2015年11月25日水曜日

虐待という言葉の功罪

虐待という言葉が新聞で多く見られるようになりました。
厚生労働省の虐待の定義にはこうあります。

虐待は4つに分類されて、その中には身体的虐待(殴る、蹴るなど)、性的虐待(子供への性的行為、性的行為を見せるなど)、ネグレクト(家に閉じ込める、食事を与えないなど)、心理的虐待(言葉による脅し、無視など)がある。もちろん、この4つについてはさらに多くの状態が含まれます。一見、殴る、蹴る、無視するなどを見ると、昔ならどんな家庭にもあったのではないかと思えることがあります。

虐待という言葉があることで、昔であれば助けられなかった子どもたちを救えていることは間違いありません。小児科医として、精神科病院の勤務医として、子ども家庭センターで嘱託医として働いていたとき、僕自身が児童相談所に通報して、親御さんにも説明し、虐待を受けた子どもたちが一時保護されて施設に入所していく姿を目の当たりにしてきました。虐待という言葉が今くらい広がったからこそ救えた命だと思います。

一方で、虐待という言葉がはびこりすぎて、虐待という言葉に敏感になり、「私は子供を叩いてししまいました。これは虐待じゃないかと思うんです。子どもを叩いていいんでしょうか?」。涙ながらにこんなことを語るお母さんに本当によくお会いします。叩く=虐待という考え方。叩けとは言いませんが、叩くという行為を全面的に禁止する中で、子育てが実際に可能なのでしょうか?「ほめて育てましょう」、「子どものいいところに注目しましょう」。耳障りはいいですよね。これで育児ができる子は確かにいます。でもそれで育児が難しい場合にはどうしたらいいのでしょう。叩くことを奨励しているわけでは決してありません。叩く=虐待という短絡的な解釈はまずいなと思うのです。

僕が一番多く出会うパターンをご紹介します。

怒ってはいけない、叩いてはいけないから優しく子どもに注意する→子どもはきかない→また優しく注意する→それでも子どもはきかない→少しイライラしながら注意する→やはり子どもはきかない→これを何度か繰り返して、最後は親が我慢できなくなって、ドカーンと怒ってしまう→子どもは泣く→親は怒鳴った自分を責めてしんどくなる

このパターンを変えることは難しくありません。1回目に注意するときに「君のその行動は間違っているよ」ということを子どもにわかるように伝えることです。その手段が優しく言うことであれ、きつく言うことであれ、それは家族ごとの考えで構いません。それでダメなら、叩くこともあるでしょう。大切なのは親の言葉が子どもに伝わっているかどうかだけです。

子どもは真っ白な状態で善悪の区別はつきません。生まれたときから善悪の区別がつく人なんていません。当然、間違ったことをします。それを修正していくのが親を含めた周囲の大人の重要な義務であると僕は考えます。

ほどほどに虐待という言葉が広がることを切に願います。

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