思い返してあーでもないこーでもないと考える時間。この時間は最高に楽しい時間です。試合本番で結果を残すための準備やトレーニングの時間とも言えます。そこで学んだことや思いついたことを試合本番で使うわけです。当たり前ですが、この時間がない限り臨床がうまくなるわけがありません。

結論からいくと僕の場合、皮肉な話ですが診療時間以外は十分に楽しめているのかもしれません(笑)。しかしいつの日か、診療自体を心から楽しめる日が来てほしいものです。

2016年4月10日日曜日

求めない時間を持つと心が静かになる

「求めない」から始まる加島祥造さんの詩集を読みました。人は求めないわけにはいかないから求めてもいいんだけど、求めない時間を持つと心が静かになる。そんな詩が出てきます。

この詩集を読んで、自分を振り返ると、寝てる時間も含めて24時間365時間、自分が常に何かを求めて生きて来たことに気付きました。でも実は、この詩集に出会う前から常に求める自分の生き方が自分を疲弊させていることには薄々気づいていました。この詩集に出会ってから、詩集を読ん出るはずなのに、大自然に中で自分が解放されている感覚を覚えました。1日の中で求めることをやめる時間を少しでいいので作ってみるのはいかがでしょうか。決して難しいことではありませんし、誰にでもできることであり、ご自身の心の姿勢次第です。すると、本当の意味で自由を得られ、心が静かになるかもしれません。

2016年4月7日木曜日

苦言をもらえるという幸運

当然ですが、社会人になって、何度となく苦言をいただきてきました。病院に勤務しているときには耳が痛いことが多く、その苦言が聞けるかどうかは相手の方の意図や言い方で決まっていました。良かれと思って言ってくれていればもちろん素直に聞けますが、少しでも悪意が入っていたり、その方のストレス発散かなと思えば、表面的には聞きますが、ほとんど頭には入っていませんでした。どちらかと言えば、勤務医のときは半分以上は真面目に聞けていなかったと思います。

ところが、クリニックを開業して、患者さんから苦言をいただくとなると、不思議なことにほとんどの苦言を聞けてしまうんです。それが自分でも不思議でした。その理由を考えてみると、まずは何よりも自分が開業しているという時点でいただいた苦言が改善すべきかどうかを検討するのに必死になります。だって誰も守ってくれませんから。2つ目にわざわざ苦言を呈してくれるということ自体がすごいことだなと思うんです。なぜならわざわざ僕に苦言なんて言わなくてもいいわけです。僕自身もたまたま1回入ったお店で対応が悪かったり、満足できなければもうそのお店には2度と行きませんし、何が満足できなかったかなんてわざわざ言いません。だいたい面倒じゃないですか。黙って、もっといいお店に行けばいいだけで、そのお店にこだわる理由なんてありません。わざわざ苦言を呈してくれるということは、残念だったという気持ちがあったか、次回に期待して僕たちに言ってくれている可能性があります。

また誰かが(神の啓示か)僕に改善すべき点を教えてくれてるんじゃないかとも感じます。苦言を言われてる方がどんな意図があれ、それが何らかのヒントになる可能性があります。それらを全てではありませんが、自分を責める材料ではなく、改善点として受け止められるようになりました。

こうやって考えると、結局は自分で開業するから、苦言を聞くときの姿勢まで自分の中で変わったのだなと思います。苦言をもらえるという幸運に感謝です。

2016年4月2日土曜日

清潔であること


4月ですね。ニュースでは新年度、新入社員やら、大阪では今週末は花見で盛り上がっていますね。新年度に合わせたわけではありませんが、クリニックの門を開業して初めてスタッフがきれいに再度塗り直してくれました。当院は大通りに面しており、人や車の行き交う中にあるので雨風に立ち向かってクリニックを守ってくれている大切な門です。自分が開業してから、いろんなお店の看板や内装を見るようになって、「お金をけちらずにきれいにしたらいいのにな」と思うことが頻繁にあります(もちろんそれぞれに事情があられるのでしょうが)。僕自身もクリニックの門はずっと気になっていて、開業しているある友達が指摘してくれて、早くしなければと思って、今回きれいにしてもらいました。お客さんの目線であれば、そのお店が清潔かどうかは無意識に目に入ります。でも経営者側はそれを見逃すことが多い。もしこのブログを読んでくださっている通院中の患者さまの中で、クリニックに関するご意見(外装や内装に関わらず)がある場合には速やかに当院スタッフの誰にでも(僕も含めて)教えてください。よろしくお願いいたします!

2016年3月30日水曜日

人は自分をいじめたがる

子供がこんな風になったのは自分のせいだ、あの時自分が友達に言った言葉のせいで関係が悪くなったんだ、自分がもっとこうしてあげていれば。こういう後悔をよくお聞きします。特に家族や友人など親しい間柄の場合にこの傾向は強いようです。

なぜ人は何か辛いことがあると、いとも簡単に自分のせいにするのかなと考えました。第三者からすれば、そこまで自分を責めなくていいのにと感じることは多い。その理由は自分を責めることが一番簡単で、親しい周囲の人を責めなくて済むからです。自分を責めるということは一種の自傷行為です。自分を傷つけることで一旦、目の前のしんどいことに蓋ができた気分になれる。この行為を続けると、心がしんどくなり、うつ病やうつ状態になるように思います。


本当の目的は悩みや問題の解決のはずです。しかし自分をいじめると、心がしんどくなるので元気がなくなり、余計に問題解決の冷静な判断はできなくなります。そんな時は自分をある程度責めたら、その判断がそれでいいのか周囲の人に相談してほしいなと思います。自分を責めている思考を自分で覆していくことは至難の技です。自分をいじめてもいいことは何もありません。自分のことを大切にしてください。

2016年3月23日水曜日

治療とは緊張を緩めること

先日の連休に臨床動作法という心理療法を勉強してきました。臨床動作法とは1960年代に日本の先生が開発したもので、身体的アプローチから心身ともに緊張を緩和するもので、リラクゼーションにもなります。

緊張は人が生きていく上で自分の身を危険から守るために必要不可欠な機能です。多くの人は毎日生活の中での緊張は避けられません。でもその緊張の度合いが強いと、自律神経が乱れて調節がうまくいかず様々な心身の症状が出現します。精神科に来る人は子供も含めて緊張していない人はいません。本当にリラックスできているなら精神科に来る必要はまずないでしょう。緊張が症状としてでたものが、たとえば子供ならチックですし、大人ならパニック障害などの不安障害です。

臨床動作法は緊張を緩める治療法です。この治療法を学びながら、僕らが日々しいてる精神療法は対話(言語、非言語)を通して緊張を下げるものだと思いました。人は緊張の度合いが過ぎると、その緊張に気づかないようです。逆に言えば、自分の緊張をいかに緩めるのかがとても重要だということです。人は自分を緊張させることは得意ですが、緩和させることは得意ではありません。緊張を下げるものとして食事、睡眠、お風呂、信頼できる人との会話、泣くことや笑うこと、ヨガなどの軽い運動はもちろん、旅行、お酒、薬、鍼灸など、人は緊張を緩めるために様々な手段を用います。ご自身に合った緊張を緩める方法をできるだけたくさん探してみてください(これはそれほど簡単なことではないかもしれません)。そうすることで心身が楽になるだけでなく、心身の病気の予防につながると思います。

2016年3月16日水曜日

大部分の良識のある患者さんのために

電車の中で「車内での携帯電話での通話はご遠慮ください」、レストランで「大きな声での会話はご遠慮ください」など、ルールを守る人にも守らない人にも最初からいろんな注意書きを示されているのを数多く見ます。お店によっては、ペットに関するもの、子連れに関するもの、食べ残しに関するもの、食べ物の持ち込みに関するものなど、注意書きの張り紙だらけで、自分がお客さんとして気分を害することもあります。

この是非はともかくとして、開業してまだ2年半を過ぎたところですが、当院のような小さなお店でも、ごくごくたまに僕たちには理解できない要望をいただきます。診察室にお呼びするのが予約時間を少しでも過ぎるといつ呼んでもらえるのかと窓口へ来られる、待合室の雑誌を持って帰っていいか、以前にもらった診断書をコピーして窓口で渡してくれないか、診断書がやっぱり要らなくなったのでお金を返してくれないか。これまでの僕はあまりにも印象が強かった要望に対しては院内の張り紙でその要望には答えられない旨を掲示していました。掲示しながら僕自身も不快で、本当はこんな掲示なんてしたくないのに、これをどうしたものかとずっと考えてきました。そんな中最近、気づいたことがあります。上記の要望も含めて、あれ?と違和感を感じる患者さんは僕の印象では実は1%に満たない方々でした。しかも開業した当初から比べて確実に減っています。つまり例外中の例外なわけです。その例外中の例外の方に対しての文章を掲示するなんて、残りの99%以上の方に失礼であり関係のない話です。そこで、院内掲示は頻度の多い要望や出来事に対しての掲示だけに絞ることにして、対応できないことは丁寧に口頭でお伝えすることにしました。何が正解かはわかりませんが、僕にとっては大切な経験の一つになりました。当院ではこれからも大部分の良識のある患者さんのために質の高い医療とサービスを提供していきたいと思います。

2016年3月12日土曜日

まだまだ感覚で治療してる

今の僕は定期的に何人かの先生に自分の治療について相談したり見てもらったりしています。その中のある先生に僕の診療で改善すべき点をお聴きしたところ、「先生はまだ感覚で治療していますね」と言われました。この言葉は僕の心にずしりと重く響きました。自分でも思い当たる節があったからです。

精神科医になりたての頃はただ必死にどうしたらいいのかを考え、間違いなく感覚でしていたと思います。ただここ数年は理論や技法に基づいて治療するようになり、変わってきているのではないかと淡い期待を自分の治療に持っていました。もちろん、感覚(センス)は大変大事なことであり、もしかしたら治療の最終型としては感覚が最も大切なのかもしれないとも思います。ただ、今の僕のレベルで感覚を中心にしてしまっているのであれば、それは違う。理論や技法などの基本をまずはちゃんと身につけた上で、感覚ならありですがそれができていないのに感覚が先に来るのは違う。人は「センスがいい」という言葉をよく使いますが、それは基本ができた上でのセンス。感覚やセンスが中心ならそれは単なる我流です。我流でできるほど精神科の診療は甘いものではありません。感覚でするのではなく、基本に立ち返って自分の治療を見つめ直したいと思いました。

2016年3月9日水曜日

最大の広告は日々の医療とサービス

チラシ、宣伝、ホームページなどの広告。どんな業界でも行われていることだと思います。医療機関ももちろんこれを行っています。広告を出すことは自分たちがしていることを広く知ってもらうために必要だとは思います。しかし広告をあまりに一生懸命しているところで、いい医療機関を見たことがない気がします。どんな業界でもこれは同じでしょう。

僕は他の業界のことはわかりませんが、医療においては広告にエネルギーやお金をかけるのなら、医療とサービスの質の向上に力を注ぐべきでしょう。いくらチラシが豪華でも、有名人が出てくる宣伝でも、素晴らしいホームページでも、患者さんが喜んでくれない医療やサービスならいずれ淘汰されるだけだからです。医療機関の最大の広告はチラシ、宣伝、ホームページではなく、日々の医療とサービスです。質の高い医療とサービスを行えば、自ずと患者さんは来てくれる。僕はそう信じています。


2016年3月5日土曜日

患者さんと僕らの感覚の差を埋める作業

自分は患者さんのことをわかっているつもりになっていないか。自分のしていることを患者さんはどう感じているのか。それを追いかけない限り、精神療法やカウンセリングの質の向上はあり得ない。どんな素晴らしい勉強会もどんなに有能な先生のお言葉よりも、目の前の患者さんの言葉や反応が一番大切。これが僕の現段階での結論です。

医者は「患者さんに向き合う」とよく言いますが、実際は独りよがりになっていることが多い気がします。話を聞いている風に見えて結局のところ医者個人の意見を押し付けている、なんてのは一番多いものではないかと思います。もちろんこちらも人間なので、患者さん全員に完全に合わせるのは不可能だとしても、まずは一人一人の患者さんに向き合うことを本気でしないと本当の診療とは言えない気がします。ここでいう向き合うとは患者さんやご家族の考え、ニーズを知り、それに対して応えていく。それだけです(でもこれはそんな簡単なことではなく、実際には技術が必要です)。

僕が診療をしていて一番ストレスを感じるのは、不満げな顔をして帰っていく患者さんを見るときです。こんなことを言っていいのかわかりませんが、僕はこれが耐えられません。医者になってこの10数年の間、僕の診察室から出ていく不満げな患者さんを数多く見てきましたが、医者としては最高にしんどい瞬間です。この表情を見たくないから勉強をしていると言っても過言ではありません。むしろ、この不満げな顔をずっと見過ごせている人たちを見ると、その人の図太さ、強さを感じます。僕は弱いので、それに耐えられません。

じゃあどうしたらいいのかな。そこで診療に対する患者さんと僕らの感覚の差を埋める作業をしようと考えました。具体的には初診の患者さんすべてにアンケートをとることを始めました。初診のあとにその日の診療やカウンセリングを実際どう感じたのかを患者さんから教えてもらう。もちろん本音で。その本音を引き出すことが日本という国ではかなり難しいのが実際に始めてからの実感です。しかしそれを極限まで本音を出しやすくする工夫はこれからの課題です。それを当院のスタッフたちにフィードバックして、アンケートに答えてくれた患者さん、そして次の新しい患者さんに還元していく。これが患者さんに満足してもらうための最も重要な作業であると思っています。

2016年3月2日水曜日

以前の我が子と比べてください

親はどうしても他の子どもさんと我が子を比べたくなるものです。特に発達障害のお子さんをもつ親御さんは幼稚園や学校で他のお子さんと比べて、それでショックを受けられます。もちろん、健常のお子さんとの違いはあるのでそれは否定できません。しかし、それでご自身を責めたりするというのはやめてもらいたいなと思います。自分を責めてしまうと、一番大切な子供と向き合うときのエネルギーが削がれてしまいます。

大切なことは比較の対象は他のお子さんではなく、以前の我が子であるということです。そこで伸びているかが一番大切です。1ヶ月前より、1年前よりも伸びている(できることが増える)ことが大切です。僕がこのように考えるのは、発達障害のお子さんをもつ親御さんがご自身の子供と向き合い、子育てや療育を続けていくことは並大抵のことではないからです。そのためには以前のお子さんと比べてもらうことで、少しでも希望を持って、日々の子育てや療育に向き合ってもらいたいと思います。

2016年2月24日水曜日

僕という人間との出会いを通して楽になりますように

僕が診療に向かうときにいつも願うことがあります。

僕という人間との出会いを通して、目の前の患者さんが楽になりますように。

これは医療をする人間なら誰でも思うことでしょう。僕と出会う患者さんに、「また明日から生きてみてもいいかな」と思ってもらいたい。患者さんの心の中で消えかけている希望の灯火に少しまた火を灯したいじゃないですか。僕が医者だからとかそんな表面的な理由ではなく、そう思ってもらえるような人間になりたい。これは僕個人の人間としての望みというか、欲求であり、今の僕の目指す究極の型かもしれません。

2016年2月21日日曜日

たまには無意識もいい

道を歩いていてすれ違った人が切符を落としたのを拾ってあげる。こんな経験ってあると思います。多くの人はこれは無意識にするでしょう。

上司に気に入られたいからゴマをする。これもよく経験することだと思います。でもこれは意識的にしますよね。

この2つって、どっちがお互いに気持ちがいいでしょうか。

無意識にしていることを意識してしようとするとそれは嘘になります。無意識に人を傷つけていることもあるので、それは修正していくべきですが、自分が無意識にしていて周囲が喜んでることってありますよね。僕はその理由は知らない方がいいなと思います。その理由を知らない方がその行動を続けられるし、人が感動する瞬間って、相手が無意識にしている瞬間だから。人はなんでも意識しようとしますが、たまには無意識もいいなと思います。


2016年2月18日木曜日

目を見ただけでわかるんですよね?

「先生は目を見ただけでわかるんですよね?」

これは僕が実際に患者さんに言われたことがある言葉です。言うまでもありませんが、ありえない話です。僕は占い師でもなければ読心術もできません(笑)。

精神科医は「心の専門家」と思われているかもしれませんが、僕は自分も含めて精神科医をみていて、この人は「心の専門家」だと思ったことはありませんし、そもそも精神科医は人の心はわかりません。しかも心をわかるから治療ができるわけでもありません。ただ、人の心をわかろうとする努力はします。

弁護士は法律の専門家、消防士は消防の専門家、学校の先生は教育の専門家、魚屋さんは魚の専門家、料理人は料理の専門家などなど、世の中には専門家と呼ばれる仕事がたくさんあります。ただ、専門家と呼ばれる人たちで、自分の専門の内容についてしっかりと答えられる人はほとんどいないのではないでしょうか。つまり肩書きと実際は違うということです。一般に専門家と言われるべき仕事でも、そうでないことは自分の仕事を振り返ればわかります。これはどんな仕事でも同じではないでしょうか。でもその道を極めようと努力している人のことを専門家と呼ぶと僕は思っています。その道に完成や終わりなんてありませんが、その努力を続けられるかどうかが、専門家とそうでない人の違いな気がします。

2016年2月13日土曜日

患者さんと医者の共生

患者さんの中には通院しはじめていた頃の問題はほぼ解決し、その後も通院していただける方がおられます。なんと表現すればいいのでしょうか、医学的な診療という堅いものではありませんが、ご自身やご家族の日常生活のこと、身の回りで起こったことなどいわゆるいい意味での「世間話」をしてくれる方です。町医者という特性なのかわかりませんが、僕にとっては本当にうれしいことです。なぜなら、世間話ができるということは当初の問題は解決したか、その問題自体が消えてしまったかのどちらかを経て、「こいつなら話をしてもいいな」と思っていただけているからです。「何もないけど、冬休みなので来ました」、「今日ようやく仕事の休みが取れたので先生の顔を見に来ました」とか、そんな言葉だけで、僕は内心小躍りしています(笑)。時間ができたのでいつもの八百屋さんの親父さんにおしゃべりするみたいな感覚。僕の理想です。大げさに言うならこれを患者さんと医者の共生とでもいうのでしょうか。そんな方々に僕自身が支えられている気がします。

2016年2月9日火曜日

所詮は潮流の中にいるだけかもしれない

人は自分の日々の物事がうまくいくように自分なりに努力したり、危険を回避したりしています。でもそれがうまくいったり、うまくいかなったりします。あるいはまさに青天の霹靂のような出来事に出会います。それを考えると、自分ではうまくやったいるつもりでも、実は大きな潮流の中にいて、その流れの中で小さな小さな自分が頑張っていたり、もがいたりしているだけなのかなと思います。
自分なりの工夫や努力は大切だと思いますが、あまりうまくやろうとせず、潮の流れに身を任せるほうが意外にうまくいったり、気楽に生きていけるのかもしれません。

2016年2月6日土曜日

スムーズさと小さな感動があれば

お店に入って、「いらっしゃいませ」のあいさつを受けて、コートを預けて、着席し、メニューを提示されて考えて、注文して、料理が来て、それを目で見て、箸をとり、実際に口に運び、味わって、さらに追加の注文をし、食して、会計をして、預けたコートをもらって、「ありがとうございました」の言葉を受けて、店を出る。

これを当院に置き換えてみるとこんなことになるのかなと想像します。

クリニックに入って、スタッフのあいさつを受けて、診察券を渡して、待合室へ誘導されて着席し、今日の悩みについてどう話をしようかと考えて(あるいは自分のメモを見ながら)、待つ時間のあと、診察室へ誘導され、実際に診察室に入り、着席し、話したいことを話しして、診療という対話を通して少しばかりの希望や対応を持って、診察室を出て、待合室で再び待って、誘導に従い、受付で会計と予約をして、「ありがとうございました」の言葉を受けて、クリニックを出る。

この2つはあるお店に入って、出るまでという過程の中で、保険診療ということ以外、少しも違わない気がします。お店に入るたびに、僕自身、そのお店の中で起こることを無意識にチェックしている気がします。店員さんの対応で、そのお店がどんな準備をしてきたのかをすぐに感じることができます。料理に関する質問につまれば、「ああ、そこまでだな」と内心がっかりします。

僕がこんな細かいことまでに敏感になるのは当院に来てくれた患者さんが当院でどんなことを思って帰るのか、これが一番気になるからです。これが個人商店の主人の性なのかもしれません。自分がそのお店の中で起こったことがスムーズになんの引っかかりもなく進み、ときに少しの感動があれば、一人のお客として心地よい感覚になるのではないか。そんな体験を当院の患者さんにもしてもらいたいです。

2016年2月1日月曜日

ずっと未完成なクリニックでありたい

開業して2年半が過ぎました。開業当初5人のスタッフで始めて現在13人になりましたが、今もひたすらサービスと医療技術の向上を目指す未完成な児童精神科クリニックです。

ニトリの社長、似鳥昭雄さんが言っておられました。

「完成されたものほど、つまらないものはない」

まさに今の僕の気持ちです。当院のスタッフはほとんどがまだ20代であり、僕自身もまだまだ若輩です。僕たちと一緒にちゃんと患者さんを治療したいと思われる精神科医の先生、患者さんに真摯に接したいという受付の方を募集しています。精神科医が大切であることは言うまでもありませんが、はじめて患者さんに対応する受付は精神科医以上に大切な存在であり、その対応で治療の優劣が決まるといっても過言ではありません。

僕がいつもスタッフに要求するのは患者さんがよくなることへの情熱と結果です。今、実力はなくても、いつの日かそうなりたいという情熱を持っている方をお待ちしています。その情熱が結果に結びつくと信じているからです。

ご自身が完成されていると思われる方は当院には来ていただきたくありません。一緒に成長していきたいと思う方をお待ちしております。

これからもずっと、スタッフみんなで一緒に作り上げていく未完成なクリニックでありたいと心から思っています。

2016年1月25日月曜日

仕事は人の為ならず

          患者さんのためにがんばる
    
       ↙︎                 ↖
 
患者さんが喜んでくれる   →    僕たちが幸せ

これは僕がうちのスタッフに去年の当院の方針をお話しした時に使ったスライドにある循環図です。多分、これはどの仕事でも同じですよね。


「情けは人の為ならず」

僕はこの言葉が好きですが、それと同様、

「仕事は人の為ならず」

ではないかといつも思っています。人は他の誰でもない自分のために仕事をしているのでしょう。

2016年1月20日水曜日

精神科医は診察のことをどう思ってるんだろう

昨日の新聞に「服薬自殺未遂者に精神科医の診察は重要」という記事がありました。その内容はこうでした。

薬の過量服薬で自殺をしようとして入院した人の中で精神科医の診察を受けた人のほうが、再び過量服薬する割合が低くなったことが調査で分かった。専門家は「自殺を繰り返させないために精神科医は診察の有効性を理解して患者に接してほしい」としている。

この記事を読んで僕はすごく衝撃的でした。「精神科医は自殺に対する診察の有効性を理解していない」という前提に聞こえます。いや、確かに精神科医自身が自殺しようとした人に対して診察の有効性をそれほど理解していないことがあるかもしれない。こんなことが頭の中を巡りました。自殺に対して精神科医が自分の診察の有効性を理解していないなんて悲しすぎませんか?じゃあ、精神科医は自殺を止められないのでしょうか?(すみません、これ誰に対して叫んでるのでしょうか笑)。ターミナルケアなどの一部を除いて、医師としてはできる限り患者さんの死を防ぐことが最大の使命であると思います。精神科において最悪の事態である自殺を止めるために精神科医はこの世にいるのではないでしょうか(ここ最近は日本の自殺者が減少傾向にあります)。このような調査が行われるような精神科医に対する前提を変えていかなくてはならないと思います。

2016年1月17日日曜日

同じ質を保つことの難しさ

オープンしたての頃に行ったことのある居酒屋さんにまた行ってみました。オープン当初のときの印象は威勢が良く、サービスもお店の清潔さも心地よく、また来たいなと思わせてくれるものがあり、2回目の訪問を楽しみにしていました。しかし、お店に入って、座った途端、テーブルの上にはほこり、威勢がいいのは店長さんだけで、店員さんの威勢やサービスはどこに行ってしまったのかという様相でした。

自分が開業して、一つのお店を維持するという感覚にあるせいか、他のお店の店員さんの動き、サービス、清潔さはもちろんのこと、新規のオープン、閉店も気になります。新しくオープンしたときは誰でも緊張感を持っているため、サービスや清潔感はほとんどのお店で質が高いと思います。しかし、その高い質を維持していくことは簡単なことではないようです。逆にその質を維持できるお店だけが長く続けられるのでしょう。人の振り見て〜ではありませんが、その居酒屋さんでの光景に気持ちを改めて引き締められました。

2016年1月13日水曜日

我が子との距離を模索していくことが子育て

我が子がよちよち歩きの時、こけないように手を持ってあげます。幼稚園に入って制服をうまく着れない時に着せてあげます。小学校に入って時間割ができないときに手伝ってあげます。その年齢に合わせて、どこまで手伝ってあげるのかの判断は子供や環境によって個人差があり、判断はとても難しいところです。どこまで手伝うのか、手伝わないのかの判断の基準はその子がどこまでできるのかをよく観察しているかであると思っています。

よく観察しているのに、子供がかわいいから手伝いすぎたり、期待しているから干渉しすぎている親御さんに出会います。非常にもったいないことです。ちなみにですが、勉強、スポーツ、芸術など、何かに一生懸命なご家庭に多い気がします。

NHKに白熱教室という世界の有名大学の中で特に人気の高い教授の講義を一般の人に公開している様子をテレビで見せてくれる番組があります。その中でソウル大学のキム・ナンド教授がこんな話をされていました。あるソウル大学の学生が大学に入学したとき、高校生のときにまでにはなかった社会での経験をして、「お母さんは社会で生きて行く上で必要なこと以外はすべて教えてくれた」と言ったそうです。あまりにも皮肉なことですよね。

我が子とどこまでの距離を取るのか、本当に難しい問題ですが、徐々に離れていかないといけないことだけは間違いありません。その距離の取り方を模索していくことがまさに子育てなのかもしれません。

2016年1月9日土曜日

人の役に立っているという感覚が自分を元気にしてくれる

たくさんの人にお会いする中で、元気になりやすい人にはある傾向があると感じます。

それは誰かのためにやるべきことを持っている人ほど、辛い状況からでも元気になりやすいという傾向です。人は自分のために生ているように見えますが、自分だけを見つめていると本当の意味で心から楽になれない気がします。誰かのために生きていて、そこで自分に返ってくる感謝の言葉や気持ちを通して、自己肯定し自分を元気にするのではないか。もっと言うなら、自分のために生きているようで実は他の人のために生きていて、他の人のために生きているようで実は自分のために生きている。実は自分も他の人も実は繋がっていている。そんな気がしてなりません。

スーパーの福島屋の会長、福島徹さんがこんなことをおっしゃっていました。

「自己利益の追求だけでは頑張りきれない。人のための方が頑張れる」

僕はここからさらに大きく解釈して、人にために頑張って生きていると辛い時に自分が元気になりやすい。もっと言うなら、人の役に立っているという感覚が自分を元気にしてくれる。実は他の人のためにできることを探してみるのも、自分が元気になれる道なのかもしれません。

2016年1月6日水曜日

師弟関係っていいな

みなさんは年末の「赤めだか」をご覧になったでしょうか?落語家、立川談春さんの前座時代を描いたご本人原作の本をドラマ化したものでした。弟子の考えていることを慮ってくれる師匠、立川談志の思いやりにほろっと泣いてしまう場面がいくつもありました。以前に原作を読んだ時もほろっときましたが、ドラマでもほろっときて、本当にいいお話だなと思いました。

今の日本の時代の流れには合っていないかもしれませんが、僕自身、徒弟制度というのは正直、好きです。尊敬する人を師匠と慕って、弟子になり、そこに師弟の愛情が生まれる。技術だけでなく、人間としても尊敬できる師匠に会いたい(技術と人格は全く別物であると僕は考えています)。そんなことを医者になってから夢想していました。それで実際に今の段階で2人の師匠と呼べる人に出会うことができました。2人の師匠には心から感謝しています。

こんなことを考えていると「啐啄同時(そったくどうじ)」という禅の言葉を思い出します。卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がコツコツとつつくことを「啐」といい、ちょうどその時、親鳥が外から殻をコツコツとつつくのを「啄」といいます。雛鳥が内側からつつく「啐」と親鳥が外側からつつく「啄」とによって殻が破れて中から雛鳥が出てくるのです。両方が一致してはじめて雛が生まれるわけです。弟子が実力をつけてきていることに師匠が気づき、機会を与えることで悟りが生まれる、つまり大事を成すということです。素敵だと思いませんか?僕も師匠にそんな機会を与えていただけるように精進したいと思います。

2016年1月1日金曜日

すべては臨床がうまくなるために

明けましておめでとうございます。ここ最近考えていたことを今年初めてのブログにしたいと思います。

人に与えられた1日の時間はみんなに平等で24時間です。僕にとっての24時間を考えてみました。

僕にとって1日で最も長い仕事の時間、その中でも診療の時間。これは僕には最も重要な時間です。他にはご飯、睡眠、家族、友達、運動、勉強、遊び、読書、旅の時間などなど、挙げればたくさんあるように見えますが、それらすべての目的は1つに収斂されることに最近、気づきました。それはオーバーでもなんでもなく、すべては臨床がうまくなるための時間であるということです。臨床がうまくなるためには日々の診療と勉強は基本ですが、それ以外の時間は僕のコンディションを整えてくれたり、視野を広げてくれる時間です。つまり、すべて僕の生業である臨床がうまくなるための時間と言えます。当たり前といえば当たり前ですね。すべての仕事人は同じではないでしょうか。

僕の大好きなプロ野球の川崎宗則選手が、野球がうまくなる薬があるなら借金してでも買いたいと言っていた言葉を思い出します。僕も臨床がうまくなる薬があるなら、すぐにでも借金します。でもそんな薬はないから、臨床がうまくなるために明日からの1日24時間もいろんなことに使いたいと思います。