2014年5月27日火曜日

逆境力(レジリエンス,Resilience)

先日のクローズアップ現代のレジリエンスについての放送を見られましたでしょうか?

レジリエンスとは日本語では逆境力です。精神科の中では最近特によく耳にする言葉になってきました。

レジリエンスという概念は1970年代にできたそうです。そのきっかけになったのが、第二次世界大戦のホロコースト(ナチス・ドイツがユダヤ人などに対して 組織的に行った大量虐殺)を超えて生きた孤児たちの中で、トラウマを乗り越えて前向きに生きていける人とトラウマを乗り越えられずに後ろ向きに生きる人の両方がいることがわかったそうです。同じ辛い経験をしているはずなのに、どうしてその後の生き方や人生が違うのか。

この研究でわかったことはレジリエンスには「思考の柔軟性」が必要だということでした。つまり、厳しい状況でもネガティブな部分だけでなく、ポジティブな部分を見いだせる人が逆境を乗り越えられるそうです。

それではそれを最近みんながよく使う「心が折れる」という単語を使って平易にして、「心が折れにくい人」とはどんな人なのでしょうか。

一般的に心が強いとイメージするのは「鋼のような」、「跳ね返す」、「硬い」、「頑丈な」というように何か強く硬い心でしょう。でもレジリエンスは柔らかくて前向きな心です。


多くの研究でわかったレジリエンスに必要な要素はこの5つです。

・感情のコントロール(一喜一憂しない。感情の起伏が激しく、一喜一憂する人はエネルギーの消耗が激しく長持ちしない)
・自尊感情(自分を過小評価しない)
・自己効力感(自分は少しずつでも成長していると感じる)
・楽観性(いつかうまくいくだろう)
・人間関係(自分を支えてくれる人たちの存在)

他にも愚痴を言うこと、困ったことを話す、一緒に笑う、食事(ブドウ糖を維持する、少量ずつ取り続ける)、運動(全力でのランニングを繰り返す、自己効力感が養われる)、逆境グラフを書いて、自分がこれまで経験した逆境をいかに乗り越えてきたのかを振り返る、諦める力、自分にとって本当に大切なものは何かを客観的に考える力などがありました。なんかうつ病の治療と重なりますね(笑)

僕は心がほんとに弱いですが、いろんな患者さんや自分も含めて、自分なりに今まで考えてきた僕が思うレジリエンスの育て方はこうです。

苦しいときに前向きな気持ちを持つためには
・日ごろから自分の人生に起こる物事(いいこともわるいことも)を深く考える習慣を持つこと
・自分以外の多くの人の考えをよく聴くこと
・本や映画などから多くの人の思考パターンを学ぶこと
が大切だと思います。

人生はずっと苦しいわけではない。それほど苦しくないな、今は楽な時間帯だなと思うときに、いかに思考の柔軟性を高めるか(苦しいときはそれどころではありません)。人は自分が苦しい状況に陥ったときに、頭の中でそこから抜け出す方法を必死で探すはずです。でも自分の中に探すためのいろんな引き出しや材料がないと、その方法を見つけられる可能性は低い。逆にいろんな引き出しや材料があると、その方法を見つけられる可能性は高まる。つまり普段からいろんな思考パターンのストックを自分の中にたくさん持つことです。思考パターンの数が少ない人はやはり打たれ弱いし、崩れやすい。逆に思考パターンが多いと打たれ強いし、崩れにくい。

人生で大きな逆境は毎日来るものではありません。でも誰にでも必ずその時は来る。それをどう乗り越えるのか。もっと言うなら、自分の力ではどうしようもないことで、どんどん落ちていく中でもいかに大けがをせずに着陸し、次の離陸のタイミングを待てるかだと思うんです。その時に必要なのがレジリエンスなのでしょう。

人生の有事に備えて、常に自分のレジリエンスを育てたいですね。

2014年5月23日金曜日

正面から向き合って、最後まで最善を尽くす

治療が難しい患者さんの治療に向き合うとき、内心、「もうこれ以上の治療法はありません。わかりません」と言いたくなる時があります。でも僕はたとえそう思ったとしても、医者として最後まで「わかりません」という言葉は言ってはいけないと思っていました(精神科の治療的に言うことはあります)。そこで医者が白旗を上げることは、患者さんを絶望させることがあるからです。

先日のプロフェッショナルで兵庫医大の外科の笹子先生が出ていました。日本での胃がんの最後の砦と言われる先生だそうです。

あるとき、長年治療をしてきたがんの術後の男性患者さんに先生は「治療法がないから、残りの日々を大切にしましょう」と提案しそうです。その方の死後、その方の奥さんから先生に来た手紙の中に、こんなことが書いてあったそうです。

「先生には申し上げられませんでしたが、治療法がないと言われた時から、あるワクチン注射を始めました。やはり効果はありませんでした。でも私たち凡人は何か少しでも効果がある具体的なものがあると、安心できるのです。とても恥ずかしくて申し上げられませんでした」

笹子先生はこんなことが患者さんのところで起こってるんだなと感じたそうです。その手紙を読み返しながら、泣いておられました。

そして笹子先生は「一番教わったのは患者さんからです。手術だけじゃなくて、1回1回逃げないで正面から向き合うことが大事なのかなと思います」とおっしゃっておられました。

一番教わったのは患者さんというのは僕も全く同じことを考えていました。そして患者さんはどんな大きな病気であったとしても、最後の最後の瞬間まで、希望を捨てたくない。その時、たとえ自分の手に治療法がなかったとしても、逃げないで正面から向き合う姿勢が大切なのだと改めて思いました。

2014年5月19日月曜日

成長には段階がある

以前、あるお鮨屋さんに行きました。そのお店の大将は僕と同じ30代半ば(正確には僕より1歳年上)。大将と若い男の子の2人で店を切り盛りされていました。店に入った瞬間から、その大将の緊張感が伝わってくるのと同時に、大将のあたたかい笑顔がありました。「苦手なものはありませんか?」、「どんな感じのお酒がよろしいですか?」。お鮨屋さんならごく普通の質問ですが、あたたかい声をかけていただきました。

他にお客さんがいなかったこともあり、大将といろいろ話をするようになりました。お店を始められて4年が経ったこと、新鮮な魚の見方、大将の師匠のお話などをお聴きしていました。それによると、ネットや広告などは出さないそうで、以前は禁煙にはしてなかったのを、禁煙にした途端、お客さんが減ったそうです。それは大変ですねと僕が返すと、「ほんとに大事なお客さんを少しずつ増やしたいんです。成長するには段階がありますから。飛び越えてあまり大きく成長しないほうがいいと思うんです」

同じ世代の人の言葉とは思えませんでした。相当苦労されてるんだなと感じました。

成長には段階がある。

僕は自分の性格上、せっかちすぎてすぐに結果を出したいので、常に次の一歩を目指してしまい、焦りばかりが前に出ます。でもそんなに簡単に結果が出るわけがない。日々の積み重ねがある日、花を咲かせるわけです。商売が少しうまくいくと、急にたくさんの店舗を出して、宣伝を派手にして、倒れていくお店や企業はたくさんありますよね。こんな僕にもテレビや新聞の取材が来たことがあります。でも、どう考えても今の僕は何かコメントしたり、取材を受けて広く話すレベルにない。僕に依頼が来る理由は簡単です。ただ単に大阪で児童精神科医が少ないから。それだけです。僕が何かすごいわけじゃない。しかも、もしそれでテレビや新聞に僕が出たりして、患者さんが一時的にたくさん来たとしても、今の僕の実力、体力ではただ単に患者さんをこなすだけになってしまう。一人一人の患者さんの期待に添えなくなってしまう。むしろ、その波に飲まれてしまい、自分が疲弊しそうでした。そうなると、今僕のところに来てくれている患者さんに迷惑をかけるだけでなく、自分もつぶされてしまう。そんな予感がしたんです。


無理な広告をせず、一気に仕事を広げない、目の前のお客さんを大切にして、ゆっくり成長していく。この大将なら、お鮨屋さんでお客さんにおいしくお鮨を食べてもらうためにはたばこの臭いがしないほうがいいに決まってるわけです。それで愛煙家のお客さんが減ったとしても、喫煙しないお客さんには確実に喜ばれます。繰り返しになりますが、やはり、目の前のお客さん一人一人に満足してもらうことが何よりも大切。目先の利益ではなく、時間はかかっても目の前の小さな結果を積み重ねていく。その間にゆっくりと自分の実力と体力をつけていく。それが本当の意味での成長なんだと考えています。

2014年5月15日木曜日

誰のおかげで今があるのか

親にしてもらって当然という子どもに出会います。僕も子どもの頃、親がしてくれるものをそのまま受け入れているだけでした。

僕は衣食住を含めた生活の面、学校についても何不自由なく育ちました。家長である父は常に一番偉い存在であり、僕たち家族を養ってくれているのだという話を常に母から聞かされていました。食事は父が食べるまでは誰も食べません。家族全員が父の決定に従います。普段は学校のこと、勉強のこと、将来のこと、その日の父の仕事のこと、読んだ本、その日の新聞の話題、あらゆる話をしてくれました。そして最終的には必ず「何をして食べていくのかを考えておけ」という話に収束します。そして、間違ったことをしたときは震え上がるくらいの怖さで叱られ、叩かれました。あと、我が家では両親には敬語でした(もちろん今も)。

ということで、子どもの頃、僕は愛情と厳しさいっぱいの両親に育てられました。一言で言うなら、「思いっきり抱きしめられながら、思いっきり殴られた」と表現できると思います(笑)。

直接的に親を尊敬しなさい、親に感謝しなさいなんて言われたことはありませんが、知らず知らずのうちに尊敬と感謝をしていたと思います。おそらくその理由は母から聞かされていたさきほどの言葉と、両親が一生懸命僕たち家族のために生きている姿を目の当たりにしていたから。僕の場合は父の仕事場と家がくっついていたため、仕事を終えて、憔悴しきった父を見て育ちました。それでもまだわからなかった鈍い僕は社会に出て、冷たい社会の風を浴びるようになった20代後半から親のことを思うようになりました。何も特別でない、どこにでもある話だと思います。

今の僕は大げさではなく毎日のように、知らず知らずのうちに、誰のおかげで今の自分があるのかを思っています。それはもちろん両親のおかげです。なので、同世代以上の人の口から「親にもう2年は連絡してないなあ」みたいな発言が出てきて、育ててくれた親に感謝しない人を見ると、とてつもない違和感を感じます。「今のあなたは一人でここまで来たのですか?」と聞きたくなります。その想像力のあまりの乏しさに、言葉も出ません。

子どもに幼いころから仕事をしている親の姿をできるだけ見せたり、説明したりして、毎日のこの生活は当たり前に来るものではないことを話すことが大切です。それが今はわからなくても、いつかその言葉、その風景を思い出すことがある。将来への布石として、それも一つの教育になると思うのです。

2014年5月14日水曜日

「京味」の西健一郎さん

最も予約が困難な店と言われる東京、新橋にある日本料理店「京味」。そのご主人、西健一郎さん。

以前からこの方の存在は知っていましたが、最近、AERAでこの方の記事を読みました。

17歳で父のツテで修業に入ったお店はカウンターのみで、客と板前が向き合って、差しで料理を出す方式。板前の技量がそのまま問われる環境だったそうです。30歳で独立して京味を開業。以来半世紀近くにわたり、志賀直哉、有吉佐和子、梅原龍三郎など時々の名だたる文化人に愛されてきた。

ご本人は権威を好まず、国からの褒章に興味を示さず、某グルメガイドの三ツ星もあっさりを断ったそうです。

かっこよすぎる!!!

「目の前のお客さまが喜ぶ顔を見たい。そしてそのお客さまに、もう一度店に来ていただきたい。それだけが大事なんです」

西さんの言葉です。

これを本気で思っているからこそ、半世紀近くも店を維持し、日本を代表する料理人になられたのでしょう。

多くの人は功名心があります。有名なお店に行くと、芸能人のサインがいっぱい張ってありますよね。~賞をもらった、テレビに出た、雑誌に出た、名刺に山盛りの肩書を書く人、あるいは「元~」みたいに自分の肩書を残したがる人、さまざまな自分を自慢したい人に出会いました。結局はみんな同じ。形はさまざまでも「自分はこんなにすごいんだぞ」というのを人に言いたいだけ。僕も含めて、むなしくて恥ずかしい行為な気がします。僕も開業するときに役立つかなと、資格というものをいくつか取ってみました。でも誰もそんな肩書きに興味はない。むしろ、それでその人をすごいと思ってしまう人は自分に基準のない人です。肩書が大切なのではなく、本当は目の前の顧客を満足させられるのか、そこが問われているわけです。

昔、司馬遼太郎さんの資料館に行ったことがあります。その時に一番感動したのは司馬遼太郎さんの名刺には「司馬遼太郎」という名前と住所、電話番号しかありませんでした。肩書はありません。もちろん日本を代表する歴史小説家であり、この上ない著名人ではあります。でも肩書がないのは著名人だからではなく、人に会うときに肩書で勝負していない、つまり、人に会うのに肩書なんてどうでもいいわけです。人に会った時の生身の自分で勝負しているからでしょう。

某グルメガイドの三ツ星もあっさりを断った西さんは生きていながら、見てる高さが違う。見てる景色が違う。畏敬の念を禁じえません。一番大切なことって、やっぱり自分の仕事に一生懸命なことだと思うんです。肩書や名誉じゃない。ひたむきに自分の仕事に向き合う西さんから学んだことでした。

2014年5月8日木曜日

学校に行くことの意味

不登校の子どもたちに会う中で、学校に行くことの意味を自分の学生生活を振り返りながら、考えます。僕は小学校から大学まで18年間、学校というところに通いました。実は今も大学院というところで勉強していて、今4年生なので、合計22年間も学生をしていることになります。すみません、話題がそれました^^

閑話休題。

僕が思うに、学校に行くことの意味は三つある気がします。

・一つ目に同世代の人たちとの中で自分の考えを修正しながら作り上げられること

・二つ目に周囲と合わせるという協調性を学べること

・三つ目に自分がしたくないこともある程度はしなくてはいけないということを学べること

実は学業というのはこのあとに来るんじゃないかと考えます。

人は自分の考えというのはもうある程度できているように感じていますが、実は大人になっても、常に修正が必要なものです。特に子ども時代や学生時代には特に必要で固まりきってしまう前の考えは何度もこねくり回されて、やがて本人の形になるものでしょう。

協調性と自分がしたくないものをしなくてはいけないことを学ぶのはある意味似ています。
つまり、自分の思い通りにならないことをとりあえずはしていくというものです。今日は学校に行きたくないなあというのを抑えて、学校に行く。この子とは話したくないなあと思いながらもある程度は話をする。大人になって会社に行くときも同じことが起こります。嫌な仕事をしないといけないこともあるでしょう。

僕たち大人が無意識にしていることは実は学校を含めた社会で学ぶことが多いのです。だから、ケケースバイケースですが、基本的にはやっぱり学校には嫌でも行った方がいい。その方が、その子が大人になった時に多少嫌なこと、嫌な人とも一緒に仕事ができるようになると思うのです。


2014年5月2日金曜日

島へ



「島へ」という雑誌をご存知ですか?

日本で唯一の島マガジンだそうです。

開業するときにクリニックにどんな雑誌を置くのかで、自分ならどんな雑誌があれば癒されるだろうと考えて、この「島へ」という雑誌に出会いました。クリニックや病院に置いてある雑誌って、決まって、芸能雑誌や一般の新聞。僕は自分が医療機関を受診するときに、それを見るのが嫌でした。

この「島へ」は他の雑誌とは確実に一線を隔しています。日本中の島や離島を取材して、きれいな景色の写真はもちろん、そこに住んでいる人の生活、その島のおいしい物やおすすめの宿、求人情報、最後にはその島の不動産の値段まで書いてあります。僕はこれらの内容にいつも癒されています。

この中で、僕のお気に入りは離島に移住した人の移住体験レポートです。都会で暮らしていた人たちが島に移住して、どんな生活をしてきたのかという内容のものです。今回は北海道から与那国島に移住した女性のお話でした。その中で、島で仕事をもって生きていけることへの感謝とともに、その女性が最も感謝するのは雨の降る日だそうです。雨の降る日にしみじみと「屋根のある家でお布団で眠れるのは幸せだな」と思うそうです。なんか心があったかくなりました。都会の住宅に住んでると、そんなことを忘れてしまうのに、島の家で暮らす人はそんなことを感じるのだなと思いました。

上の写真は高知を歩いている時に、森の中から海を見た時の写真です。島でもなんでもありませんが、きれいだったのでアップしてみました。