2015年5月19日火曜日

子供だからこそ話を聞いてくれる

人は自分の常識や考えを人に伝えたくなる生き物のようです。

他の人を見たとき、「これは違うだろう」と思ったら、自分から見たその人の違うところを一生懸命に指摘して、自分がよかれと思う方向に持って行こうと説得したくなる。その対象が自分の子供であれば、その気持ちはより強くなるでしょう。自分の経験からすると、危なっかしくて見ていられない。それが親の気持ちなのかもしれません。

僕は子供から大人まで、毎日多くの人に出会いますが、僕自身の価値観に照らしてみると、「これは違うかな」と思う方に出会います。でもそれを大人の方に押し付けるというのは違う気がしますし、押し付けたところで当事者であるその方は納得しません。日々の臨床を通して、自分の価値観を押し付けることのちっぽけさを痛感します。僕個人の人生観なんてどうでもいい。

ただ、僕はたまたま子供に接するチャンスがすごく多い。子供たちはどんな環境で育ってきても、大人に比べて、素直で純粋です。つまりこちらが話をしても曲解されることが少ない。すると、僕がその子のためになると思って正論を話すと、翌週にはちゃんと行動を改めてくれる子たちがいます。

「鉄は熱いうちに打て」とはよく言ったものです。

年齢が幼いと、僕たちが伝える大人としての価値観が入りやすい。良し悪しはあるにしても、柔軟であることに変わりはありません。逆に、大切だと思うことを伝えるのが遅くなると、こちらが大切だと思う話は入りにくくなる。

大人になるといろんな技術を使って、話をうまく持っていかないと聞いてもらえないのに、子供だと「今日からは大好きなお母さんの言うことを聞いてね」というだけで、問題行動がなくなることをよく経験します。人としての純粋な部分にいつでも触れられる、児童精神科の醍醐味なのかもしれません。

子どもたちに接する人たちの言葉はそのままその子の心に刻まれる可能性が高い。真っ白なキャンバスである子どものこころにどんな絵を描くのか、それをちゃんと考えて発言しているのか。それが子供に関わる人が考えるべき最も大切なことのように思えます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。