2014年9月26日金曜日

古巣の大阪赤十字病院小児科

小児科時代の先輩にお声掛けいただき、昨日、古巣の大阪赤十字病院で児童精神科について不肖ながら、お話しさせていただきました。

小児科医としての僕の大部分を作ってくれたのは間違いなく大阪赤十字病院です。医者になってからのはじめの2年間の研修医生活はわけがわからないまま過ぎてしまったように感じていました。そんな不安な3年目の僕を先輩方がとりあえず最低限一人で当直ができる小児科医に育ててくださいました。肺炎、腸炎、喘息、ネフローゼ症候群、てんかん、けいれん重積、腸重積、白血病、脳腫瘍、若年性関節リウマチ、川崎病などなど。小児科専門医試験に出てくる疾患をかなりの範囲で勉強させていただきました。

そして、何よりも医者としての姿勢、そして病児を抱えた親御さんの気持ち、子どもの死の瞬間、子どもの回復力のすごさ。

医者になって間もなかった僕にとって、子どもたちについての一番大切なことを教えてもらった気がします。なので、その感謝の念は今も変わりません。

最後に、上の写真は昨日の講演後、日赤の後輩が1年遅れの開業祝ということでプレゼントしてくれました。似てますかね?(笑)

2014年9月23日火曜日

治ってないという自信のなさが患者さんに伝わってしまう

今日も現役の医者がこんなことを書いて大丈夫かなと思いながら綴ります(笑)

最近、ある勉強会で以前勤務していた病院の上司にお会いして、患者さんの治療について僕が疑問に思うことを相談していました。そのときに僕がなかなか治らない患者さんに対して申し訳ないという気持ちが出てきて、それを少し出してしまうということをお話したんです。すると、その上司は「先生、自分の自信のなさは患者さんに伝わってしまうよ」と諭されたんです。

まさにそうだなと思いました。診療をしていて、治療が本当に難しいなと感じる患者さんに出会います。続けて通院してもらうことが申し訳なくなってしまいます。でも考えてみると、その患者さんは何か少しでも良くしてもらいたくて、来てくれているのに、自信のなさが少しでも伝わってしまうと患者さんは不安になる。これはいけないなと思いました。

いくら自信がなくても、そんなことを出してはいけない。時にはやせ我慢も必要。いつかよくなると治療する側が信じて、治療に臨んでいく姿勢を改めて考えさせられました。

2014年9月20日土曜日

話そうか迷ってようやく話をしてくれる時

「こんな話をここでしていいのか、迷ってたんです」

患者さんは家族や近い人にも話せないようなことを勇気を出して、話してくれる時があります。こんなことを話して、変な人だと思われたらどうしよう、馬鹿にされるんじゃないか、ひかれてしまうんじゃないか。その方の内心を想像すると、ご本人としては相当の覚悟を持ってこられたのだなと感じます。

僕がこのときいつも思うのは、

・どんな話をされても決して馬鹿になんかしない、変になんて思わない
・迷って迷ってようやく話すような内容は多くの場合、実はそれほど逸脱した内容ではない
・世間の常識なんてどうでもよくて、その人にとっては大変なことなんだから僕たちができることはしたい

簡単に言えば、「なーんにも変じゃないですよ」と伝えたいです。

人にはみんなそれぞれの事情や物語があります。その人の人生を生きない限り、その人の気持ちを本当の意味で理解する事は出来ません。でも迷った末に話をしてくれるなら、できることをしたい。それは医者というよりも一人の人としてわいてくる感情ではないかと思うのです。

「僕たちは同じ人なんですから。お互いそんな気持ちでお話しましょ」そんなメッセージを患者さんに伝えられたらといつも思います。

2014年9月16日火曜日

青木省三先生のご講演をお聴きしました

先週土曜日、神戸で講演させていただく機会がありました。そこで、僕は前座、そのあとのメインの講演で僕の尊敬する川崎医大精神科教授の青木省三先生のご講演をお聴きしました。

僕が精神科医になったばかりのころに青木先生のご講演、ご著書に感動して、無理をお願いして岡山にある川崎医大病院で青木先生の外来を見学させていただいたことがありました。それから何年も過ぎているはずなのに、青木先生は僕のことを覚えておられ、しかもその青木先生の前座を務めさせていただきました。本当に光栄でした。

ご講演の中で治療しているという「治療感」、援助しているという「援助感」は違うというお話がありました。健康な人が病気の治療をしているという治療感、障害がない人が障害者を援助しているという援助感。そうではなく、病気や障害の程度が軽い人が重い人を援助しているという感覚が大切である。誰しも何らかの病気や障害を持っている可能性がある。

青木先生のお考えの深さを改めて感じました。治療や援助をしているという僕たちが病気や障害じゃないということ自体がおかしな考えであり、治療していると思っている僕たち自身も病気や障害を持っている可能性があるのだということです。人はみんなそれほど大きな差はなく、同じ土俵で生きている。

2014年9月11日木曜日

自分の人生は誰も代わって生きてくれない

親しい人に大変な出来事があると、その人のために何かできることはないかなと思います。そしてそれを掘り続けていくと、その人に対してできることの少なさ、自分のふがいなさを思って、自分まで一緒にしんどくなったりします。つまり、その人の代わりはできません。

一方で自分がすごく辛くなった時はも同様です。その苦しみを誰かが変わりに持ってくれるわけでもありません。一人でそれを胸に抱いて生きるわけです。

こんなとき、自分の人生は誰も代わって生きてくれないんだと強く思います。結局はその人、自分が立ち上がって生きていくしかない。本当に苦しいことは誰も変わりができません(本当にうれしいこともですね)。

でもこれは決して後ろ向きな考えではなく、開き直って、周りにばかり気を遣わず、自分がしたいことを真剣に探して、あとで後悔しないように、一生懸命生きることが何よりも大切なのだと感じます。


2014年9月8日月曜日

発達障害の告知について

病気の告知をするということを医者になってずっとしてきました。小児科では白血病などの悪性腫瘍、心臓や腎臓の疾患、てんかん、神経が傷害されていく疾患、精神科では統合失調症、うつ病、認知症、発達障害など。関わった患者さんの数だけ、重い病気のお話をする機会に遭遇します。

今の僕は発達障害の告知をすることが一番多いかもしれません。発達障害という疾患の特性上、生まれた時から、死ぬまで一生影響を受ける内容です。

ただ、告知という面では他の人生を左右するような疾患とそう大きく違いはないのではないかと考えています。つまり、いずれご本人には伝えなければならないということ。異論は多いかもしれませんが、僕は疾患について本人が知らないというのは周囲の人の自己満足というか、無意味なことと考えています(もちろんその病名を知ることがご本人にとって幸せなのかの判断はご本人しかできませんが)。

「本人の前では発達障害という言葉は使わないでください」

時々ですが、親御さんから言われます。

では発達障害という言葉を使わずして、診療をするというのは実際に可能なのかを考えてきました。その言葉に触れずに、本人が困っていることを解決していく。それはおそらく不可能でしょう。

発達障害についての理解が大切だということは昨今、本当によくいわれていることです。本人も周囲もそれを理解して、どう付き合い、どう向き合い、どう対処していくのかを一緒に考える。発達障害を根本的に治してくれる治療法がない限り、現時点でこれ以上に大切な治療法はおそらくないでしょう。

告知の時期や方法という問題はありますが、僕は発達障害については診断がはっきりするならば、就学前、小学校、中学校と年齢に合わせて、やりにくさ、病名などを伝えて、一緒に生きやすくなる方法を探していこうという態度が大切だと考えています。その方がご本人も家族も前向きに生きている気がするんです。

2014年9月5日金曜日

小さな感動をしてもらいたい

昨日、MKタクシーに乗りました。京都に始まったサービスで有名なタクシー会社ですね。最近では接客好感度で東京ディズニーランド、ANAについで3位になっていました。

乗車した瞬間に運転手さんは自己紹介をされ、「~です。よろしくお願いします」と言われました。
その第一印象から丁寧な運転手さんだなとまず感じました。

そして降りるときには会計が済むと、運転席に座っていた運転手さんが助手席にひょいっと移動して、助手席側から外に出て、自らの手で僕のいる後部座席のドアを開けてくれたんです。普通は運転席からの操作で開きますよね。それをわざわざ自分が降りて、開けてくれたことに僕はいたく感動しました。

医療も接客業です。結局、感動させたもん勝ちだと思うんです。「あっ、ここは他と違うな」と思ってもらえるよう日々技術やサービスを刷新する必要があるわけです。同じくらいおいしいお鮨屋さんがあるとして、料金も同じ1万円。それなら大将の感じのいいお店、おかみさんが細かな心遣いのあるお店に行くでしょう。

クリニックに入った瞬間から出るまでの間に1回でも小さな感動をしてもらえれば、その日の治療は成功だとしてもいいくらいだと思っています。そんな小さな感動を当院のスタッフみんなでお届けできたらいいなと思います。

2014年9月1日月曜日

クリニックのどこかで癒されますように



僕はクリニックの内装やデザインをお願いするときに、それらを通して、患者さんが少しでも癒されないかなと思っていました。僕自身がお客さんとして、旅したときのホテルや旅館、レストランのトイレにある石、料亭の床の間にある一輪の花。そんなさりげないところに癒されて、「ここに来てよかったなあ」と自分が感じた事を思い出していていました。

自分が生きている中で本当にしんどくなって、もし精神科のクリニックを受診したとしたら、どんな場所なら自分はホッとするのかなと想像しました。

当院のスタッフが晩夏のひまわりを買ってきてくれました。このひまわりを見た時に、僕自身がほっとしました。その一瞬呼吸ができる。人は疲れた時は息がしたくなる。水におぼれながらも、ほんの一瞬息ができたら、また少し生きられる。そんなときに出会えるものをクリニックにそっと置いておきたいです。