2014年6月25日水曜日

悲しみに暮れる人の心には悲しみのメロディーが流れている

去年の年末の情熱大陸で指揮者の佐渡裕さんを見ました。

今や世界的な指揮者である佐渡さんでも、世界中のオーケストラから呼ばれて、そのオーケストラからA,B,Cの評価を受けて「ぜひまた来てほしい」、「まあまあだった」、「二度と来てほしくない」とコメントを書かれるそうです。指揮するためにその国を訪問し、そのときに用意されている宿泊するホテルもそのオーケストラからの評価に従ってランクが違ってくる。「二度と来てほしくない」と書かれると、そのオーケストラに呼ばれることはほんとに二度とないそうです。つまり、今は良くても次があるとは限らない。「常にオーディションを受けているようなものです。60歳を超えて保障された老後を過ごせるなんて考えていない」と話されていました。睡眠薬を常に携帯して移動されている様子もありました。

この佐渡裕さんの厳しい生き方に感銘を受けたので、いつものように佐渡裕さんの本を買って読みました。

その中でこんな言葉がありました。

愛する人を失ったときに人は「私は悲しい」とは言わない。悲しみに暮れる人に言葉は無意味である。その人の心の中には言葉が存在しているのではなく、悲しみのメロディーが流れているからである。

この言葉をすべて肯定するわけではありませんが、これは衝撃でした。僕は日常的に患者さんのとんでもなく悲しい話をお聴きします。そのときに僕はただただ話を聴くだけで、何もできず無力感を感じ、たしかにどんな言葉をかけても意味がないように感じてきました。僕が精神科の治療の中で使う言葉は一番大きな存在ですが、それではどうしようもない時があります。そんな時、もし患者さんの心に流れるメロディーを感じることができれば、何らかの方法でその人の悲しみを少しでも癒すことができるのではないか。そんなことを夢想しています。

2014年6月20日金曜日

大人のADHDについて

児童精神科・心療内科とかかげている僕のクリニックでも、大人のADHDを心配されて受診される方々がどんどん増えてきています。

先日、大人のADHDについて講演する機会をいただきました。その講演の準備をするにあたり、これまで自分が出会って来た患者さんのこと、勉強してきたことをまとめる大きな契機になりました。

物を忘れたり、気が散って仕事に集中ができなかったり。。。

これって、だれでもある程度はあることですよね。でもその中で、どう診断していくのか。実際に医療機関を受診してくれる大人のADHDの方々はそれまでの長年の人生の中でご本人としては何ともいえないやりにくさを感じて、生きて来られています。僕が診察の中でADHDさを感じるのは

「基本的な能力はしっかりありそうでご本人として一生懸命に仕事や家事をしているのに、それでもうまくいかない人」です。

僕が診察の中でADHDを疑ったときに注意していることは以下の3つです。

1.その症状は幼いころからあるのか
2.具体的に症状を確認していく(表面的に聴くと間違えるので)
3.診断を急がない

1つ目は発達障害全般に言えることですが、ある時突然症状が始まることはありません。子どものころから何らか問題や表面化しなくてもやりにくさはあります。2つ目に不注意でも多動でも衝動性でも、どんな場面でどんな状況でその症状があるのかを確認します。基本的に場面が変わっても持続しているはずです。3つ目にこちら側の問題ですが、診断を焦らないことです。患者さんはすぐに診断してほしいという方も多い。その時にこちら側もつられて診断を焦ると表面的なことろだけをみて、間違いのもとです。どの疾患も同じですが、診断はその人の人生において重いものですから、軽はずみなことはしたくありません。なので、僕はいくらADHDの可能性が高いだろうと思っても、確定診断するまでには診察や検査で4-5回くらいは診させていただいてます。

発達障害の患者さんを診療することは他の精神疾患に比べて、より大きなやりがいがあるのではないかと僕は思います。先天的な問題である発達障害の診療を行うことはその人が生まれてから死ぬまでのその人の人生のストーリー全体を診ること。僕ら医療者ができることはその方々の生き方、過ごし方を横で応援することだと感じています。それがうまくできれば患者さんも医療者もハッピーな人生になれそうなので・・・。

2014年6月16日月曜日

初診時の子どもたちの様子から

初診時の子どもたちの様子は緊張というのもありますが、子どもたちの特性、親子関係を含めたご家庭での様子、躾を反映しているなと常々感じていました。きちっと座って目を合わせて話せる子から質問しても答えずに目を合わさず、ゲームをする子まで。

医者になって10年以上子どもたちに接してきて、初対面からそれらの違和感を指摘することはやりすぎなのかなと思ってきました。なので、動き回ろうが、ゲームしようが、親御さんが注意されない場合にはそれでも診察を続けていました。ところが開業してから、いつの間にか、親御さんが注意されない場合には、自分がその子どもに態度を正すこと、視線を合わせること、話をするときには他のことはしないことを初対面から指摘するようになりました。そうすると、意外に子どもたちは聴いてくれるし、その時の親御さんの反応も見れる。さらに注意を再三しても一瞬でまた同じ行動を続ける子たちは限られており、発達障害やご家庭の環境の問題、躾の問題など、より問題が明るみにできることに気付きました。

もちろん、僕自身が若すぎて親御さんの目を気にして言ってこなかった部分もありました。でもそれを指摘しないと、子どもたちが外に出たときの態度は変わらないままですし、それに気付いていない親御さんもおられます。児童精神科の治療の最終的な目標はその子が自分の力で生きていける大人になってもらうことです。発達障害があろうがなかろうが、違うことは違うと指摘して、それでだめなのなら、どうしていけばいいのかを親御さんと一緒に考えるのが僕の仕事だと改めて感じています。

2014年6月13日金曜日

不眠はうつ、肥満を起こす

昨日は久留米大学の内村先生のご講演をお聴きしてきました。内村先生は睡眠がご専門で、睡眠がいかに重要か、不眠は精神疾患だけでなく、様々な内科的な疾患までも引き起こすことを強調しておられました。

まずは不眠とうつ病の関係。
寝るまでに1時間以上かかる人、熟睡感が得られない人はうつ病になるリスクが高まるというデータがあるそうです。逆に言えば、1時間以内に寝れていて、熟睡感が得られてるなら、まずは○ということでしょう。

2つ目に不眠と肥満との関係。
不眠の状態は摂食促進物質を上昇させ、摂食抑制物質を低下させるそうです。つまり、不眠状態だとやたらとお腹がすいてしまい、過食になって、肥満になるということです。仕事に行って、帰りに遅くまで飲んで、翌日にまた朝から仕事をするという生活を続けるのは、夜に食べたお酒の肴のせいだけで太るのではなく、過食の状態を作ってしまうという理由もあるわけです。

3つ目に朝ごはんを食べることの大切さ。
最近、人の消化管にも体内時計があることがわかったそうです。つまり、朝に口から食事を摂ることで、消化管の体内時計を起こして、置くことで、睡眠のリズムが整うのです。そうすると、夜もしっかり眠れる。

今の精神医学では他の身体医学と同様、生活指導の大切さはかなり強調されています。実際の診療の中でもその患者さんの生活を一緒に考えて、少し方向性を示すだけで、よくなられる方がいらっしゃいます。あまりにも言い古された言葉ですが、規則正しい睡眠と食生活はやはり大切です。毎日とは言いませんし、僕も必ずできているわけでもないので、偉そうなことは言えませんが、できるだけ心がけてもらえれば、精神も健康になると思います。

2014年6月11日水曜日

将棋盤をひっくり返して考える

羽生善治さんの本の中にこんなことが書いてありました。対局中に次の一手に困った時には目の前にある将棋盤をひっくり返して考えるそうです。それは相手から見た自分を想像するためです。今、相手は自分をどう見ているのか。それが見えると、自分が次にどう指せばいいのかが見えてくるそうです。

以前、ブログに書きましたが、僕にとって精神科診療は将棋の対局です。対局相手、つまり患者さんのことを想像すること。これは精神科診療においてもっとも大切なのではないかと考えています。つまり、診療中に今僕が話していることをこの患者さんはどう考えているのか、どう感じるのか、どんな言葉がその人の琴線に触れるのか、治療的に働くのか。さらに、できるならば、想像力を働かせて、その人の目から見た今の日常はどんな風に見えているのかを想像することです。それが見えた時にはかなり治療はしやすくなると思います。限りなくその患者さんが見ている視線に近づくので、こちらの言葉が的を得るようになります。

診察を重ねるごとに、その人の治療がうまくならないといけない。僕の師匠の山上敏子先生のお言葉です。わざわざ僕のクリニックに来てくれる患者さんに対して、僕はできるだけ治療がうまくなりたいです。

2014年6月5日木曜日

障害を持ってる子へも躾を

「この子は知的障害を持ってるから、このくらいは許し上げないとかわいそうなので」と幼いお子さんを自由にさせている親御さんやご家族に出会います。クリニックでの限られた時間でも入ってこられるとき、待合室、診察室、帰られるときの様子から普段の接し方が伝わってきます。触りたい物は何でも触らせる、多少騒いでもそのまま、子どもが歩き回るとそれについていく。

小児科医時代を含めて、今までたくさんの身体障害児、知的障害児にお会いしてきました。診察という生活のごく一部の時間ではありますが、親御さんの気持ちは伝わってきます。他の子たちと同じように遊べなかったり、勉強ができなかったりすると、わが子が不憫に見えて、このくらいは許してあげたいと思う。それはもちろん理解できないわけではありません。

しかし、ここで誤解を恐れず言うならば、障害を持っていることと甘やかすことは違います。

家族が許容する部分と社会が許容する部分には大きな隔たりがあります。家族は許せても、社会では許されないことはたくさんあるでしょう。しかも、その子が大人になった時に、少なくとも親御さんはもういない可能性が高い。その時には何らかの社会的なサービスを他人から受ける可能性が高い。そうなると、子どものころからいろんなことを許されていると、大人になったときにその習慣はそのまま出ます。いつも同じ言葉の繰り返しになりますが、その子が大人になった時に自分の足で立って生きていける子にすることはすべての子どもに必要です。それは障害を持つお子さんもできる限り、本人の能力を伸ばしてあげるという点で同じです。能力を伸ばすということは特殊な能力や勉強の話ではなく、社会で生きていける能力ということです。身体障害や知的障害を持つ人で社会的にしっかり生きておられる方にもたくさんお会いします。障害を持ちながら、気丈にがんばって生きておられる方。その方の思いやりや言葉遣いに自然に頭が下がります。

僕の知る限り、重度の知的障害のお子さんも相手の顔色、周囲の状況を把握して行動していることがほとんどです。つまりこちら側の気持ちや意図を読んでいる。対応で子どもは変わります。

障害を持ってる子にも善悪の区別を教えて、しっかりと躾をしてください。そうすると、近い将来も遠い将来も社会から愛される子になれると思います。