2013年6月29日土曜日

「子どもと二人で話してください」という言葉

「子供と二人で話してください」と診察室から出て行こうとするお母さんに出会うことがあります。

精神科医に自分の子どもを会わせたら、その子の気持ちを引き出して、その子の辛いをことを話だし、楽になるだろうと考えて来院されているようです。そのお気持ちはすごくよくわかります。藁をもつかむ思いで来院していただいているわけですから、「ここに来たらプロの話術で何とかなるんじゃないか、本人の心のもやもやをときほぐしてくれるんじゃないか」と思われます。ただ、なかなか現実は難しく、僕たち精神科医も人間なので、地道にその患者さんと関係を作り、その患者さんを知ろうとする時間が必要なわけです。

普通に考えてみてください。
子どもが初対面の大人に会って、いきなり自分の気持ちを吐露するなんて不可能ですよね。

精神科の世界では「ラポール」という言葉をよく使います。患者さんと医者との関係を表す言葉で、「治療にはまずラポールを作ることが大切である」と精神科の教科書にはよく書いています。僕も診察室の短い時間の中で何とか子どものとの関係を作ろうと頑張るわけです。

先日、ある精神科医の先生の講演で聞いた話です。その先生が飲み屋で飲んでると「私の心を読まれそう」とよく言われるそうです。そのとき、その先生は内心、「そんなの読めるわけないだろ!」と思うそうです。当たり前ですよね。精神科医は読心術を持ってるわけではありません。

昔、不登校の娘さんとお父さんが初めて来られて、「学校に行けるようになる方法を教えてください」といわれるので、「今日、はじめてお会いしてすぐに方法を見つけることは難しいです。少し時間をかけて診させてください。」とお伝えすると、そのお父さんに「あなたは医者でしょう」と怒られたことがあります。その時、思わず「僕は神様ではありません」と言ってしまいました。そのあと、自分の言動を反省したのは言うまでもありません。

でも精神科医には精神疾患の基礎知識、精神療法の技術、たくさんの患者さんを診てきた経験、さらに普段から一人の人のことを一生懸命に知ろうとします。つまり一人一人の患者さんをかなり真剣に観察します(もちろん精神科医以外でも真剣に人を観察する仕事はたくさんあります)。

ここで誤解がないように言わせてください。僕の目標は、当然、お父さんやお母さんが望まれる通り、「子どもと話すこと」で、その子どもの状態をよくすることです(必ずしも二人きりで話さないといけないわけではありません)。つまりお父さんやお母さんと僕の目標は同じです。ただ、「本人と関係ができるまで、時間をください」ということです。

2013年6月28日金曜日

今日で勤務医生活を終えます

みなさん、こんにちは。

大阪は暑いような涼しいような朝晩の気温差が激しい気候が続いています。

今日は勤務医生活最後の日です。


今の病院では4年と少しお世話になり、多くの方に助けていただきました。今日はいろんな方々に挨拶をさせていただき、僕自身の見えないところで患者さんに貢献されている方々がたくさんいたんだということを改めて考えさせられました。医者一人でできることなんて、本当に限られています。看護師さん、ケースワーカーの方、心理士さん、医療事務の方、サポートのスタッフの方、掃除の方、食堂の方、運転手の方など、病院のすべての方にお世話になりました。

これからも僕一人では何もできません。クリニックのスタッフの方々とお互いに支え合いながら、心の中で思うだけでなく、感謝の気持ちをスタッフの方々に普段から表現しながら、一緒に患者さんの治療に臨んでいきたいと思います。

2013年6月26日水曜日

今日はスタッフの方の面接でした

みなさん、こんばんは。

今日は大阪は大雨で、さらに工事中の建物の中で、ご不便をおかけしながらスタッフになっていただく方の面接をさせていただきました。多くの方に来ていただき、ありがたかったです。

僕自身はこれまで自分が面接を受ける立場で、面接をする立場になったのは今日が生まれて初めてでした。そんな中、これまで数多くの面接をされてきた開業のサポートをしていただいている方と打ち合わせをしているときに教えていただいたことがありました。

面接は履歴書はもちろん、面接を受けていただくためにこちらから電話したときから始まっているということでした。さらには面接の時間を守れるのか、あいさつができるのか、待っている時間の態度、服装、立ち居振る舞い、言葉遣い、視線、笑顔など面接する側は本当に多くのポイントを見ているということでした。一見当たり前に見えますが、面接を受けるときに自分自身がそれらすべてに細心の注意を払えているのかというとかなり難しいと思います。つまり自分がどこまで無意識にできているのかということです。面接官はそれを見ています。

これらはすべて幼い頃から受けた家庭での教育、さらには学校や社会で受けた教育の積み重ねです。もちろん一朝一夕にできるものではありません。この中で一番大切なのはもちろん、家庭での教育でしょう。子どもたちがどこに行っても無意識にあいさつができる、視線を合わせられる、時間を守れる、笑顔になれる、丁寧な言葉遣いができるようになることが大切であると思います。

幼いころからの教育の大切さを改めて考えさせられた一日でした。



2013年6月24日月曜日

子育ては親自身が試されている


みなさん、おはようございます。
 
今日はまた子育てについて考えてみたいと思います。
 
自分自身が子育てをしながら思うことがあります。
 
子育ては実は親自身が試されている。
 
こどもが幼稚園や学校で嫌がらせを受けた。このとき、親として気分がいいものではありません。子どもが「~のおもちゃがほしい」、「ディズニーランドに行きたい」というと、親としては子供の喜ぶ姿が見たくて、それをかなえてあげたいなと思う。学校の宿題をしていて本人の答えが明らかに間違っているとき。明日学校で恥をかくかもしれないから、すぐに教えてあげたいと思いますよね。それが親心です。でもそのときに毎回、本人が不快な感情を持たないでいいように、助けてあげたとします。そうすると、子どもは親がいないときに一人でその不快な感情を処理することが困難になります。
 
子どもがこけないように先に座布団をひいてしまいたいのが親の気持ち。でも、座布団を引いてあげないといけないとき、座布団を引かずに様子を見ないといけないときがあると思います。その判断は難しいところですが、普段から本人の性格、器の容量の大きさをしっかり観察して、「ここまでは我慢させよう、これ以上はきついかもしれない、今回は辛いかもしれないけどそのままほっておいて様子を見てみよう」と判断するわけです。
 
ある本で読んだのですが、「部下に細かな指示をたくさん出して、細かなことまで修正させる上司は、実はその上司自身が部下のミスの軌道修正をできないと公言していることと同じである」と。まさにそうですね。自分の子どもが辛くなったとき(怪我や病気は別です)に何とかしてやるという気持ちを持てるかどうか。そして、子どもにも「本当に辛くなったときはちゃんと守ってあげるよ」と言葉で伝えてあげてください。最終的には親が守ってくれるのだという安心感を子どもにあげてください。こんなことも子どもが幼い時だからこそ親もできます。子どもが一人の大人として社会に出て、失敗してきてからでは親も何もできません。子どもが幼い時に、親の力でまだ修正できるときに子どもに挑戦させて、練習するわけです。
韓国では「ヘリコプターママ」がという言葉が流行ってるようです。子どもがいるところにはどこにでも飛んでいく母親。大学生の子どもの就職試験にまでついてくる親。風邪をひいて会社にいけないと電話してくる親。退職するときに会社に電話してくる親。先日の日本の新聞にもある大学が親向けの就職説明会をしているとの記事がありました。これまでにも書きましたが、いつまで横で親が助けてあげられるのか。本人が自分の力で生きていかなければならな時が必ず来ます。
子どもを甘やかしてしまうのは、実は親自身がそれを見るのがつらくて、我慢できないから。もちろん、子どもの辛い姿を見たい親はいないですよね。でも時と場合によっては親が内心は我慢をして、子どもが辛そうにしている姿をぐっとこらえて見守らなくてはならないときがあります。僕は子育てをしながら、自分自身が試されていると思っています。

2013年6月22日土曜日

診察室に入るのは本人だけ?お母さんだけ?

みなさん、こんにちは。

少しずつクリニックの建物ができてきて、開業への現実味がかなりわいてきている今日この頃です。

今日は児童精神科外来でよく聞かれることについてです。

診察時に本人と親に一緒に入ってもらうのか、別々に入ってもらうのか。

基本的にはまず本人の意思を確認します。本人が親と別がいいというのであれば、別。一緒でもいい、一緒がいいなら一緒に診察させていただきます。ただ別々にした場合にはそれぞれの診察時間が短くなるので、親御さんの時間は短くして、なるべく本人の診察時間が長くなるようにしています。

また、診察室の中でお母さんから「子どもを外に出して、私一人でもいいですか?」とよく聞かれます。

つまり、本人の前では話しにくい、本人には聞かれたくないということだと理解しています。

これは難しいところですが、本人が知らないご家庭の事情、本人の知らないところで作戦を立てる必要があるなどの特別な場合を除いて(この判断は診察中に行います)、僕はお子さんの前で話していただくようにしています。

多くの場合、本人の状態が悪いという話をするわけです。でも本人を抜きに遠隔操作でよくなるほど、子どもの治療は甘いものではありません。さらに治療の中心はあくまで本人です。親や医者が中心に出ようとする治療は年齢が大きくなるほど困難になります。本人の前でこれくらい大きな問題として大人が真剣に話し合っているんだということを見せること、聞かせることは大切なことです。年齢が幼ければ、本人の深刻な状態の話を本人の前でするだけで、問題の行動が改善することもあります。さらに子どもが問題行動をした場合の親子間での約束の同意もその場で取れます。またその時に普段は弱みを見せないお母さんが泣きながら医師に本人の状態を訴える姿は子どもが親のことを慮るきっかけにもなるでしょう。

これも大切な治療手段の一つであると考えています。

2013年6月21日金曜日

病院やクリニック以外での仕事

みなさん、こんにちは。

先日、堺支援学校で講演とケースの相談の依頼をいただき、行ってきました。

僕の仕事のメインはもちろん、患者さんやご家族の診療です。しかしそれ以外に、子ども家庭センター(いわゆる児童相談所)、支援学校、子どもたちのいる施設で相談を受けるというものがあります。これは児童精神科医なら結構みなさんがされている仕事です。

支援学校とは体の不自由な子どもたちや知的障害の子どもたちが通う学校のことです。今回、僕が行かせていただいた堺支援学校は大きな公園や古墳が近くにあり、緑が多く環境が抜群の学校でした。

支援学校の子どもたちの中には粗暴行為、自傷行為を主訴に医療機関に来られる子どもたちがいます。その子供たちにどうすれば、その行動が減るのかというのを学校の先生方から情報をいただき、一緒に考えるわけです。これは僕にとってもすごく勉強になります。スポーツ選手でいう、トレーニングのようなものだと考えています。日常臨床ではなかなかじっくりと時間をかけて患者さんの情報を得ることは困難です。しかしここでは時間をゆっくりかけて学校での生の声を聴きながら治療法を考えられるからです。

施設や学校でケースの相談を受けていて、いつも思うことは現場の先生方の涙ぐましいくらいの努力が子どもたちの日常生活を支えているということです。だからある日パッとその場に行った僕があれこれ意見を出して、指示したり提案したりすることが内心はばかられることがあります。「普段見てもいないのに、僕はこの子の何がわかっているのかな」と思ってしまいます。これは子どもといつも一緒にいるお母さんも同じです。子どもたちの様子を一番つぶさに見ているのはお母さんや学校の先生たちです。当たり前ですが、机の上や診察室の中よりも現場がもっとも大切だということですね。

それでも学校や家庭の現場にいる方々は真剣に悩まれて、病院やクリニックに来られるわけです。それに対して微力ながら、診察室の中で一生懸命考えて、少しでも貢献することが僕たちの責務だと考えています。

2013年6月19日水曜日

治療の糸口はその人の中にある

みなさん、こんばんは。

今日は大阪はすごい大雨です。台風が前線を押しているのか、台風が来ているというのは間違いないようですね。

今日は僕が患者さんの話を聞きながら、治療の糸口を探すときにどんなことを考えているのかを書きたいと思います。もちろん、これは僕個人の意見ですので、精神科医全般に当てはまるとは言えませんが。。。^^

最近読んだ本でソウル大学のキムナンド教授が書かれた「つらいから青春だ」という本がありました。キム教授の授業は韓国最高峰のソウル大学の授業の中でもっとも人気があり、授業を取るのがもっとも難しい授業だそうです。先日、NHKでソウル白熱授業という番組でも放映されていましたね。

キム教授は学生たちから就職や将来の相談をよく受けるそうです。その時に教授はいつも相談をまずは最後まで聞いてから、「本人が教授に一番聞きたいこと」をこちらが見つけ出してあげて、それに対して答えてあげるというものです。相談を受けた僕が下した判断から結論に導くのではなく、彼らの話の中から答えを導き出す。つまり彼らはさまざまな理由で取り出せなかっただけで、彼らはすでに自分の中に答えをもっている。

これは精神科の治療と同じだなと思いました。診察室の中で何かの相談を受けて、僕たちはすぐに答えを持っていることもありますが、そうでないことも多いのが現実です。そのときに僕はその患者さんの本当に困っている問題点は何か、その患者さんのニーズは何かを見つけ出すことに集中するようにしています。これは傍から見ると、ただ単に話を聞いて、患者さんに尋ねてばかりしている医者に見えるかもしれません。しかし最終的には患者さん自身の中に治療の糸口があり、それを僕が引き出してあげることができれば、患者さんがよくなることが多々あります。つまり、患者さん自身は自分の問題が何なのか、自分自身ではなかなか把握できていないことがあり、それを一緒に探してあげると治療の糸口になるというわけです。僕もまったく同じです。人に言われたり、指摘されてはじめて気づくことって多いですよね。

これが患者さんのお話をお聞きするときの僕の基本的な姿勢、方針とでも言えるかなと思います。

2013年6月14日金曜日

手作りの仮設看板を作っていただきました

 
みなさん、こんばんは。
 
今日はほとんど眠れなかった当直、その後の外来を終えてから、暑い中、手作りの仮設看板の設置に立ち会いました。
 
 
工事中の建物の前を多くの通行人の方が「なんだここは?」という視線で通られるのを見て、本物の看板ができるまでに仮設の看板があればと思い、お願いしました。いつも本当にお世話になっている方が作ってくださいました。
 
今までも十分わかっているつもりではありましたが、多くの医者は社会を知らない。今まで勤務医として病院で過ごし、今回自分のクリニックを開設する準備を進めながら改めて自分を振り返りながらそう思います。
 
先日、ある精神科医の先生の講演で「精神科医はすぐにハローワークへ行きなさいと患者さんに言うけど、医者がハローワークに行ったことはまずありませんからね」という言葉。間違いないですね。患者さんにいつもわかったようなことを話していながら、医者は患者さんの生活を知らないことが多い。これはすべてのことを経験すべきであるという意味ではなく、医者自身が自分の無知について謙虚であるべきだという意味です。
 
サラリーマンで過ごしていたら決して知ることができなかったことが多くあります。開業に際して、多くの方々にお世話になりながら、本当に多くのことを教えていただいています。

2013年6月13日木曜日

最後の当直

みなさん、こんばんは。

今日、僕は人生でおそらく最後になるであろう当直をしています。

当直について考えると今となっては懐かしいことをたくさん思い出します。

僕は2002年の春に大学を卒業し、医者になりました。そしてその年の5月に大学の小児科の医局に入りました。大学病院の給料があまりに薄給であったため、6月には他の科の先輩に紹介されて生まれて初めて当直というものをしました。そこは神戸の小高い丘の上にある古い古い老人病院でした。夜になると神戸の海の夜景がきれいに見えます。ただ昔の療養所の造りで、当直室は四畳半1間で、真ん中にはこたつがぽつんと1つ。病棟と病棟をつなぐ渡り廊下は建物の外にあり、夜21時の回診はたびたび外に出なければなりません。はじめての当直で、医者になったばかりで知識も経験もない、その上、建物は古くて怖いし、外にも出ないといけないという状況で、内心本当に怖くて、ここから生きて帰れるのかと24歳の僕は一人で真剣に考えていました。2002年はちょうど日韓ワールドカップの年でした。そのはじめての当直の日はワールドカップの開会式、開幕戦のフランス対セネガルの試合がテレビで放映されていました。怖すぎて当直室でサッカーに集中しようとひたすらテレビを見て、サッカーが終わっても一晩中テレビをつけっぱなしにして寝たことを思い出します。

それ以降、小児科時代は月に4-8日くらいの当直を続けてきました。夜中に新生児室で一晩中赤ちゃんに点滴の針を刺し続けてそれでも点滴が入らず、先輩に電話して来てもらったこと。腸重積の子が来て、1時間くらいしてもなかなか治せずに小児外科の友達に電話したこと。けいれんしている子どもが来て、点滴から薬を入れたらけいれんは止まったけど、呼吸も一緒に止まってしまい、気管内挿管(呼吸するための道をつける手技)して呼吸が戻るのを待ったこと。怖いお父さんに怒鳴り込まれたこと。年末に36時間続けて当直をして120人の子どもを診察し、終わるときにはしんどすぎて吐いてしまったこと。一晩中寝れずに当直が終わって、翌朝に外来をし、夕方に帰ろうとしたら重症の患者さんが来て、主治医になり家に帰れなくなったこと。重症の患者さんがいて3週間の間、病院に泊り、家に帰れなかったこと。小児科の先生なら誰でも経験することですが、本当にたくさんの経験をさせてもらいました。こう考えると精神科の当直は救急車がいっぱい来たり、夜中に何時間もお話をお聞きすることはありますが、小児科に比べれば体には優しいのかもしれません(心はまた別問題ですが)。

それら一つ一つの記憶はかなり鮮明に残っています。それらの経験があるため、今になって患者さんを診るときにある程度は落ち着いて診られるというのがあるのかなと思います。

これからは外来という時間も場所もかなり限られた条件のもとで診療することになります。
そこでクリニックでは外来診療以外の診療体制や方法も模索していきたいと思っています。

2013年6月12日水曜日

患者さんと医療者の期待のずれ

みなさん、おはようございます。

近畿地方に台風が来るのかと思いきや、東にずれていきましたね。そのおかげか、今朝の大阪の空は青々しくて美しくなりました。

今日は患者さんやそのご家族と接する中でたびたび困るなあと思うことを書いてみたいと思います。

ある本で読んだのですが、医療機関へのクレームの原因で一番多いのは医療者と患者の期待の齟齬だそうです。患者さんは病院というところに行けば自分の問題は解決すると期待されてこられます。もちろん医療機関は病気を治療するところですから、治ることを期待されるのは当然です。しかし、現実には治療できない病気もありますし、特に精神科では治療するのに何ヶ月も、あるいは何年もかかる場合が多々あります。そして何よりも大切なのは患者さん本人や家族の協力が治療には不可欠であるということです。

たとえば糖尿病の治療中の人が毎日暴飲暴食をしていては糖尿病は必ず悪化します。高血圧も統合失調症もうつ病も同じです。日々の患者さんの努力や家族の協力が必要です。つまり、病院にさえ通っていれば患者さんや家族は何もしなくていいというスタンスでは治療はできないということです。

医療全般に言えることかもしれませんが、治療とは患者さん自身と患者さんを囲む医療機関、家族、福祉や介護のサービス、その他の関係機関のそれぞれの協力があって、はじめて成り立ちます。これは精神科、児童精神科も例外ではありません。

情けない話ですが、患者さんやそのお母さんのアイデアが契機になってよくなられる方もたくさんおられます。それは僕が患者さんの状態や生活を正確に把握できておらず、より観察しておられるお母さんが治療されているわけです。その時に内心、治療している僕としては自分の実力のなさを痛感し、申し訳ない気持ちなり、患者さんの観察や状態の把握の重要性を再確認させられます。しかし一方で、それでいいのかなとも思います。お母さんは誰よりも自分の子のことをつぶさに観察しているわけで、治療している僕はそのお母さんを支え、そのアイデアの材料を提供しているのかもしれません。人と話す中で自分の発想がわいてくるというやつですね。

僕は患者さんとそのご家族と協力しながら、状態が少しでもよくなるための方法を一緒に模索したいなと考えています。

2013年6月8日土曜日

開業の準備をしながら

みなさん、こんにちは。

僕は今月で11年と少しの勤務医生活を終えます。勤務医から開業医になるこのタイミングは自分自身が試されていると考えています。

勤務医として働いていると患者さんたちは「~病院」という看板、スタッフの多さ、検査ができる、入院ができるからなどの理由で僕の診察に来てくれているのかもしれません(もちろんアンケートをとったわけではないので、これは僕の想像です)。でもそれは僕の技術や実力じゃない。病院という環境が僕の外来に来てくれる患者さんを増やしているだけのことです。

開業するということはまさに僕自身の技術や実力、さらに人間性までもが問われる。それに挑んでいくということはわくわくすると同時にもちろん不安でもあります。何もメリットがないのに小さなクリニックに行く理由などありません。僕が患者さんの立場でもメリットのない小さなクリニックには行きません。たくさんの検査機器や入院施設のある大きな病院に行くでしょう。有名チェーンのレストランならとりあえず行くかもしれないけど、おいしくもない小さなレストランには誰も食事に行きませんよね。

診察室の中で日々感じることは、少し違えば自分も患者さんの席に座ることがあるということです。医者の立場でこれを言うのが正しいのかはわかりませんが、僕と患者さんは何も違わないと思っています。僕だって病気になることがあるでしょう。当たり前です。人間なんですから。

僕の目標は自分が患者さんなら、こんなところで治療を受けたいなと思えるクリニックです。そのためにこれまで準備をしてきましたし、直前の今もその準備をしています。

 
 


2013年6月6日木曜日

夢を持つということ

みなさん、こんにちは。

僕は青森から大阪にもどって、また日々の診療を行っております。

思春期外来では大学生も結構来られるんですが、夢や目標が持てないという大学生にお会いすることが多々あります。

そこで今日は以前のカンブリア宮殿で若者に向けてソフトバンクの孫正義さんが言われていた一節を紹介したいと思います(このようなことを言える大人に僕も早くなりたいと思います・・・(笑))。

孫は孫正義さん、村上は小説家の村上龍さん、小池はタレントの小池栄子さんです。

孫 
若いということは無限大の夢を持つことができるということです。そしてその自分の持った夢に自分の人生はおおむね比例する結果を生むと思っています。小さな夢でも大きな夢でも、その夢の範囲の中で夢の80%が達成できるのか、50%が達成できるのか、という話です。そういう意味では夢はできるだけでかい方がいいんじゃないか、というのが1つのアドバイスです。 
もう1つはその夢を達成できる人と達成できない人の唯一の違いは、自分はその夢をどのくらい心の底から達成したいと思っているか、にあるということです。すごく強い決意をして、その夢の達成に向かって恐ろしいまでの情熱で努力したかどうか、ということです。
ちなみに夢の大きさというのは何も金額的な大きさとかでなくていいと思います。世界一おいしいパンケーキを作れる人間になりたいということだって、でっかい夢だと思います。世界一上手にピアノが弾けるようになりたい。これもでっかい夢です。自分しか弾けない曲を作りたい、というのだって夢ですよね。
僕は小学生のとき、実は画家になりたかったんです。それで僕がなりたかったのは貧乏画家なんですよ。

村上 貧乏画家になりたかった?

孫 そうそう。

村上 お金持ちの画家じゃなくて?

孫  お金持ちの画家は、その時点で堕落していると思っていました。人に売るために絵を描くのではない。展覧会に出すために絵を描くのではない、と。

村上 どんな画家がお好きだったんですか?

孫 ゴッホとかね。有名になる前のゴッホ。

村上 ゴッホは貧乏なうちに亡くなったんですよね。

孫  
そう。だからゴッホのような生きざまが、一番尊敬できると思いました。要するに、画家になるなら展覧会に出して有名になるとか、画商を通じて高いお金で売れる画家を目指すというよりは、世の中の常識とは関係なしに、自分が一番納得できる絵を描く。自分が一番描きたい絵を描く。それも僕はすばらしくでっかい夢だと思うんですよね。
どんな夢であれ、夢を描くというのはある種、自分の人生に対するビジョンだと思うんです。そういう自分の夢も明確に持たずに、自分の人生に対するビジョンも持たずに、ただ生きていくためにどこかで給料をもらいにいく人もいるでしょう。でも、「現状はそれしか仕方ないじゃん」と言ってる間に、人生、あっという間に終わるから。

村上 人生が終わる・・・。

孫 あっという間ですよ、本当に。あっという間に50代になり、60代になる。「そうはいうけど、現実はこうだから」とか、「そんな夢物語ばっかり語っていてもダメだ」とか、「とりあえず目先の現実を踏まえて」とか言ってる人ほど、その現実の世界から逃れられないまま人生が終わる場合が多いのです。
現実が厳しいからこそ、自分の夢を、自分の人生に対するビジョンを、僕はしっかり持つべきではないかなと思います。「志高く」。それが僕のメッセージです。

小池 ありがとうございました。

 
僕はカンブリア宮殿を毎週見てるので、もちろんこのときも見たのですが、この内容にあまりに感動して本まで買ってしまいました。これは若者に向けたメッセージですが、すべての大人に向けたメッセージにもなると思います。まだまだ若輩者の僕もこういう気概を持って生きていきたいです。





2013年6月4日火曜日

無所属の時間

今日は所用で青森の下北半島に来ています。



東北という地方自体、生まれて初めて来ました。

飛行機、新幹線、在来線を乗り継ぎ、本州の最北端に来ました。その道中、単線の電車に乗りながら田園風景と広い海を見ながら日常から離れる時間を感じました。この感覚をどう表現していいのか、僕自身困るのですが、自然の中で遠くの山や海を見ていると頭の先から何かが抜けていく感じで、少し眠くなるんです。そのときにまた明日から仕事に立ち向かえるなと思うんです。これが僕にとっての充電の時間かもしれません。

僕の好きな作家の城山三郎さんが言っておられる「無所属の時間」という言葉を思い出しました。

日常生活の中でどこにも属さない時間、どこにも属さない場所を持つことが自分を客観視する早道。

ほんの短い時間でも、日々の日常に追われる時間と離れることの大切さを感じます。

2013年6月3日月曜日

揺れない大人

みなさん、こんにちは。

今日は「揺れない大人」について考えてみたいと思います。

これは学校での不適応、不登校、子どもの家庭内暴力、リストカットなどの自傷行為が問題になる場合、ご両親によくお話しすることです。

学校でいじめられてる、学校に行けない、リストカットしてるわが子を見て、どうしても親は動揺してしまいます。当たり前ですね。しかし、このとき内心は動揺していても子供には坦々と接しながら、「学校の先生とどうしたらいいのか相談するね」、「病院に行って相談しようか」くらいのことを言うのです。子どもが悩んだり、落ち込んだり、興奮したりしてる時に、親も一緒になって興奮してる人たちをよく見ます。でもこれは余計に子供を不安にさせてしまいます。

子どもの気持ちが不安定になってる時こそ、落ち着いた親の姿を見せてあげてください。それが子どもへの安心感になります。普段の日常生活の中では一緒に喜怒哀楽を出すことはもちろん大切です。ただ、子どもの気持ちが不安定になってる時は親として時に虚勢を張ることが必要です。
(もちろん、不登校、暴力、自傷行為の治療は簡単ではありませんので、ご家庭で対処をされたうえで、困難であれば近くの医療機関を受診されることをお勧めします)

子どもが揺れているときに大人も一緒に揺れてしまうと、子どもは大人に頼れなくなってしまいます。大人の僕たちも困ったときに誰かに相談して、その人が自分と同じように不安定になっていたら、もうその人には相談しようと思いませんよね。
親がどっしり構えて、堂々と話をしてくれると、何かあれば親に相談しようという気持ちが子供の中で生まれます。外で何かあった時に子どもがお父さんやお母さんに相談できる環境を作っておくことは非常に重要です。

「揺れない大人」の姿を見せてあげてください。