2013年11月16日土曜日

子どもたちはブレーキが利かない

 人は生まれて、その時まで自分が見てきたものから学んで、それを自分の中に取り入れ、その後の人生での様々な判断をします。逆に言えば、人はその時まで見てきたものでしか、物事を判断できません。

 赤ちゃんはみな自分勝手で、欲望の塊です。お腹がすくと泣いて、周囲を気にせず、目に入ったものを触ったり、したいことをしようとするものです。ごくごく自然なことですよね。

 「子どもは勝手に育つ」なんて言葉があります。僕はこれは違うと思います。親が何も教えず、一人で勝手に育ってるんじゃなくて、それは代わりの誰かが、あるいは経験がその子に教えてくれているのです。

 子どもはブレーキのない車です。そこで、親が「周囲を見て行動しなさい」、「目に入ったものでも危ないものは触らないで」、「したいことでも我慢しないといけない時があるんだよ」と教えるわけです。つまり、これはブレーキのなかった車にブレーキを備え付ける作業なのです。逆に、本能的に子どもがしたがっているからという理由でしたいことをさせると、子どもはブレーキがないまま大人になるわけです。本人のしたいようにさせているということはブレーキのない車が走るのを傍観しているのと同じです。

 これは思春期になった子どもたちも同様です。反抗期という言葉があります。確かに思春期はホルモンバランスの変化、将来への漠然とした不安、対人関係の複雑化、身体の急激な変化からイライラしやすく、ブレーキが利かないことがあるでしょう。それを防ぐためには幼少期にいかにブレーキを教え、時には親自身がブレーキになることです。「もう大きくなったから」と子育てが終わったかのような言葉をよく聞きます。たしかに幼いころに比べれば、親が子どもに直接関わることは減りますが、思春期になったからと言ってそれで終わりではありません。遠くの方からその子の様子を深く観察していなくてはなりません。潮流を見て、「ここだ」というときを見逃さず、親自身が子どものブレーキにならないといけない時があると思います。その時に親がブレーキになれるか。親から見て思春期になった子どもが危ないなと思うときに「やめなさい」とブレーキを利かせることができるかも、それまでの親が子どもに教えたブレーキで決まるわけです。つまり幼いころからブレーキを備え付けておけば、大きくなっても、ここだというときに親が子どもたちのブレーキになれるわけです。

子どもたちはエネルギーいっぱいにアクセルを踏むことは得意です。それはもちろんいいことです。それと同時に親がブレーキを備え付ける、あるいはなってあげることでアクセルとブレーキを備えた人に成長するのだと思います。

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