2013年12月28日土曜日

今日は今年最後の診療でした

今年8月6日に開業して、ようやく今日、今年最後の診療の日を迎えることができました。

はじめのころに体に入っていた変な力(?)はかなりましになりました(笑)

スポーツをいくつかして思うのですが、すべては力の抜き方です。普段は力を抜いて、必要なときだけ力を入れる。僕は勝手にこれが仕事もスポーツも共通する極意だと思っています。ずっと手をグーにはできません。力をゆるめてパーにしないといけないときが必ず来ます。

開業前からたくさんのご指導をいただいた先輩、友人、後輩、元勤務していたところからわざわざ遠くまで通っていただいている患者さんとそのご家族、そして、両親と家族に心から感謝したいです。

そして、このブログを読んでいただいているみなさま。ビューの数が増えていることにどうしてもうれしさを隠しきれません(笑)。今年はブログを始めたばかりの素人の文章にお付き合いいただきありがとうございました。来年もみなさんにとって少しでも有意義な文を書くために日々研鑽を続けていきたいと考えております。よろしくお願いいたします。


2013年12月26日木曜日

厳しい環境で育った子は頭がいい

虐待を受けた子、うつ病の子、激しいいじめにあった子、リストカットを激しくする子、施設で暮らしている子。特にいわゆるアダルトチルドレンの家庭(機能不全家庭)の子たちです。ほんとに幼い幼稚園児から大学生にいたるまで児童精神科に来る子どもたちに会うといつも思うのは本当に目先が速くて、大人の考えや気持ちを読んでいて、頭がいいことです。はっきり言って、普通に生きている大人より上手を行くと僕は考えています。

逆に言えば、この子たちは実年齢よりも早く大人にならざるを得なかった。だから子どもらしくぼーっと生きることができなかった。その世界を生き抜くために大人の考えていることを必死に予測して、いかに自分が被害を受けないで済むのかを考え抜く中で身に着けたスキルなのでしょう。

僕は診察の中でアダルトチルドレンの子どもたちに出会うときには普段以上に緊張します。この子たちに中途半端な気持ちで向かうわけにはいかない。なぜなら真剣にその子に向き合わないと、その子にそれが伝わってしまい、人間関係が築けないからです。この子たちとしっかりとした信頼関係を築けないと治療にもなりません。なので、僕は子どもたちとの関係を築くことに何よりも腐心します。その子たちの問題に一緒に向き合うために。

2013年12月22日日曜日

不登校の子はなぜ1日中ゲームをするのか?

児童精神科外来でダントツ1位を占めながら最も治療困難な不登校という状態。この子たちに共通すること。それは1日中ゲームをしていることです。

僕はこれについてずっと考えてきました。なぜこの子たちは1日中ゲームをしているのか。単にゲームの中毒性で説明がつくのか。その率直な疑問を僕が主治医として担当し、不登校から抜け出して学校に行けるようになった子たちに聞きました。

その答えで多かったのはこの2つ。

・他にすることがなかったんです
・学校のことを考えるのがしんどかったから

この2つの答えは実はつながっています。学校に行っていないことを考えるとしんどいし、空いた時間にすることがない。そのときにゲームという集中できる遊びはその2つの問題を一度に解決してくれるツールなのです。

多くの不登校の子たちは学校に行けていないことについて罪悪感はしっかり感じています。心の底からゲームを楽しんでいる子はいません。

一方で、不登校で1日中ゲームをするわが子を見て、ご両親(特にお父さん)は「学校も行かないくせに1日中ゲームで遊んで、何を考えてるんだ」という言葉が出てきてしまいます。親としては当然の感情でしょう。しかし、僕は思うのです。子どもたちは学校に行けないという現実から離れるためにゲームをしながら自分の心をごまかしながら何とかやり過ごしている。

なので、僕は不登校の子たちにゲームをするなとは言いません。ただ、ゲームをしている気持ちを理解していることを伝え、この居心地の悪い状態から抜け出す方法、つまりどうすれば今の状態から抜け出せるのか、何が学校に行くことを邪魔しているのかについて本人やご両親と模索することを続けるだけです。その原因は精神病、学校の状況、家庭の状況など様々でしょう。不登校の原因の多くはわからないというのはうそです。それはこちらが本人の状態を把握しきれていない証拠です。どこに原因があり、どこに糸口があるのか。時間はかかっても、その糸口を本人や家族と一緒に模索することが僕たちの仕事です。

2013年12月20日金曜日

見た目で重症度はわからない

激しいリストカットをするから、派手に暴れるから、大声で暴言をはくから重症で、表面的には静かで社交的だから軽症というわけではありません。

精神科や心療内科に通院されている方の多くは普通に仕事や家庭で社会的な日常生活を送っておられます。つまり、普段の姿や話し方だけで重症だなとわかる人はごく一部なのです。健康そうに普通に働いているように見える人で「えーあの人がうつ病だったなんて」みたいなことや、すごく明るくて元気な女の子の腕をたまたま見たらリストカットの痕がたくさんあったなんてことは珍しくありません。逆に言えば、普段の様子から感じられるくらい辛そうにしている人は状態がかなり悪いと言えるかもしれません。

前回の精神障害者のお話にもつながりますが、見た目にはわかりにくい上に、精神的な問題なのでご自身で何事もないように振る舞うこともできます。本人は何とか今の苦しい中でも乗り越えようとされているわけです(この時に僕は何かできることはないかなとお手伝いしたい気持ちになります)。

僕は人の心の奥深さというのはそんなに簡単にわかるものではないと思っています。長く診させていただく中でその人の状態や重症度が徐々に見えてくるのです。言ってしまえば、ものすごく重症だという判断はできても、軽症だという判断は難しいということです。


2013年12月18日水曜日

精神障害のある人にも杖がいる

街で足が不自由な人が歩こうとしています。それは誰が見ても歩くときの様子が不便に見えるので、周囲にいる人は大丈夫かな、転ばないかな、転びそうになったら手を差し伸べようかなと思います。

では、知的障害のある人、発達障害の人、精神障害をもっている人に対してはどうでしょうか。なんか怖いな、何かされたらどうしよう、変な人だな、薬をたくさん飲んでるんだろうな。こんなことを思う人は多いのではないでしょうか。僕自身、精神科医になる前にそんなイメージを持っていなかったといえばうそになります。

日々、精神障害を持った人たちにお会いする中で気づいたことは、精神障害を持った人にも足が不自由な身体障害の人同様、なんらかの「杖」が必要なのだということです。それがヘルパーさんによる生活援助なのか、コミュニケーションスキルなのか、切符の買い方やバスの乗り方などの社会的なスキルなのかということです。無論、通院や薬は身体障害のある人も通院や薬を必要とすることがあるはずです。

足が不自由な人が自ら選んで足が不自由なのではないのと同様、精神障害のある人も自ら選んでその状態になったわけではありません。精神障害を持った人たちの多くはごく普通の人たちです。テレビで事件を起こすような人はごく一部です。ただ、外から障害が見えにくかったり、一見不思議な行動や言動をするため一般の人からの理解を得にくいだけです。

僕は精神障害を持っている人の杖になりたいと思っています。

僕のブログを読んでくださっているみなさんにお願いがあります。街で少し不思議な感じの人に出会った時にはわざわざ近づいていけとは言いません。ただ、普通の一人の人として、その人を見てください。そしてその人が何か困ってそうな時は周囲の安全だけ確認できれば、足が不自由な人に手を差し伸べてるのと同様に、言葉をかけてあげてください。

2013年12月15日日曜日

The darkest time is just before dawn(一番暗い時間は陽が上る前のことだよ)

The darkest time is just before dawn.
一番暗い時間は陽が昇る前のことだよ

映画監督のヤン・ヨンヒさんがニューヨークで苦しい生活をしているときに友達から言われた言葉だそうです。

明けない夜はない、陽はまた昇る。似たような言葉をたくさん聞いてきましたが、この言葉は苦しい状況に置かれた時に一番力強く人の心を救ってくれるのではないかと感じました。

今、生きている状況が苦しすぎて、どうしていいかわからない、死んじゃったほうが楽だと思っている人たちに向けてこの言葉を贈りたいです。




2013年12月13日金曜日

点と点をつないで線にする

診察で患者さんが自分の困っていること、これまでの経過を話されます。当然ですが、患者さんは自分の中で強烈に印象に残っていること、自分として辛い部分を話されます。たとえば小学低学年のときのこと、高校3年のときのこと、社会人1年目の出来事など、点という形でお話しされる場合がほとんどです。話が大人になってからの話から急に幼少期にもどるなど時間が前後することも多々あります。つまり、患者さんは点として話されることがほとんどです。中には聴いているこちらが本当に聞き取りやすいように順を追って話してくれる人もいます。こんな方はほんとにありがたいです(笑)。

当然、ここでは順を追って説明できる、できないを批判したりしているわけではありません。順を追って説明できる場合には能力が高いのかなとか状態がまだそれほど悪くないのかな、話があちこちに飛んでしまう場合にはあまり状態はよくないのかなという判断の材料にはなります。

ただ、お話をお聴きする中で大切なのは患者さんが話される「点」を一つ一つお聴きして、その点と点の間をこちらが想像しながら「線」にしていくこと。つまり、その人が人生を生きる中で見て来られた景色をこちらが映像にして作って、その映像を一緒に見るイメージで患者さんに「こういう流れでこんな症状が出てきたんですね」などとこちらが説明しながら診察を進めていきます。こうすると治療するこちらもわかりやすくなりますし、患者さんにとってもご自身のことを理解してもらう助けになり、それがそのまま治療になります。

もちろんこれは難しいですし、うまくいかないこともあります。それには1回の診察だけではなく、丁寧な診察を重ねることが欠かせないと思います(笑)

2013年12月10日火曜日

まじめに治りたいと思っている人へ

昨日、弟と仕事の話になりました。弟が「まじめに治りたいと思ってる人には自分が持ってるものをすべて使って治療してよくなってほしいと思うよな」と。僕はこのとき、なんで僕がずっと思ってきたことをこのタイミングで言ってくれるのか、いみじくも言ってくれたな、わが弟!と思いました(笑)。

僕の考えの基本はやっぱりまじめに生きてる人がちゃんと報われる世の中であってほしいということです。それは病気の治療も同じ。まじめに治りたいと思ってご自身も努力されてる人が助けを求めているなら全力で答えたい。今の辛い状態から抜け出したくて必死にもがいている人の役に立ちたい。溺れそうになっている人を水上に引き上げて一瞬でも息が吸える状態にしたい。息ができる時間を長くしたい。病気や症状が回復していくということは少しずつ息ができるようになり、その時間が少しずつ長くなって、最終的には何の気兼ねなく息を思いっきり吸えることだと思います。

治療に対して真摯に向き合って治療者と一緒に努力したいと思ってくれる方のお役に立ちたい。


2013年12月7日土曜日

僕はレントゲン検査

今日は大阪小児科学会に参加してきました。久しぶりに小児科関連の発表を聴いて、診察所見、検査などのあとに診断というごく当たり前の流れに触れました。それを聴きながら、東京で小児神経科の勉強をしているときに上司の先生方がされていた身体診察の細やかさ、洗練された技術に感嘆した時期のことを思い出しました。その上司の先生方はまず検査ではなく丁寧な診察のもとに病気の種類を絞ってから患者さんに検査を受けてもらい、診察での予測と検査結果が一致するのかを確認されていました。僕が診察してもわからないものが、上司の先生が診察すると診断が見えてくる。その姿に憧れました。

現在の精神科医療では何かの機械で検査というのは一部を除いてほぼありません。つまり診察=検査です。僕は自分自身がレントゲン検査だと考えています。いかに正確に鮮明に精度の高いレントゲン写真を撮れるのか。患者さんが診察室に入ってこられたときの姿、表情、話し方、声の調子、さらに僕がどんな声をかけるのか、どんな質問をするのか、そしてその返答をどう捉えるのか。それが僕というレントゲンができる検査です。

このレントゲンの質を上げることが僕にとって必要なことです。そのために具体的にできることは丁寧な診察、日々の研鑽、そしてうちのスタッフからの情報の収集です。いつも自分のレントゲンのレンズを磨いて、患者さんの状態をより正確に把握し、治療ができるようになりたいです。

2013年12月6日金曜日

症状が重くなったときの治療の困難さ

医学の分野ではさかんに予防医学が叫ばれている昨今です。

精神科においてもそれは同じで、精神疾患の発病を予防するために規則正しい生活をしましょう、軽い運動をしましょう、早めに薬を飲みましょう、社会や職場での理解を深めるためにメンタルヘルスの講習会をしましょうと言われています。

日々の診療の中で、比較的軽症の段階で受診される方と、ぎりぎりまで待たれて受診される方がおられます。特に病院で勤務しているときは救急車に乗らないと受診できない、警察と一緒じゃないと受診できないような重症の方に出会いました。一方で、今のような外来診療であっても、かなり状態が悪くなって、初診の時点で入院も考慮しないといけない方もおられます。

病院やクリニックを含めた医療機関を受診するときの気持ちってどんなものでしょうか?

なんか怖いことを言われたらどうしよう、重症だったらどうしよう、はじめて会う人にこんなことを話しても大丈夫かな、こんなくだらないことを相談して変に思われないかな、それでなくても調子が悪くてマイナス思考になってるのに何か言われたらもっと落ち込むだろうな。

いろんな気持ちが交錯すると思います。僕も体調が悪い時に内科を受診するときは同じ気持ちです。つまり医療機関を気持ちよく受診するということはほぼないと思うので、できるだけ受診したくないというのは人情でしょう。ただ、自分の中で何か異変を感じているのに、それをごまかしながら日常生活を過ごして時間だけが過ぎて、そのときには症状や問題が大きくなっていることがすべてとは言わないまでも確かにあります。つまり重症化している状態です。

精神科の場合、症状が重くなって問題なのはご本人の気持ちや考えが病気の症状のせいでまとまらなくて、ご本人もイライラするし、家族も混乱しておられます。そうなると精神科医としても状態を把握しにくくなります。さらに状況が複雑になり、問題解決の糸口を探すのに時間がかかり、治療にも長期間を要します。そうなるとご本人、家族とも改善が見られないことへのいらだちが出てきて、お互いの衝突が増え、家族全体として状態がさらに悪くなるという悪循環になります。

治療させていただく立場としてはやはり早めに受診してほしいです。症状が初期で、状況を把握しやすく、複雑化していないため治療もしやすいので、治る確率も高まる。これらのことからいろんな意味でお勧めしておきたいです。

2013年12月3日火曜日

人を信じることの難しさ

僕は通常の診療以外に、子ども家庭センター、児童養護施設、支援学校の子どもたちと接することがあります。この時に僕が思うことは人を信じることの難しさです。人を信じることが到底できない厳しい状況で暮らしている子どもたちがいます。具体的には日々の愛情がないまま、親の感情の起伏のまま身体的、言語的暴力を受ける子どもたち、生きていくための養育を受けることができない子どもたち。

日常的に接する親が子どもたちに安心感を与えることができていれば、子どもたちは親という存在を信じることができます。そして一番近い存在である親を信じることができれば、外に出た時に人という存在を信じることができます。しかしその親が子どもたちに安心感を与えなけれな、外に出た時に人を信じることができなくなります。

こう書くと、子どもに安心感を与えるために、いつも子供を大事にして、できるだけ子どもに不快な感情を持たせないよう、機嫌を取る人がいます。しかし安心感を与えることと機嫌を取ることは違います。

この時の僕の結論は普段は思い切り愛して、間違った行動をしたときには思い切り叱るということです。さらに日常的に子どもたちを愛する、具体的にはご飯をちゃんと食べてるか、夜はちゃんと寝れてるか、学校で困ったことがないのかなど、日々子どもたちを心配しているという姿勢が子どもたちに伝われば、子どもたちは親の愛情、それから得られる安心感、つまり人を信じることを学びます。親を信じていれば、自分が間違ったことをしたときに叱られても、親を憎むことは決してありません。

それがかなわない不遇な環境で過ごしている子どもたちには僕が言うのもおこがましいですが、人を信じる体験をしてもらうことを目指しています。具体的にはそんな子どもたちに最前線で接している大人である、子ども家庭センターの職員の方、施設や支援学校の先生方に、子どもたちにとって信じられる存在になってもらえるよう、子どもたちの日々の悩み、食事、睡眠などの基本的なことについて尋ねてもらうようお願いしています。安定的な大人との関係を続けることが子どもたちが人を信じることにつながるのだと考えています。

2013年12月2日月曜日

「死にたい」という言葉

外来の中で「死にたい」と訴える方に出会うことは少なくありません。

同じ「死にたい」でも本当に十人十色です。その時に考えることは死にたいという言葉の意図、年齢、そのときの状況、その人の状態からその言葉の意味を想像するわけです。ただ、その中で本当に危ないなと思う方がおられます。

その時の死にたいという言葉はその人が普段は真っ暗な深い海に潜っている状態で、唯一水面の上まで上ってきて呼吸をする瞬間ではないかと考えています。死にたいという言葉を口に出すこと、人に伝えることで少し呼吸をして生き繋ごうとしている。さらにその時だけが自分が生きたいというメッセージを外に出している瞬間。つまり、「死にたい=生きたい」というメッセージなのです。生きたいからわざわざ人の前で死にたいと話すわけです。状態が悪すぎるときは言葉など出ない。うつ病や統合失調症の重症のタイプだと意識もはっきりせず、疎通も取れない状態があります。

僕は「死にたい」と話される方には「この人は心の底では生きたいんだな」と理解して、少なくとも、一旦は否定はしないようにしています。そしてお話を聴いた後に「死なないでくださいね、また待ってますね」と話しています。

2013年11月28日木曜日

薬を処方するということ

医者になって僕が初めて働いた場所は大学病院の小児科病棟でした。その病棟には白血病などの悪性腫瘍の子どもたちがたくさんおられました。その中で僕が初めて処方した薬は抗がん剤でした。先輩のチェックは当然受けていますが、処方箋に自分のハンコを押すとき、内心すごく緊張したことを覚えています。この薬で何かあれば、自分の責任になるんだろうな、薬の副作用が出たらどうしよう。体に変な力が入っていたことを思い出します。

特に小児科では新生児から中学生まで、体重1kgあたりで薬の量が決まります。それくらい小児科医は薬の量に敏感です。そんな経験から精神科医になってからも、薬を出すということに常にある一定の緊張感があります。実は精神科医になって大人の方に薬を処方するとき、大人であっても体重が30kgの人と100kgの人、20歳の人と90歳の人と、体重や代謝が違うのに、同じ薬を処方するときは同じ量でいいというのはおかしいのですよね。

当然ながら、医者にとって薬は一つの大きな武器です。薬なしで治療するというのはどの科においても一般的にはかなり困難でしょう。効果や副作用の説明も大切ですが、ある一定の緊張感を持って患者さんに薬を処方するという姿勢が医者にとって大切なことであると思っています。薬はもちろん体のどこかに作用するわけですし、今までに報告されていない副作用が起こる可能性もある、さらに飲むときの患者さんの体調にも影響を受ける。もちろん怖がるばかりもいけないとも思います。特に昨今、精神科の薬についてのいいことも悪いことも両極端な情報が流れているように感じます。僕としては、答えはおそらくその両極端のどちらでもないと感じています。問題は薬ではなく、その薬を処方する医者の姿勢にあると思います。

薬であればどんな薬であれ、ある一定の緊張感を持って処方していきたいと考えています。

2013年11月26日火曜日

行間を読む

僕は人のお話を聴くときに、行間を読むことが大切だと考えています。

お話をされるご本人や家族は実際にあった事実やその時の思いを語ってくれます。でも人は事実やその時の思いを話せてるように見えて、実際にはそれを人に伝えることはすごく難しいことです。確かに自分のこれまでのことを本当にきれいに整理して、わかりやすくお話しできる方も中にはいらっしゃいます。そんな方にお会いすると、すごく利口なのか、状態はそれほど悪くないのかと思います。

人に何かを言葉で伝えるときの作業としては3段階あると思います。
事実と自分の感情を整理し、言葉にして、相手に伝える。

自分の思っていることを人に伝える。簡単に見えて、実はこれは大人でも難しいことです。誰かに話をしながら、なんかうまく伝えられてないなと思うことって、僕はしょっちゅうあります。その時、自分の語彙力、整理力にもどかしさを感じますが。。。ましてや子どもなら表現力、語彙の問題からさらに難しくなります。その時に僕たち精神科医にとって必要なのは想像力です。もしかしたら自分の言いたいことをうまく表現できていないかもしれない、言いにくいことを避けて話しているのかもしれない(当然ですね)。お話をお聴きしながらも、ご本人の本当に訴えたいことは何かを想像するわけです。その人の言葉と言葉の間に何が隠れているのかを考える。これが行間を読むことだと考えています。

行間を読むとは本来は文章を読むときに使う言葉でしょう。僕たちは文章を読むときに自分なりに想像をしながら読むはずです。それをお話をお聴きするときにも使うわけです。

この行間を読む力がないと、患者さんにお話しするのに、ちんぷんかんぷんなことを言ってしまいます。僕もこのために患者さんに「えっ」みたいな顔をされることがあります。

行間を読む力を育てていきたいですね。


2013年11月25日月曜日

精神科外来は人生相談?

現在の日本における精神科のイメージは心療内科という言葉の出現、「うつ病はこころの風邪」の宣伝などから僕たちが子どものころからは考えられないくらい一般の人たちに受け入れられることになりました。

そんな中で「となりのうるさい人が困るんです」、「姑さんとの関係をなんとかしたい」、「学校の先生が自分の子を理解してくれないんです」など、時に精神科外来はよろず相談所に代わることがあります。昔なら親や兄弟、知り合いのおじさん、おばさんが相談に乗ってくれたかもしれない内容まで、今の時代は心療内科の戸を叩きます。

僕は精神科医の仕事は困っている人がいるならその人の問題を一緒に考えることだと考えています。

これまた先日、僕の師匠である山上先生に「私たちの診療は人生相談じゃない。あくまで病気の治療であって、診察が人生相談になったら終わり。私たちは病気の治療のプロであって、人生相談のプロじゃない。人生なんて今もわからない。」と言われました。この言葉も僕を混乱させました。確かに僕たち精神科医は占い師でも、人生のプロでもない。でも患者さんは困って精神科医に頼りたくて外来に来られる。

僕はここでいろんなことを思いました。

時代の流れにしたがって患者さんのニーズは変遷しています。昔は精神科に来られる患者さんはいわゆる病気という人たちしか来なかったのかもしれません。でも今は病気かどうかの不安を持たれて来られる人がいるので、病気じゃない人の確率も高い。ただ一つ言えることは僕たちの仕事は患者さんの役に立たないとなんの意味もないということです。そうなってくると患者さんのニーズに対して、自分ができることであれば最善を尽くしたい。山上先生のおっしゃる病気の治療はもちろんメイン、さらに病気かどうかの判断も。決して人生のプロでもなんでもありませんが、人生相談もお答えできる範囲で対応する。なぜなら時にはその人生相談自体が治療になるからです。ただ、最終決定は患者さんにしてもらう。それはもちろん患者さんの人生ですから。

今後も考え方の柔軟性を忘れず、自分自身の考え方を少しずつ構築していきたいと思います。

2013年11月22日金曜日

親にほめてほしい

診療の中でたくさんの人の気持ちをお聴きしていると、表面的にはいろんな症状や問題がありながらも、診察を進めていくと根底に「親にほめてほしい」というのがある方に出会います。

親にほめてもらいたくて、がんばる。

これは多くの人が心の底で思っていることではないでしょうか。幼いころからの自分を一番近くで見てきた人。一緒に過ごした時間が長い人。社会に出ると周りの人たちは自分のことをそんなに簡単にはほめてくれません。誰かに褒めてもらえない時でも、頑張ってる自分がいます。それを自分でほめることも大切でしょう。でも、誰に一番ほめてほしいって、他人じゃない。他の誰よりも親にほめてほしい。そのほめてほしい気持ちは今さら言えない、恥ずかしい、言ってもどうせわかってくれない。いろんな理由があると思います。

僕の親はそれほどよく褒めてくれたわけではありませんが、子どものとき、たまに褒められた時のうれしさと言ったら、子ども心に言葉では表現できないくらいうれしかったですね。もちろん、今も親に褒めてほしいという気持ちはあります。僕の祖父は褒めるということが苦手な人で、褒められた記憶はほとんどありません。僕が大学生のときに祖父は亡くなりましたが、今も「おじいちゃんに褒めてほしい」という気持ちがあります。

僕は親に褒めてほしいという気持ちをお持ちの子どもや大人の方にお会いしたとき、照れくさいかもしれないけど、勇気を出して「ほめてほしい」という素直な気持ちを話すことをお勧めしています。もし親御さんがいらっしゃらない場合にはそれに代われる人に話す、あるいはそれもできない場合には僭越ながら主治医である僕がほめて差し上げることにしています。そのほめられるという体験がその人の生きる力になりますように。そんな願いを込めて。

他には何もいらない。「よくがんばったね」、その一言がほしいだけ。

そんな気がしています。

2013年11月20日水曜日

病気なのか、病気じゃないのか

日本では精神科の病気の診断にはアメリカの精神医学会やWHO(世界保健機構)が決めた診断基準をもとに行うことが主流になっています。

僕には基本的に典型的な病気じゃない限りは患者さんを病気にしたくないという気持ちがずっとありました。

たとえば、うつ病の診断基準なら

「症状の臨床的著しい苦痛または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を起こしている」

という一文があります。これでいくと何らかの機能が落ちてないと病気じゃないので、仕事や家事ができてしまうと病気じゃないみたいに理解されてしまいます(診断基準の存在の良し悪しもあります)。

ただまあ、言ってしまえば、僕の勝手な「病気だと気の毒だ」という気持ちでしょうか。つまり、診断基準をすべてきちんと満たして、はじめて病気だとしていました。もちろん、診断基準をきちんと使いこなすことが前提です。ただ精神科では病気か病気じゃないかのラインは誰の目にも見える形で明確にするのは難しい部分は確かにあります。

昨日はいつものように福岡に山上先生に会いに行っていたので、これを相談したところ、

「それはあなたの病気に対する偏見。患者さんを病人にしたくないなら、医者をやめないと。私たちは病気を治すのが仕事。治療は人生相談じゃない。」

と言われました(もちろんやさしく^^)。

たしかに今までの僕の経験でも典型的な病気でない方に「まだ病気とはっきり言えるレベルではありません」と説明すると、患者さんから「そうですかあ、病気じゃないとしたら、どうしたらいいのかわからなくなりました」と言われたことが何度もありました。僕としては「病気じゃないですよ」というので安心してもらおうと思っていたことが、裏目に出てしまっていたのです。病気と言われて、安心する人とそうでない人もいるでしょう。ただ、病気となると、医者と患者さんで一緒に立ち向かっていこうと思える。

このお言葉は僕にとっては衝撃的でした。僕は今まで患者さんという「人」をメインに診ていましたが(これは悪いとは思っていません)、「病気」という視点もしっかり持たないといけない、自分の精神科医としての姿勢を改めないといけないと、帰りの飛行機の中でひとり思っていたのでした。


2013年11月16日土曜日

子どもたちはブレーキが利かない

 人は生まれて、その時まで自分が見てきたものから学んで、それを自分の中に取り入れ、その後の人生での様々な判断をします。逆に言えば、人はその時まで見てきたものでしか、物事を判断できません。

 赤ちゃんはみな自分勝手で、欲望の塊です。お腹がすくと泣いて、周囲を気にせず、目に入ったものを触ったり、したいことをしようとするものです。ごくごく自然なことですよね。

 「子どもは勝手に育つ」なんて言葉があります。僕はこれは違うと思います。親が何も教えず、一人で勝手に育ってるんじゃなくて、それは代わりの誰かが、あるいは経験がその子に教えてくれているのです。

 子どもはブレーキのない車です。そこで、親が「周囲を見て行動しなさい」、「目に入ったものでも危ないものは触らないで」、「したいことでも我慢しないといけない時があるんだよ」と教えるわけです。つまり、これはブレーキのなかった車にブレーキを備え付ける作業なのです。逆に、本能的に子どもがしたがっているからという理由でしたいことをさせると、子どもはブレーキがないまま大人になるわけです。本人のしたいようにさせているということはブレーキのない車が走るのを傍観しているのと同じです。

 これは思春期になった子どもたちも同様です。反抗期という言葉があります。確かに思春期はホルモンバランスの変化、将来への漠然とした不安、対人関係の複雑化、身体の急激な変化からイライラしやすく、ブレーキが利かないことがあるでしょう。それを防ぐためには幼少期にいかにブレーキを教え、時には親自身がブレーキになることです。「もう大きくなったから」と子育てが終わったかのような言葉をよく聞きます。たしかに幼いころに比べれば、親が子どもに直接関わることは減りますが、思春期になったからと言ってそれで終わりではありません。遠くの方からその子の様子を深く観察していなくてはなりません。潮流を見て、「ここだ」というときを見逃さず、親自身が子どものブレーキにならないといけない時があると思います。その時に親がブレーキになれるか。親から見て思春期になった子どもが危ないなと思うときに「やめなさい」とブレーキを利かせることができるかも、それまでの親が子どもに教えたブレーキで決まるわけです。つまり幼いころからブレーキを備え付けておけば、大きくなっても、ここだというときに親が子どもたちのブレーキになれるわけです。

子どもたちはエネルギーいっぱいにアクセルを踏むことは得意です。それはもちろんいいことです。それと同時に親がブレーキを備え付ける、あるいはなってあげることでアクセルとブレーキを備えた人に成長するのだと思います。

2013年11月12日火曜日

うつ病のない民族

みなさんは先日のNHKでの「病の起源 うつ病」をご覧になられましたか?

アフリカのタンザニアにハッザ族という民族がいます。今でも狩をして生活をしている民族です。以下はハッザ族の人たちの言葉です。

「朝起きたらそれだけで幸せ」
「今まですぐに寝れなかったことはない」
「私は家族にとって価値のある人間だ」

学者によるとうつ病に無縁の答えは平等な暮らしのため、現代社会の人たち持つ悩みがほとんどないからということでした。

ハッザ族の人たちは獲物を分け隔てなく平等に分けて、獲物を独り占めすることは絶対ないそうです。つまり損得で生活しているとうつ病になりやすく、公平という考え方を持つことでうつ病になりにくいということです。

これをもとに研究をしている人がいました。うつ病では扁桃体からのストレスホルモンの分泌が過剰になっていることがわかっています。その研究では人は損をした場合も得をした場合も扁桃体からストレスホルモンが過剰に出ており、公平な場合にはストレスホルモンが少なく出ていたのです。

では現代社会で暮らす僕たちがうつ病になりにくい状態にするにはどうすればいいのか。この研究からは損得で物事を考えないこと、ということになります。でもそれは日本に暮らす一般の人間からすればかなり難しいことでしょう。なぜなら僕たちは幼いころから「~さんよりも私は得をした、損をした」、「前は得をしたのに、今回は損をした」という損得勘定の社会で生きてきたからです。

それではどうすればいいのか。僕なりに2つの方法を考えてみました。
1つ目は「自分が少しくらい損をしてもいいや」という考えを持つことだと思います。「それくらいならいいよ」と他の人よりお金を少し多く出す、他の人が嫌がる仕事をする、自分から何かを人に提供する。僕が今まで出会ってきたそんな人たちはみんな幸せそうに暮らしている気がします。その逆の損得勘定が出てしまっている人はいつも何かに不満を持っているように見えます。

2つ目です。損得勘定というのは何かとの比較の中で生まれます。そこで、他の人と自分、または過去の自分と今の自分を比較しないことです。他人や過去の自分と今の自分を比較しなければ、少なくとも損得を考えることは少なくなるでしょう。

「少しくらい損してもいいや」と「比較しない」
僕自身もこれから実践していきたいです。

2013年11月10日日曜日

地域の診療所の連携の講演会で講演させていただきました



 昨日は地域の精神科の診療所の先生方のお誘いを受けて、診療所のスタッフの方を対象に発達障害のお話をさせていただきました。みなさん、すごく熱心に聴いていただき、質問をお聴きする中で、普段真摯な姿勢で患者さんに向き合われてる気持ちが伝わってきました。そのうれしさの反面、自分がうまく説明できなかったり、早口になってしまったり、自分のプレゼン力がまだまだだなと内心はへこんでいました。

 僕は講演の前の準備はできるだけ時間をかけて内容を練るようにしています。アメリカのゴア副大統領はプレゼンの達人と言われています。90分のプレゼンに90時間の準備時間を費やすそうです。プレゼンは普段自分が考えていることを立ち止まって考え直し、その考えを整理し、人に伝えられるチャンスです。自分がどんなに素晴らしいことを考えていても、それに共感してくれる人がいなければそれはただの独りよがりな考えになってしまいます。だから人に何かを伝える能力というのは本当に大切です。能力がありながら、伝える力の乏しい方はもったいないなあと思います。なので考える力と伝える力の両方が必要なのです。僕は両方まだまだです(笑)。
 また、講演では他の人に自分の考えをお話して、ご意見をいただくことで考えの修正もできます。さらに人前で話すことは緊張はしますが、その緊張感、達成感は何物にも代えがたい興奮です。なので、僕は講演は大好きですし、依頼をいただいた場合には極力お受けすることにしています。それが自分を成長させるチャンスだと感じているからです。

2013年11月8日金曜日

患者さんとの関係を作るための時間

患者さんとの治療関係というのは精神科における大きなテーマです。関係ができていないと治療が進まない、進められない。逆に関係ができていると同じ言葉、説明であったとしても、しっかり理解してもらえます。

治療関係ができるまでにかかる時間は患者さんによって違います。それは人対人なので当然かもしれません。あくまで僕の印象ですが、初めて会ったときから関係が気付けた気がする(?)ときもありますし、何か月もたってからようやく徐々にできてくる関係もあります。

もちろん初診時の関係は非常に大切です。その時に関係がうまくできないと、それ以降の治療ができずに、残念な気持ちになることがあります。患者さんとしては切羽詰まってこられるので、すぐに結果がほしいと思われるのは当然です。しかし精神科の治療はどうしても時間がかかってしまうことがほとんどです。なので、患者さんの状態と状況によりますが、しっかりとした治療が必要な方は僕としてはせめて3か月(この間の治療の回数は人によって違います)は通っていただきたいなと個人的には思います。

それともう一つ。
僕は最近、徐々にできてくる関係のほうがより丈夫な関係を築けて、治療がしやすい気がしています。時間をかけてお互いの関係を気付いていくと、僕の治療への考えを患者さんや家族に説明する時間があること、お互いの性格がわかってくること(笑)、僕自身も患者さんの状態を把握するのに時間をもらえることから、治療がしやすくなります。お互い人間ですから当たり前ですよね^^

精神科の治療は人対人でするもので、検査や薬だけでするものではありません。

そのために患者さんとの関係を時間をかけてしっかり作りながら、治療して行けたらと考えています。


2013年10月31日木曜日

誰かの役に立つこと

人が生きている究極の意味って何でしょうか?

人により様々でしょうが、僕は誰かの役に立つということだと考えています。

子どもの役に立つ、友達の役に立つ、親の役に立つ。
人の役に立っていると感じられるあの快感というか充実感って、いわく言い難い部分がありますよね。さらに、その時に人はとんでもなく力や気力がわいてくる気がします。

誰かの役に立つことは、人に生きる力を与えてくれる最も大きなものだと思います。

2013年10月29日火曜日

自信を持てない子どもたちにできること

自分に自信が持てない人に出会うことが多いと感じています。それは大人であれ、子どもであれ、僕も含めて(笑)。

じゃあ、自信を持ってもらうにはどうしたらいいのか。

それは誰が見ても評価できる小さな自信を重ねてもらうことだと思います。家のお手伝い、兄弟の世話、勉強のプリント1枚。比べる対象は他人ではなく以前の自分です。1年前、1か月前、1週間前に比べて、この部分はできるようになったというところを作るようにお願いしています。そしてもちろん親御さんには本人に褒めるようにしてもらいます。

不潔恐怖で手洗いが長ければ少し短くなれば少しの自信になるでしょう。外に出れなかったなら、少し散歩できるだけでもいいでしょう。働けなければ、短期のバイトができるだけでいいでしょう。

対自分という比較対象に対してわかりやすくするために、僕は日々の生活をノートにメモしてもらいます。それは僕が診療しやすくなる部分もありますが、ご自身でそれを見て、「できてる部分もあるな」とご本人に思ってもらうためでもあります。患者さんはみなさん、よくなられていても、「まだこれができな、あれができない」と良くなってる部分には注目されずに、次の問題に行こうとされます。もちろん、すごいスピードでよくなる人もおられますが、多くは本当にゆっくりゆっくりよくなられる人がほとんどです。

僕の師匠の山上敏子先生がよくおっしゃいます。「大逆転のホームランなんて、ねらっちゃだめ。小さな変化を重ねて、治療していきなさい」。

小さな自信を重ねていってもらえるよう、お手伝いをしたいともいます。


2013年10月28日月曜日

治療は9割がタイミング

精神科の診療では人生における、その人個人ではどうしようもないことが起こってしまった患者さんに出会います。つまり、今の生活の状況や環境が変わらないと、どうしようもない。でもやはり辛いからクリニックに来られます。その間に生活スタイルの改善、睡眠や食事を整える、日中の過ごし方、仕事との付き合い方などから治療の糸口を探します。できることは限られていますが、少しずつでもいいから改善がみられたらと思い、診療します。

精神科医としてご高名な土居健郎先生は「治療の9割はタイミング」という言葉を残されています。

所詮、一人の人間である自分は人の心の治療というものに対して、状況や環境が変わろうとしている、患者さんが治ろうとしている「ここだ」というタイミングを間違えずに、治ることの邪魔をしないことが大切なのかもしれません。僕はどうしても早く良くなってほしいと焦ってしまうきらいがあります。そのタイミングが来るまで患者さんと一緒に我慢しなければいけませんね。

2013年10月25日金曜日

患者さんが自信を与えてくれる

先日、「患者さんに癒される」という題でブログを書きました。

それからまた感じたことがありました。

内科や外科では~という診察の所見と~という検査で診断して、~という薬で、~という術式で治療をします。それは医師、患者の両者にとって診断、治療の流れがわかりやすく明確で、あとから振り返っても、よくなった理由の説明がつきやすい。しかし精神科では診断は検査というよりは問診がメイン。治療は薬もありますが、精神療法という会話中心の治療であり、その治療というのは医師、患者ともにその効果がわかりにくいことがあります。やはり内科や外科に比べて、精神科は人のこころという曖昧模糊としたものを治療対象にしているので、それは仕方ないなと思います。

正直なところ、治療をしている自分が「どうしてよくなったのかわからないけど、よくなったなあ」ってことは結構あります。その理由が一つ一つ説明できないのは自分の技術がまだまだだなと思います。ただ、医師の技術だけではなく、こちらが気持ちを入れてお話しする、真剣にお話を聴く(この2つは本当に大切だと思います)、その人の人生の中での偶然、患者さん自身の努力、家族の協力、環境の変化など、多くの要素をもってよくなったんじゃないかという想像をしています。この時、治療者としては少し辛いものがあります。「あっ、よくなったのは僕以外の力なのかな」と考えてしまいます。

僕たち精神科医にとって、自分の治療が間違ってなかったともっとも感じさせてくれるのは一連の長い治療が終わった後に、「先生に出会えたからよくなれました」という患者さんからいただく一言な気がします。僕はその言葉をいただけた時、自分が医師のはずなのに、逆に患者さんが自分に自信を与えてくれる医師のように感じます。僕たちだって人間です。患者さんが心の底から発してくれる言葉は僕たち医師を健康にし、明日の診療へのエネルギーを与えてくれるのです。

2013年10月24日木曜日

1日中スマホ

1日中スマホをしてる子、落ち着かなくて家の中をうろうろしてる子。

統合失調症、摂食障害、うつ病、トラウマ体験のある子など状態や疾患の種類は違えど、表面に出てくる様子は似ています。そんな子たちにスマホやうろうろしている理由を聞くと「何かしてないとしんどい」、「じっとできない」、「落ち着くから」などと言います。

僕の想像ですが、1日中スマホをしてるのは本当は好きでしてるんじゃなくて、自分の心の置き場所がなくて、スマホをすることで自分を何とかコントロールしてるんだろうなと思います。他の例でいえば、リストカットや大量服薬、過食嘔吐などの自傷行為も似た作用があると思います。その根幹にあるのは自分を受け入れてくれない体験、自分や周囲へのいらだちなど様々でしょう。自分ではどうしようもないので、落ち着かない。港を探している小舟のようなものだと思います。その小舟は明かりを持たないので、どこにたどり着けばいいのかわからない。その港でもっともいいのは親でしょう。それが困難な場合には学校の先生、友達、知り合いのおじさんでもいいかもしれません。その子にとって「落ち着くなあ」という感覚を持てる場所が大切なんだということです。その小舟の明かりに僕や当院のスタッフがなれたら、さらにそんな港の一つに宋こどものこころ醫院がなれればいいなと思います。

2013年10月21日月曜日

後医は名医

「後医は名医」

後に診察した医者のほうが情報が多く治療しやすく、患者さんの状態も良くなりやすいということです。

これは研修医の時に指導医の先生に教えていただいた言葉です。

日々の診療の中で、複数の医療機関を受診してから来られる方、その逆で僕のところに来てくれて他の医療機関を受診したい方。もちろん両方あります。

研修医の時にこの言葉と同時に習ったことがあります。それは自分が後で診察した医者であれば、決して前に診察された医者の批判はしないということ。まあ、これは同業者としての最低限のマナーですよね。改めて言うまでもないことかもしれませんが、患者さんの前で他の先生の批判はしてはいけません。また後からの評価なら誰でもできます。まあ、現実として僕らくらいの世代の先生で患者さんの前で他の先生を批判している人は見たことがありません。もともと良識を持った先生も多いでしょうし、研修医の段階でそのような心得はみんな習っているのだと思います。

複数の医療機関を受診されて来られた方の中には診察室の中で「あの先生は話を聴いてくれなかった」、「何年通ってもよくならない」と言われる方もおられます。そして診察の後に、「先生は前の先生とは違う。これからついていきます。」なんてことを言ってくれる方もおられます。でも僕はその時、「僕もどこかで同じようなことを言われているんだろうな」と思っています。だって、自分が他の先生方よりも優れていて、患者さんに満足していただけるなんて自信(過信?)は僕にはありません。他の先生と自分を比較する余裕もありません。ただ目の前の患者さんをよくすること、自分の技術を磨くことに腐心するしかありません。他の人の畑を気にしている暇がない。自分の畑を耕すだけで精一杯です。また精神科の治療は主に人の会話で行われるものです。先生のお考え、お互い(患者さんも医師も)の状態、ニュアンス、その時の状況によって様々です。他の先生の診察をそこで見ていたわけでもないのに批判なんてできません。


患者さんには僕も宋こどものこころ醫院もいろんな方面からの評価をいただいてると思います。その時に僕が思うのは、自分たちを大きく見せるのではなく、今自分たちができる小さなことを一つ一つしていく。それに尽きると思っています。

最後に僕の好きな言葉を一つ。
2004年には年間262安打を放ち、ジョージ・シスラーのもつ年間257安打を84年ぶりに更新したときのイチローの言葉です。

「いま、小さいことを多く重ねることがとんでもないところに行くただ一つの道なんだなというふうに感じています」

これは患者さんにも言えることだと思います。精神科の治療はすぐには結果が出ません。希望を捨てずに、小さなことを一緒に重ねていけたらと思います。

2013年10月17日木曜日

乳児院で子どもの相談を受けてきました

休診日の昨日は大阪府内のある乳児院で子どもの相談を受けてきました。

僕は年に5-10回くらい施設、乳児院などで子どもたちの相談をお受けすることがあります。その日はゆっくり時間をかけて、一人の子について関係機関(施設スタッフ、子ども家庭センターなど)の方々から多くの情報をお聴きして、その子への対応、親御さんへの対応、今後の方針などをみんなで決めていくところに僕がお邪魔します。

多いケースとしては施設ですので、保護者からの虐待を受けた、非行、自傷行為、粗暴行為などがどうしても多くなります。どこの施設に行っても感じることですが、施設スタッフの方々は本当に一生懸命、本人に関わっておられ、僕の話にも真剣に耳を傾けていただけます。それに僕も答えたいとどうしても熱くなってしまいます。内心、僕なんかでいいのかと恐縮してしまうくらいに。。。

施設に相談を受けに行かせてもらうことでいいなと思うのは一つのケースを深く掘り下げることで僕も勉強になること、子どもたちのために頑張ってるスタッフの方の姿を見ると仲間みたいに感じて僕も力をいただけることがあります。
あっ、あえて僕の希望を言うとすれば、そこでの僕の話がどの程度お役にたっているのかをまた後ででも経過を知らせてもらえれば、すごくうれしい気はしています。次からの僕のやる気につながるので(笑)

今後もクリニック以外でも、少しずつ子どもたちのお役に立ちたいですね。

2013年10月16日水曜日

迷った時は必ず険しい道を選ぶ

先日のプロフェッショナルでチーズ農家の吉田全作さんのお話を見ました。全くの素人から幻のチーズと言われるチーズを作られた方です。

その中の吉田さんの言葉。

「常に険しい道を選んできたからこそ、今がある。自分の思った道を実現するにはいろんな道があると思う。簡単な道としんどい道の岐路がある。その時私は必ず面倒くさいほうを選んできた。そうすると必ず成功する。面倒くさい道は誰も選ばないし、多くのヒントが落ちている。それを経験から知っている。」

僕の心にすごく響く言葉でした。人は楽な方に流されてしまうものですよね(もちろん僕もです)。でもそれに流され続けていると、周囲と同じかそれ以下にしかなれない気がしていました。今現在流行っているものですぐに仕事を始める人を見るといつも、「それで大丈夫ですか?」と聞きたくなってしまう。流行ってるものはもうすでに流行っているからはじめは楽に商売として成り立つかもしれない。でもそれは長くは続かない。流行に乗ることは簡単でも、それを作ることはすごく大変で、誰もしない。誰もしないものは多くが面倒くさくて、しんどくて、先が見えない。それを乗り越えることで大きなものが得られる。僕もこれから迷った時はできるだけ険しい道を選んで生きていきたいと思います(笑)。それが治療法なのか、社会的な活動なのかはまだわかりません。ただそれで僕の治療の打率を上げることにつながり、子どもたちや親御さんのお役にたてることができれば、僕個人、宋こどものこころ醫院として最高に幸せだと思います。

2013年10月14日月曜日

僕にとって診察室は舞台でありリング

先日のswitch interviewで俳優の藤原竜也さんとプロボクサーの長谷川穂積さんの対談を見ました。

その中で藤原さんは演劇の本番で舞台に上がる時、舞台が中止にならないかなあと思うといいます。長谷川さんは試合の直前、リングに上がる直前まで帰りたいな、中止にならないかなと思うといいます。でも始まるとスイッチが入るとそうです。

お二人ともその直前まで必死で準備しているはずなのに、舞台や試合が怖いのだなと思いました。僕にとっても診察は自分の力を発揮する場所であり、自分を表現する場所です。でも正直診察の前は怖いと思うことは日常的にあります。仕事の中で連戦連勝ということはありません。むしろ辛いことが多いのが現状です。それはどの仕事も同じではないかと思っていました。仕事ってそんなに甘くない。ごくたまに仕事でいいこと、すごく満足できることがあるくらいが正常でしょう。でもその一瞬のために日々研鑽を積むのだと思います。人生も同じですね。

お二人の話をお聞きして、自分と同じように思ってるんだと内心ほっとする部分と、自分の方向としては間違っていないのだと思える時間でした。

2013年10月12日土曜日

日本児童青年精神医学会総会に参加してきました



毎年参加している日本児童青年精神医学会が今年は札幌であり、参加してきました。北海道全体がもうすでに完全に秋めいていました。

この学会の中で医者歴50年の先生の講演をお聴きして「医者ができることは限られている」という言葉が僕とまったく同じ意見であったことに少し自信を持てました。その先生は今は社会的な活動をされているそうです。僕も将来的には臨床だけでなく、学校や福祉との連携、さらには社会的な活動をしていくことで子どもたちの心の健康に貢献できたらと強く思いました。

2013年10月9日水曜日

診察は1回で終わりではない

外来に来られる患者さんたちは多くの場合、一つ二つではなく、多くの悩みを持って来られます。そうなると必然的に診察の中ではいろんなことを話したくなります。自ら話しながら、それに刺激されて、あれもこれも聞きたいとなるのは人の気持ちとして当然だと思います。

今の日本の保険医療制度上、精神科クリニックでの診察の時間は限られてしまいます。その限られた時間の中で最高のパフォーマンスを目指すのが僕たちの仕事です。当院では再診の一人の診察時間は10分前後です。治療する僕としてはこの10分間をどう使うのかが最大のテーマです。

1回の診察で5個、10個と話題を出される場合があります。そのときにお話しするのは診察の時間が限られているので、1回の診察で扱うテーマは2つまでとしてくださいとお願いしています。多くの場合、長期的な問題はそんなに簡単に解決しないことが多いので、状態をよく聴いてからでないと僕の意見をお話しできないからです。

診察1回で今現在の問題をすべて解決したいと思うのは人情でしょう。ただ現実には時間的な制約に加えて、時間の流れの中で問題が軽快したり、変化していくことも多いです。なので、1回の診察で少しずつ症状や問題を氷解させていくようなイメージです。トータルの治療期間は患者さんによりますが、その1回1回を重ねていくことで治療を継続させ、最終的に治療を完成させたいです。

2013年10月7日月曜日

いつも来てくださる患者さんを大切にしたい

初めて来てくださる患者さんがいます。何度も診察に通ってくださる患者さんがいます。

僕は勤務医から開業医になり、自分のクリニックを構えることになりました。言ってしまえば、個人商店です。顧客があっての商売。なので新しく来てくださる患者さんはありがたいです。通りがかりで見た、知人に聞いた、ホームページを見た、医療機関から紹介された。いろんな経路で来ていただけます。

もちろん初めて来ていただける方は大切です。ただ最近僕は何度も、何年も通ってくださる患者さんのことを思います。僕にすごい肩書があるわけでもない、すごい実績があるわけでもない。時に僕が患者さんに苦言を呈することもあります。それでも来ていただける。勤務医のころから思っていましたが、これはありがたいの一言です。

長く通院していただける方のお役にたてるよう、これからも努力していきたいです。



2013年10月3日木曜日

患者さんに癒される

恥ずかしいので一人の精神科医のつぶやきとしてお聴きください。

正直、日々の診療の中で治療がうまく行かない、自分がまだまだ足りないと思いながら仕事をすることが多々あります。こんな状態で自分は診療してていいのかなと思うときもあります。

そんな中最近、気付いたことがあります。以前から薄々自分では気づいていただのですが、「仕事のストレスは仕事が解決してくれる」ということでした。仕事でだめなときは仕事で結果を出したり、仕事でいいことがあるほうがいいということです。

その中で一番大きなものは患者さんが僕を癒してくれるというものです。仕事がうまく行かない時に、患者さん(もちろん子どもも大人の方も)からのあいさつ、温かい言葉、笑顔、たわいのない世間話。その時、「この人に救われた」と思います。幸せなことに僕にはそんな患者さんが何人かいらっしゃいます。診察では基本的に僕が聴く側になることが多いので、外から見たら僕が話を聴いて診療してるように見えても、僕の気持ちとしては僕が癒されてるんです。診察が終わった後に「ありがとうございました」を言われると、「僕がもっとありがとうございました」とつい返したくなります。

変な話ですよね。医者が患者に救われるなんて。恥ずかしくて言いにくいことですが、ここでは正直に話しちゃいました。人ってやっぱり人に支えられて生きてるんですね。僕は恥ずかしながら患者さんに支えてもらいながら、診療しています。

2013年9月30日月曜日

学校の先生が診察に来られるとき

クリニックに学校の先生から「~くんのことについてお聞きしたい」、「~さんへの対処法を教えてほしい」という電話があることが多々あります。生徒さんが通院されてる医療機関にまで電話して状態が知りたいというのは先生もかなり困っていて、何とかしたいという気持ちの表れであると思います。

お気持ちはすごく伝わってくるのですが、まずご本人やご家族の同意がない状態で、電話で患者さんのお話をすることはできません。なので、僕はご本人、あるいは保護者の方と一緒に来ていただいて、限られた時間ではありますが、その日は先生の疑問、気になるところを中心にお話をお聴きし、診察時間の中でできるだけのことはお話しするようにしています。

診察室の中で本人やご家族から聞ける情報は確かに限られています。そこに学校や職場、社会的な場所で患者さん本人と接している人の情報は貴重です。情報が多ければそれでいいというわけではありませんが、より正確な情報が少しでも多くあれば、その人の生活が見えて、治療しやすくなることは間違いないと思っています。

2013年9月27日金曜日

かんしゃくを起こす子は発達障害?

「かんしゃくをおこして大変なんです。発達障害なのでしょうか?」、「気に入らないことがあると大騒ぎするんです。ADHDなんでしょうか?」

児童精神科外来でよく聞かれる質問です。

確かに発達障害の子どもたちは刺激に敏感で、注意しても内容が本人に伝わりにくく、同じ間違いを繰り返し、ストレスがかかるとどうしていいかわからず騒ぎます。ただ、これらの訴えで来られた子たちの中で、実際に典型的な発達障害で、本人への特別な対応(たとえば周囲からの刺激を減らす、絵を見ながら説明するなど)を考えないといけない場合はそれほど多くはありません。むしろ、知能が高く、状況をよく把握して、大騒ぎしていることが多いが僕の印象です。

「個性を大切にしましょう」、「自主性が大切です」、「教え込むのではなく、自発的に」という言葉が実際に幼稚園や保育園ではよく語られ、テレビで専門家と称する人たちがそんなことを話します。僕は子どもとは真っ白な何のルールも備わっていない本能の塊だと思っています。お腹がすけば泣き、気に入らないと騒ぎ、おいしいと思えばそれをずっと食べ、楽しいと思うゲームはずっとしてしまいます。そんな真っ白な子どもにどうやってルールを教えるかです。ルールが理解できると、子どもたちは自分でブレーキがかけられるようになります。僕たち大人も社会的なルールがあるから、自分でブレーキをかけられるわけです。

子どもの自主性とはルールがあっての自主性です。そこにルールがなければ、子どもの自主性という名のもとに、子どもに好きにさせているだけです。それは放置です。いいこと、悪いことの区別をあいまいにしてはいけません。それを注意することは親としてエネルギーがいりますし、注意して子どもが泣くと、それを見ていられない親がいます。一言でいえば、「子どもに我慢を教える」ということです。以前にも書きましたが、公共の場で子どもが騒いでいて、許せるのは親だけです(親でも中高校生になって家で騒いだら許せなくなります)。周囲の他人はその子をかわいいとは思いません。親にだけかわいいと思われる子は社会では通用しません。社会に愛してもらう子に育てなくてはいけないのです。

発達障害であるかを心配する前に社会で生きていく上での基本的な善悪のルールを子どもにしっかり伝えて、それができた時にはしっかりほめて、できていない時にしっかり叱っているのかを確認していただきたいと思います。発達障害という言葉が流行しすぎて、「いうことを聞かないで騒ぐ子=発達障害」という構図ができているように感じます。たとえ、発達障害であったとしても、ルールを伝えるということは同じです。その伝え方にさきほど挙げたような工夫が必要だという違いだけです。

ルールの伝え方はその子の性格、発達障害の有無、親の考え、環境などで様々でしょう。言い聞かせるだけでできる子、きつく叱らないとできない子、ほめればできる子、場合によっては叩くことも必要でしょう。要はその子に合ったルールを伝える方法を考えることが重要であるということです。そのためにはまずは本人の状況をよくよく観察してください(ここにヒントがあります)。そしてご家庭で工夫されて、それでも難しいときは子どもに関わる機関(子ども家庭センター、児童精神科など)に相談されることをお勧めします。

2013年9月25日水曜日

子どもとの遊び方がわからない

「子どもとの遊び方がわからないんです」

診察室でこんな言葉をお聞きすることがあります。小さなわが子を前にして、家で一人で悩んでいるお母さんがいます。おもちゃや教材を山のように買って、「さあ、遊びなさい」と言わんばかりに子どもの前に広げて、横で見ているだけのお母さんに出会います。こんなときはどうすればいいのでしょうか?僕自身、3人の子どもを育てながら感じたことから考えてみたいと思います。

一番大切なことは親の視線ではなく、子どもの視線で遊ぶことです。

たとえば、積み木で遊ぶとします。その時に積み木で何かを作って見せたいという気持ちが大人はわいてくるかもしれません。でも子どもは積み木を見て、触って、積み上げて、壊してという段階を好みます。このときに一緒に子どもとそれをすればいいわけです。子どもは壊すことが好きなので、壊すようにもっていってください。

次に子どもの興味に従って遊ぶことです。

絵本の読み聞かせも、公園の遊具も、子どもの視線に合わせてこちらが動いて、親が笑顔で一緒に楽しんでるふりをすれば、子どもはその遊びが楽しくなります。子どもが笑えば一緒に笑えばいいのです。子どもが遊び方がわからず興味を示さなかったり、積み木やブロックなどで何かを作ることを教えたいときは、それを実際に作って、興味を示すのかを見てください。少しだけ先に進んでそれを見せてあげてください。その遊びに興味を示さない時は無理はせず、次の機会に試してみます。

初めから子どもとの遊び方を知っている親はほとんどいません。こんな僕も昔、絵本の読み聞かせをしていて、ただ単に読み聞かせていたら、妻に「そんな風に読んでもだめ。おもしろそうに読まないと子どもが興味を示すわけがないよ」と怒られたことがあります。みんな子どもを産んで、育てながら模索するわけです。なので、最初から「ちゃんと遊ばせないと」、「楽しませてないと」と悩む必要はありません。子どもの視線で子どもの興味に合わせて、こちらが動いて、一緒に楽しんでる笑顔を子どもに見せてあげれば、子どもはお母さんと遊ぶことが好きになります。一緒に遊ぶというのは子どもと母の愛着形成においては非常に重要です。できるだけ遊んであげてください。そうすればお母さんも子どもとの遊び方がどんどん上手になります。

2013年9月23日月曜日

治療は医者と患者の共同作業

人はおいしいものが食べたいと、レストランに行きます。
人は体や心の不調があると、病院に行きます。

この2つの違いは何でしょうか?

この2つの違いはレストランに行っておいしいものを食べるのはただ箸やフォークで食べることさえできればクライアントは努力が必要ないのに対し、病院で病気や症状をよくするためにはクライアントの努力が必要だということです。

それができない例として
・糖尿病の人が病院に通いながらも暴飲暴食をやめない。
・脳梗塞で手足が不自由になった人がリハビリをしない。
・外科で素晴らしい手術を受けたはずなのにタバコをやめない。
・内科で薬をもらったはずなのに、薬を飲まない。
・精神科で規則正しい生活をするように言われたのにしない。

例を挙げれば枚挙にいとまがありません。

児童精神科外来でも同様です。病院に来て、
① 親が子どもに「さあ、ここでは何を話してもいいから、思ったことを全部話しなさい」
② この子に「薬を出してください」
③ 「暴れるこの子を何とかしてください」。

病院での治療は「ただ物を買って終わり」というところではありません(ここが小売店と病院の大きな違いです)。診察室の中で子どもが思いを話した、薬を出した、暴れる子への対応を伝えたから終わりではありません。
たとえば①ならご家庭でその子の思いを話せるような環境を作ろうと努力されますか?②なら薬はちゃんと飲む、あるいは子どもが飲むように管理してもらえますか?③暴れる子への対応はご家庭で大変な部分がありますが、こちらが話した通り実践していただけますか?

つまり、治療は医者が一人で診察室の中でいくらお話を聴いたり話をしても、ご家庭で努力してもらわないとよくならないということです。1回の診察室の短かな時間で何かをしたからといって、これまで長い間問題になってきたことがたちまちよくなるような魔法はありません。それには医者と患者さん、その周囲の人の努力や工夫、時間など多くのものが必要です。「熱が出て、解熱剤で終わり」というようなことは医療の世界では多くありません。内科、外科、精神科に関わらず、医者だけでなく、患者さんの努力が必要なわけです。これを僕は医者と患者の共同作業と呼んでいます。

僕は精神科や児童精神科に来られて、よくならなれるのはどんな場合かとこれまで考えてきました。それは
1.医者の技量が足りている場合
2.医者と患者さんのお互いの人としての相性が合う場合
3.医者、患者さん、その周囲の人が「一緒に」ひたむきに努力を続けている場合
だと思います。

みなさんがもし医療機関を受診される場合には「医者と一緒に治療をしていくのだ」という気持ちで受診されることを強くお勧めします。

2013年9月19日木曜日

伊那食品工業株式会社に見学に行ってきました


昨日は長野県にある伊那食品工業株式会社に経営のお話を聴きに行ってきました。この会社は寒天の会社です。なぜ寒天の会社に経営のお話を聴き入ったのかというと、1年くらい前のカンブリア宮殿でこの会社の塚越寛さんが経営のお話をされていたんです。それに感動して、ご著書を読ませていただき、実際のお話を聴きたいと思い、看護師の塩田と二人で日帰りで長野県伊那市に行ってきました。

そこで聴けたお話は

・最も大切なのはファンづくり。信頼できる商品を提供して、ファンを作る
・どういう会社にしたいのかの企業理念が大切
・ブームや急成長は敵。それらには流されない
・ゆっくり遠くを見て成長していく
・価格競争はせず、適正価格で商品を売る
・無理な成長はしない
・どうしたらお客さんに喜んでもらえるのかという姿勢を常に持つ
・どんどん良いものを取り入れていく
・社員の幸せが大切

カンブリア宮殿に出られる経営者の方々の共通点で「利益だけを追求しない」というのはあるのですが、そこにさらにファンづくりをする、ブームに流されない、社員を本当に大事にする、価格競争はしないというのはかなり印象的でした。村上龍さんが「今までで一番すごいかもしれない」というのは本当だなと思いました。

宋こどものこころ醫院もスタッフを大切にしながら、ゆっくり成長していけたらと思います。

それにしても9月の信州は森林がきれいで風が気持ちよくて最高でした!


2013年9月17日火曜日

仕事への誇り

医者以外の仕事をしている人たちによく言われることがあります。
「お医者さんっていいお仕事ですね、誇り高い仕事ですね」
そのたびに僕はぴんとこなくて、仕事への誇りって何かなって考えていました。僕は正直、それほど単に「医者」というだけで誇りが持てるとは思えませんでした。

そんな中、先日のプロフェッショナルでクリーニング屋さんの古田武さんを見ました。古田さんは若いころ、お客さんに洗濯物を届けたら「洗濯屋のくせに玄関から入るな」と言われるなど、クリーニング屋という仕事に誇りを持てなかったそうです。その後、古田さんの努力と素晴らしい出会いを通して、他のクリーニング屋さんではきれいにできない洋服をきれいにして、今ではお客さんだけでなく、全国のクリーニング屋さんからも仕事をお願いされるようになられました。むちゃくちゃ格好いいなと思いました。その古田さんのお言葉で「お客さんに喜んでもらえるから誇りが持てる」というのがありました。
医者という仕事だから誇りを持てるわけではないと思います。患者さんによくなってもらって、喜んでもらえるから誇りを持てるわけで、患者さんをよくできない医者がもし誇りを持っているとしたら、それは思い上がりでしょう。


僕自身、まだまだ医者という仕事を誇れるほど、患者さんに喜んでいただけているとは思えません。これから目の前の患者さん一人一人によくなってもらって、医者という仕事に誇りを持てるようになりたいです。

2013年9月15日日曜日

浪速生野病院で講演させていただきました


昨日は浪速生野病院の生野照子先生たちが主催されている子どもに関わる専門職のためのセミナーで心理士の先生、学校や保育園の先生を対象に講演させていただきました。これまで生野先生にはたくさんお世話になりながら、今回は講演の機会までいただき、本当にありがたいかぎりでした。講演は子どもの不適応行動への対応について応用行動分析の話をさせていただき、質問も多数いただいてありがたかったです。僕が児童精神科外来で出会う問題行動を起こしてしまう子どもたちは、もちろん学校や保育園の現場でもたくさんいます。今回の講演がその先生方の何かのお力になれたらうれしいです。一方で、まだまだプレゼンテーションの能力が低いなと反省するばかりでした。もっとわかりやすくおもしろいプレゼンをしていきたいです。そのために一つ一つの講演でしっかり準備して、大切にしていきたいです。講演会のあとに浪速生野病院の心身医療科のスタッフの方々と宋こどものこころ醫院のスタッフ(僕、看護師の塩田、心理士の咸)でビアガーデンで懇親会をしていただき、「一緒に連携していきましょう」というお言葉もいただけました。浪速生野病院のみなさま、本当にありがとうございました!

2013年9月13日金曜日

行動療法って

これまで何度となく、行動療法のことを書いてきたので、今日は行動療法って実際に何をしてるのかを書いてみたいと思います。

一番大切なのは患者さんの問題を「具体的にとる」というところです。丁寧に聴くということです。僕たち精神科医は患者さんに問診をしていく中でいろんなことを質問します。たとえば「やる気が出ない」と言えば、どんなときにやる気が出ないのか、何をしてる時ならやる気が出るのか、ご本人のいうやる気とはどんなものなのか。手洗いが止まらないのであれば、どんな時に手洗いをして、時間はどれくらいで、どんなときに短くなったり、長くなったりするのかなどを丁寧に聴いていきます。

つまり患者さんが言ったことをこちらは分かった気にならず、精一杯の想像力を働かせて、本当によくよく詳細を聴くということなんです。これに尽きるかもしれません。自戒をこめて言うと、患者さんに問診をして、「寝れない」といわれると「あー寝れないんだ」で片付けてしまうことがあります。でもそれは具体的じゃない。どんな布団で、明かりは消してるのか、一人なのか、何時に寝て、何時に起きてるのか、間に起きるのか、周囲は静かなのかなど、そこからいくらでも広がっていけるわけです。そしてここで問題になるのは診察時間の問題です。一つ一つを聴いていくとすごく時間がかかります。なので、僕は初診のときに極力たくさん聴いておいて、そこから自分の想像力でどんどん質問の幅を狭めていきます(でも再診を重ねていく必要はもちろんあります)。そうすると診察が進めば進むほど、こちらからの質問の数が減るわけです。具体的に患者さんの症状について知っていくと、こちらの想像力で「こんな風にしたらどう?」みたいにその中に治療の糸口が見えてきます。またどんな時に症状が軽くなったり、重くなったりするのか。その軽くなる時間帯を少しずつ伸ばしていくようにお話しすることが多い気がします。

わかったつもりにならない。これは本当に気をつけなければなりません。自分以外の人のことをそんなに簡単に理解できるわけがありません。1回の診察時間は限られているので、すぐに結果を出せるわけではありませんが、1回1回の診察で徐々に患者さんの状態を把握し、治療をしやすくしていきます。

山上先生がよくおっしゃいます。「その人が街を歩いてるときにどんな表情で歩いているのかを想像できるくらいまでその人のことを理解する」と。

僕が目指しているのは丁寧な問診と自分の想像力でその人の生活が映像で見えるくらいまでになることです。さらに言えば、その人が普段どんなことを思って、どんな風にこの世界を見ているのか。それを知ることができれば、かなりのところまで治療できるのではないかと考えています。


2013年9月11日水曜日

昨日は福岡に行ってきました

僕は行動療法の山上敏子先生にご指導いただくために2か月に1回は福岡に行きます。ちなみに山上敏子先生は行動療法をアメリカから日本に持ってこられた行動療法の第一人者の先生なんです(行動療法の詳しいお話は後日しますね)

昨日もクリニックをお休みにして、行ってきました。去年の春から行かせていただいて1年半が経ち、今は日帰りの福岡にも慣れてきました。

精神科医をしていると、個室という空間の中で患者さんと自分だけで診察をすることがほとんどです。多くてもそれにご家族くらいでしょうか。すごく限られた中で、はっきり言って、独りよがりな診療になりがちです。そうならないように精神科医たちは学会、研究会、仲間内のカンファレンスなどで勉強します。もちろん、僕もそういう場に参加しますが、こと行動療法の考え方はどこでも教えてもらえるわけではありません。今、自分が治療で悩んでいる患者さんのことを山上先生に相談させていただき、ご意見をもらいます。それが治療のヒントになることが多くあります。

もう一つ何よりも大きいのは山上先生がどのようにして行動療法を使って診療されているのかを直接見ることができることです。これは僕の考えですが、本を読んですごいなと心から思えた人(仕事の本に限らず)にはできるだけ直接お会いするようにしています。それは本で言われてることと、実際にお話をお聴きするのとでは自分の中に入ってくるときにやはり違うと思うからです。活字を通して学べる部分もありますが、実際に見るとさらに深く理解できます。

もちろん、昨日学んだことも、明日からの診療に生かしていきます。

2013年9月8日日曜日

傷のないダイアモンドはない

地球上で最も硬いといわれているダイアモンド。しかし傷のないダイアモンドはないそうです。どんなに硬いダイアモンドも必ず傷がある。

人の心も同じような気がします。どんなに心の強い人でも、どんなに元気そうな人でも、僕はみんな心に傷を抱えて生きていると思っています。逆に言えば、まったく心が健康な人って、この世にいないのではないでしょうか?

自分は「うつかな?、頭がおかしいんじゃないかな?」と思うこと、ないですか?

でもこういうことってなかなか人には相談できずに、みなさん、自分一人で考えているようです。僕は診察の中でこのような内容のことを患者さんが吐露されたときは「心がまったく健康な人っていません。みんな何かしらの傷や問題を抱えていると思いますよ。そうやって自分のことを振り返られてるということは健康な部分がしっかり残っていることですから、いいことです。」と説明しています。

僕はすべての人は健康な心と不健康な心を併せ持っていると思います。それが正常。ただ、そのバランスが大切です。不健康な心の割合が健康な心より大きくなってきたときに、心の病になるのではないかと考えます。ご自身や家族、周囲の人たちで、対処しながらなんとか健康な心の大きさを維持するのがベストです。ただ、それが難しくなってきたときには、心療内科や精神科がお役に立てればと思います。

2013年9月5日木曜日

東洋医学の立場から

宋こどものこころ醫院では毎週木曜日の午前と午後、漢方薬と鍼灸による治療を僕の父にしてもらっています。僕としては自分が今まで勉強してきた治療以外に東洋医学という大きな選択肢を持てることは心強いです。なので、当院では僕がまずは診察させていただいて、東洋医学の治療の必要性を感じたときは、そちらもおすすめしています。

その父から患者さんへのメッセージです。

・膝や腰の痛みなら、鍼灸治療を数回行えば、効果の有無がはっきりとわかります。でも心の病はせめて4-5回は治療させてください。漢方薬なら2-4週間は治療させてほしいです。

・人は骨折をするとすぐに病院に行きますが、心にひびが入ったり、心が骨折したときはすぐには 気付きにくいようです。そのときの目安として「寝にくい、寝れない(不眠)」という症状があると思い ます。逆に寝れるようになってくると、心の病から解放されることが多いようです。

2013年9月2日月曜日

やっぱり「親子」で治療がしたい

僕はまだ医者になって10年余りですが、小児科、精神科、児童精神科とずっと子どもたちに関わってきました。その中で子どもの治療には家族全体の治療が不可欠であることはずっと感じていました。それで開業すると決めた時に、「親子で治療する」というのをクリニックのコンセプトにしたいと思いました。

開業してまだ1か月足らずですが、少しずつ子どもたちだけなく、そのお父さんやお母さんも「一緒に治療を受けたい」という方に来ていただいています。正直、お父さんやお母さんにお会いする中で、一緒に治療を受けてもらえたらなと思うことが時にあります。でも、こちらから「受診してください」とはなかなか言いにくいものです。なので子どもさんの治療の中で実は少しお父さんやお母さんの治療もしているつもりです。ただ一人への診察時間というのは限られています。なので、お父さんやお母さんの診察時間を別でしっかり取りたいのです。

ホームページの中でも触れていますが、子どもの健康にお父さんやお母さん、家族の健康が大きな影響を与えることは間違いないと思います。もちろん、その逆もです。

日本において心療内科や精神科という響きは今もってハードルとして低いとは思いません。しかし大切なお子さんを健康にするために、親である自分が健康であるということは大切です。親として子どものために辛いことも我慢するという犠牲の気持ちはもちろん理解できます。でも我慢しすぎて、ハッと気が付いた時にはすでに子どもに当たっていたというご経験をされた方は多いのではないでしょうか?親御さん自身が辛いなと感じられたときは、「わが子のために」という気持ちをもって受診していただければと思います。

「親子で治療する」

これが宋こどものこころ醫院のコンセプトです。


2013年8月30日金曜日

リストカット

リストカット

これは代表的な自傷行為です。精神科外来、特に思春期外来をしていく中で自傷行為は避けられない問題です。これまで自傷行為については著名な先生方の講演、論文、著書を読みながら、実際に患者さんの治療にもあたってきました。ちなみに自傷行為にはリストカット以外にも、自分の体を刃物で突き刺す、薬の大量服薬、根性焼き(自分の体にたばこやライターで火傷させる)、拒食、過食、低層階からの飛び降りなど、方法は多様です。原因ももちろん多様ですが、僕の印象では「自分のことを大切にできにくい状況にいる子どもたち」が自傷行為をしやすいのではないかと感じています。たとえば、褒められた経験が少ない、知的な問題や発達障害などから周囲に比べてうまくできないことが多いと感じる、安心感の少ない環境、虐待などです。つまり「自分はだめな子なんだ」と思ってしまうわけです。

一般的に自傷行為というと即、自殺願望とつながるようなイメージではないでしょうか?
これは間違っていないですし、将来的に自傷行為が自殺の可能性を高めることは分かっています。でも自傷行為、即、自殺願望ではないことが多いのです。

自傷行為は自分そのものを殺したいわけではなく、だめな自分を殺したい(消したい)。たとえば、お母さんにいつも怒られる自分、悪いことをした自分、だめな自分などの自己像(自分のイメージ)を殺そうとしているように思います。僕の決して多くはない経験の中でも、自傷行為をしている子たちは診察の中で「本当は死にたくない」と言うことが多い気がします。今の自分では生きづらいから、嫌な自分を消して、リセットしたい。つまり「生きたい」からリストカットするわけです。

ではなぜ子どもたちはリストカットを含めた自傷行為をするのでしょうか?
痛いだけなら1回でやめてしまいそうですよね。実はリストカットをすることには効果があるといわれています。1つは実際に体内麻薬が出て、いい気分になれること(実際に実験されています)。もう一つは何か強い苦痛が感じられると、だめな自分の姿が否定することで消せること。

あと一つ。
「アピールだろ」みたいに言う方もおられますが、僕の経験上、アピールでリストカットする子はかなり少ないです。決して「アピールだ」みたいなことは言わないでください。また仮にアピールだったとしても、その子が辛い状況にあることは間違いないと思います。健康な子が興味本位でするリストカットは痛いから1回で終わります。つまり自傷行為を続ける人は何らかの辛いものを抱えている可能性が高いのです。

正直、すぐにリストカットをやめさせることは難しいことがほとんどですが、対処法として大切なことは子どもがリストカットしたのを発見したときに叱責しないことです。このときに叱責すると自分はダメな子だからリストカットしてちゃんと生きていこうと思ってるのに、そこまでも否定されるのかとさらに状態は悪くなります。紙幅の関係もあるのでまとめますね。

リストカットをしているのを発見したら
①傷の手当をする(家庭、あるいは病院で)
②子どもの話を聴く(説得や叱責はせず。話さないこともあります。)
③心療内科や精神科を受診すること

僕はリストカットをする子どもたちに出会ったときはここに書いたようなことを考えながら治療しています。

2013年8月27日火曜日

自分のことを好きなれない

僕は自分のことがあまり好きではありません。

「自分のことを好きになりましょう」

こんな言葉を幼いころからよく聞かされてきたような気がします。自分のことが好きじゃないことは何か悪いことのように。これが僕の中で無意識に植えつけられていました。そして大学の時に「やっと自分のことが好きになれた」みたいなことをいう友達や芸能人を見て、余計に自分を好きじゃないのはダメなことなんだと思うようになっていました。

それで最近、平野啓一郎さんの本の中で次の文章に出会いました。

「誰を好きになるよりも、一番難しいのはひょっとすると自分自身なのかもしれない。なぜなら自分のことはあまりにもよく知りすぎているから。よほどのナルシストでない限り、人はそんなに自分を全面的に肯定できないだろう。」

救われましたね。自分のことを好きじゃなくてもいいんだって。

そしてこれには続きがあるんです。

「誰々さんといるときの自分は好きだということがある」

まさにそうだなと思いました。相手によって僕たちは自分のことを好きになれたり、嫌いになったりするわけです。僕にも一緒にいると自分のことを好きになれる友達や知人がいます。これは本、映画、旅行などの他の状況でもそうでしょう。そのときに頭の中に出てくる内容によって自分が好きになれたりします。

この考え方のいいところは自分のことを肯定してくれるところです。多くの人は自分のことを批判しやすい。逆に言えば、自分のことを批判しない人はかなり特別な人でしょう。人って生きていく中で自分のことを肯定する瞬間ってそんなに多くないと僕は思っています。

この平野啓一郎さんの文章がみなさんが自分を肯定するときの助けになってくれたらと思います。


2013年8月26日月曜日

自分って何?

自分って何?

思春期に入るころから多くの人はこんなことを考えるようになります。僕自身も記憶の中では小学校高学年くらいからそんなことを漠然と考えるようになったと思います。その答えになる可能性のある本に出会いました。

芥川賞作家、平野啓一郎さんの「私とは何か」です。

「あの子は私の前での態度と違う」、「もとはそんなキャラじゃないのに」。人はみんないつもどんな状況でも同じ人間でいないといけない。状況や相手によって自分の態度を変えることを批判する性質が日本人にはあると述べられています(自分にも他人にも)。

でも自分のことを振り返ってみてください。小学校時代の自分と大学時代の自分。職場の自分と家での自分。今の時代ならネットの中の自分と実社会での自分。それぞれ違うはずです。

平野さんが言うには「自分」というのは他人との相互作用によって生まれてくる「分人」という単位があり、それらすべてが本当の自分であり、それらすべてが合わさって初めて一人の人になると。分人は分数で、それが集まり一個人になる。つまり付き合う人の数だけ分人(自分)がいるわけです。そしてその人らしさというのはその複数の分人の構成比率によって決まる。明るい分人の比率が高いと「あの人は明るい人だ」みたいになる。

僕はこの本を読んで、今までの悩みの一つが氷解したように感じました。まさにこの本にあるように相手によって態度を変える自分を批判していました。相手によって自分が変わることは当たり前のことなんだと思えたのです。

みなさんにもこの「分人」という概念で自分や他の人のことを思い返してみてください。

2013年8月23日金曜日

子どもたちが無意識にどんなことができるのか

家庭でどんな会話をしているのか、どんな言葉を使っているのか、どんな姿勢で食事をしているのか。

それらの結果が社会に出た時に、物の考え方、視線の合わせ方、あいさつ、立ち居振る舞いとして無意識に外で必ず出ます。この「無意識にどんなことができるのか」が最も大切です。これを就職直前に詰め込もうとするからできないわけです。そんなことは子どもの時に家庭教育で終わっておくべきことです。

これは外来に来てくれる幼稚園児でも、高校生でも、診察室という短い時間で十分に見えてきます。子どもたちの座っている姿、視線、言葉づかい、お母さんとの会話。これは精神遅滞や発達障害、精神障害などを持った子の場合でも、表面的な形は違いますが、基本的な考え方は同じだと思います。

僕が目指していることは本当にシンプルです。子どもたちが社会に出て人に会った時に、自然と目を合わせて、あいさつをし、丁寧な言葉づかいで話しながら、きれいに食事ができたら、みんなに愛されるのではないかと考えています。そんな子どもたちが増えることを願っています。

2013年8月22日木曜日

「はだしのゲン」への苦情

最近、ニュースになっている鳥取市立中央図書館で2年前の小学生の保護者からのクレームをきっかけに漫画「はだしのゲン」が児童書コーナーから事務室内に移されていたというもの。

クレームの理由は「女性を乱暴する描写があるのに子供が手にとれる場所においていいのか」とのこと。はだしのゲンは女性の乱暴をメインに描いている漫画でしょうか。それよりももっと大切な原爆のこと、人が生きていくということを伝えようとしていると僕は理解しています。もし小学生の子どもがその女性への乱暴なシーンを漫画でみて、実行してしまうようではそれは家庭での教育でいいことと悪いことをちゃんと説明できていないということでしょう。もちろん、特別な事情を抱えた生徒がいる場合は配慮が必要でしょうが、「はだしのゲン」が図書館に置いてあることが問題ではないと思います。

この理論でいくと、日々ニュースに出てきている社会的に許されないものすべてを子どもたちには見せてはいけないということになります。子どものときは人や社会で起こる汚いものを見なくていいという考えはどうなのでしょうか?そのすべてをどうやって規制するのか?仮にそれが可能だとして、汚いものはすべて排除し、ビニールハウスの温室育ちにして、その子が大人になって、初めて非社会的なものに触れた時に、その子はどんな反応をするのでしょうか?

もちろん非社会的なものばかりを見せろとは言いません。ただ、子どもたちには社会て起きている現実(いいものも悪いものも)、日々のニュース、これまであった歴史を伝えてあげることが、大人になった時に物の見方、思考の柔軟性を育てるでしょう。

僕は自分の子どもたちには世の中の美談も話しますが、社会にはいろんな人がいること、ニュースで流れる戦争のこと、非社会的な事件のことも話し、それに関しての親なりの意見(これは親としての私見で、間違っていてもいい)を話すようにしています。いずれ子どもたちが大人になった時にも様々なことが起こり、様々な人に出会うでしょう。時が流れて、社会がさらに複雑化して、もっと激しい事件を目の当たりにすることもあるでしょう。その時に自分なりにモノを考えたり、判断したりできるようになってほしいものです。

2013年8月20日火曜日

家庭でどんな話をするのか

外来で出会う中学生や高校生の子どもたちを見ていて時々思うことがあります。

彼らは自分の将来をあまり想像していないんじゃないか。日々食べることや生きることには困らない。このまま自分の人生が進んでいくのだろうと漠然と見ているような気がします。でも実際に子どもの将来が保障されているご家庭はごく一部でしょう。ではどんな準備をすればいいのか。

それは家で親が自分の日々のあったことを話すことです。今の日本では毎日の食事に困るということはかなり稀です。つまりこのまま自分の人生が続くものだと勘違いしてしまう可能性があります。それを防ぐために、お父さんやお母さんが日々職場や外で起きたこと、自分がこれまで経験したこと(いいことも悪いことも)、仕事のことなどいろんな話をすることが大切なわけです。子どもの前でいい格好をする必要はありません。僕はこれを「家庭で人生の予告編を語ってください」と話しています。

社会がどんなところなのか、生きていくことやお金を稼ぐことがどれほど大変なのかを教えてください。そうでないと仕事が楽に見えたり、お金は銀行に行けばあると勘違いしてしまいます。つまり、子どもたちに社会の現実を伝えるということです。人生経験の短い子どもたちには身近な人生の先輩であるお父さんやお母さんのお話は、最も大切な情報です。さらに言えば、生きていく糧になります。

家庭でどんな話をするのか。それが子どもたちの将来にとって大切なことだと思います。


2013年8月19日月曜日

玉造の街のサイトに掲載していただきました

玉造の街のサイトを運営されている方にインタビューしていただき、街のサイトに掲載していただきました。

気恥ずかしいですが、自分の考えを話す場をいただき、それをプロのライターの方に文章にしていただけたことはうれしい限りです。よろしければご覧ください。

http://www.tama-tsukuri.info/%E7%8E%89%E9%80%A0-%E3%83%88%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E5%AE%8B%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E9%86%AB%E9%99%A2/

2013年8月18日日曜日

林真理子さんの「野心のすすめ」を読みました

僕は暇な時間があると本屋さんをぶらぶらします。

それで本屋さんで平積みのコーナーを歩いているときにこの「野心のすすめ」を見つけました。林真理子さんの名前はもちろん昔から知っていましたが、女性の読む恋愛小説を書く人というイメージでしかありませんでした。このときは野心という単語に惹かれて、何となく手に取って買ってみました。

内容は野心や努力の大切さが林さんの言葉でずばりはっきりと書かれています。まさに歯に衣着せぬという言葉がぴったりでした。あまりに正直に書かれていたので、人としてすごく親近感を覚えました。

この中で林さんの野心について具体的に書かれた一説がありました。

「三島由紀夫の小説は時代が流れて、何十年経っても色あせずに読み継がれる。自分もそういう小説を書きたい。」

林さんは小説を書くことを通して、読者の心にいつまでも残る小説家でありたいのだと理解しました。僕の仕事は精神科医です。僕の診察を受けていただいた方が元気になられて、通院する必要がなくなり、何十年と時間が過ぎても、その患者さんの心に残る精神科医になれたらこれ以上の幸せはないだろうなと思います。


2013年8月16日金曜日

クリニックもクライアントがいてはじめて成り立つ仕事

都会を歩いていると、オープンして1年も経たないうちに、他のお店に変わっているのをよく目にします。お客さんに来てもらえないと、お店を閉めるしかないわけです。それは医療機関も同様です。昔のように病院やクリニックは潰れないという時代はもう終わりました。

新聞やニュースによく出てくるように、日本の健康保険制度はかなり圧迫されています。僕の先輩がよくお話しされるのですが、今の日本の保険制度ではこれから5割、7割と患者さんの負担が増えていくでしょう。その時に高いお金を支払ってまで、病院やクリニックに患者さんに来てもらえるのか。そのためには医療機関が常に患者さんのニーズを考え、変化し続けるしかない気がします。それを怠るということはその医療機関の終焉を意味することになる。歯科医院がコンビニよりも多いという今の日本。毎年7000-8000人のが医師になります。それにしたがって医科のクリニックもある一定の割合で増えていきます。その時にどうしたら生き残っていけるのか。

脱皮できない蛇は滅びる。

ニーチェの有名な言葉です。蛇は古いものを脱ぎ捨てて、新しいものを皮を身にまとわないと死んでしまうという意味です。

これは高度経済成長時代、バブル時代に隆盛を極めた日本の大企業、銀行が海外勢にシェアを奪われたり、廃業に追い込まれた例を見ても明らかだと思います。

レストランや旅館などの主なサービス業だけでなく、顧客(クライアント)がいて成り立つ職業なら同じことが言えると思います。もちろん医療機関も同様です。僕たち医療機関も患者さんというクライアントがいてはじめて成り立つ仕事です。患者さんに選んでもらえるように、常に変化し、古いものを捨てて、新しいものを取り入れていかなくてはなりません。

ただ、こんなことは一般企業であれば常識過ぎて、わざわざ述べる必要のないことだと思います。それがいろんなものに守られてきた医療業界にも同じことが起こっているだけです。日本の景気の悪化に伴って、他の今まで守られてきた業界にも同じことが起きていますよね。

医療機関の中でも特に児童精神科、心療内科は風邪を引いたからたまたま行くという科ではありません。来院されるまでにいろんな思いを持たれ、悩み、行こうかどうか迷いながら、さらにいろんな情報を調べて、ようやく受診される方がほとんどです。

これから患者さんに選んでもらえるクリニックになれるよう、日々変化し、努力を重ねていきたいと考えています。

2013年8月15日木曜日

本を読むということ

僕は子どものころから本を読むことが嫌いでした。内容を読むというよりも面倒くさかったんです。
でも社会人になって、改めて本を読んで気付かされたことがたくさんあり、その時からは時間があれば本を読むようにしています。

僕が考える本を読むことのメリットは3つあります。

・その著者の考え、人生を追体験させてもらうことだと考えています。自分一人の人生で経験できることは限られています。それを本を読むことで、その著者が考えていること、経験したことを横で見せてもらえるわけです。

・読みながら自分はどうなのかと振り返ることができる。つまり自分の考えが発酵し、より柔軟性が生まれて、たくさんの考え方を持つことができるようになります。

・その著者はその本1冊を書くまでに自分の知識、経験など膨大な量の考えを詰め込んでいます。こんなに安い買い物はありません。


考え方が柔軟になるということはその人を生きやすくする気がします。

僕が大好きな作家の伊集院静さんが言っていました。「本なんか1冊も読まないでもすごい人はいる」。まさにそうです。本を読むことがえらいことなのではなく、考え方を柔軟にできる方法として本を読むことがあると思っています。自分の経験、映画、人との会話、一人での熟考を通して、考え方を作っていける人もいるでしょう。僕はあまりに凡人すぎて、それらだけでは考え方を柔軟にできないので、今の僕にはどうしても本という存在が必要です。

2013年8月13日火曜日

患者さんが診察室で涙されるとき

その方の状態、あるいはお子さんの状態を把握し、それに合わせてこちらが理解を示すことができたとき、患者さんや親御さんは涙されることがあります。そのときは自分がその方の琴線に触れることができた気がして、内心、一瞬ほっとします。でもそれはその人の状態を本当によくするのかは別です。単に人を泣かせればいいのではない。ここを勘違いしてはいけない気がします。

テレビでえらい先生が相談に来た芸能人を泣かせて、みんなで泣くというシーンがあります。もちろん、人は泣くことでほっとしたり、気分が楽になる部分があるでしょう。ただ、人を泣かせるということは、その人の一番つらい部分に触れるということです。そこに触れるということは、その人の頭の中で辛かった経験を想起させ、状態を一旦悪くさせるということです。それをしっかり元に戻せる自信がなければ最初から触るべきではありません。人の一番辛い部分に触れるということはかなり慎重にならないといけない部分です。トラウマ(心的外傷)の治療も同じです。生命の危機に直面するトラウマを受けた人の心に軽々しい気持ちで触れるというのは最もしてはいけないことです。人の痛みに触れるときには細心の注意を払うべきです。プロとしてはもちろん、回復させることができることが前提です。なので、僕としては患者さんの一番辛い部分に触れるときはかなり慎重になってしまいます。戻せる自信があるときは積極的に話しますが、戻せるかどうかわからない時には、僕はあえて黙るようにしています。それはには2つ理由があります。1つ目はこちらが黙ってその人のお話をお聴きする、受け止めるという姿勢自体が治療になることがあるから。2つ目に人の心の痛みを知ったかぶりすることほど、罪深いことはない気がするからです。

人の心って、そんなに簡単に他人が理解できるわけではありません。ご自身さえも自分の気持ちを理解できていないことも多々あります。一人の考えや視野なんて小さなものです。そんな気持ちで診療していきたいです。

2013年8月12日月曜日

医者は人の弱みに付け込む仕事

僕は医学生のころからよく父親に「医者と弁護士は人の弱みに付け込む仕事なんだから、医者になって調子に乗るんじゃないぞ」という話を何度も聞かされていました。よく考えてみるとそうなんですよね。ほとんどの場合、病気(それに近い状態も含めて)になったり困ったりするから病院やクリニックに行くわけです。つまり、病院に行くということは正直喜ばしい話ではないわけです。患者さんが病院に来るのは楽しい食事やショッピングとは違うわけです。その点を医療者は謙虚にとらえるべきだと思います。

診察の中で「これからもずっと先生のところに通います」と言っていただける患者さんにお会いすることがあります。そのとき僕は「それはよくありません。できるだけ早く、僕なんかに会わないでいい日が来るように治療していきましょうね」とお話しています。これは僕の基本的な考え方である「患者さんが自分の力で生きていけるように」ということです。僕のところに来ていただける方々がゆっくりでもいいので卒業していかれることを願っています。

2013年8月8日木曜日

私は~の専門家です

「僕は~の専門家です」
これは自己評価の低い僕にはなかなか違和感のある言葉です。


僕がそれほど児童精神科について人前で専門ですと胸を張って言えるのか。他の先生方に比べて子どもたちを診てきましたし、勉強はしてきたつもりです。また何よりもこの分野が好きです。でもあまり、自分は~の専門家ですなんて恥ずかしくて言いにくいのが本音です。

自分のような若輩者にそんなことが言えるのか。かといって患者さんを前にして専門家ではないとも言えません。これについて考えているときに、僕の師匠である山上敏子先生が教えてくれた言葉が浮かびました。「主治医として診察を重ねるたびに、その患者さんについては誰よりも治療が上手にならないといけないよ。その治療が上手にならないのはちゃんと診察ができていない証拠よ」と。診察を重ねるということは、その患者さんについて詳しくなるはずです。僕には~の専門家なんて言葉は恐れ多くて言えません(もちろん、いつの日か言いたいですけど^^)。ただ、自分が主治医として関わっている患者さんについては、他の誰よりも僕がその患者さんの専門家でありたいと思っています。

2013年8月6日火曜日

宋こどものこころ醫院のスタッフたち

今日、宋こどものこころ醫院は生まれました。開院初日にも関わらず多くの患者さんに来ていただきました。今日は数人の患者さんから「開業おめでとうございます」とのお祝いの言葉をいただき、恐縮しつつ、涙が出るくらいうれしかったです。本当にありがとうございました。

開院初日の今朝、スタッフ全員で記念写真を撮りました。この1か月間、開業準備をみんなでしながら、自分一人では何もできないんだなと痛感しています。僕以外のスタッフ4人の方がいてくれてはじめて患者さんの診療ができる。5人全員で宋こどものこころ醫院です。

僕、看護師、心理士、受付。スターティングメンバーこの5人全員で、宋こどものこころ醫院に来てくださる患者さんが少しでも良くなっていただけるよう、治療に挑みたいと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

2013年8月5日月曜日

明日、宋こどものこころ醫院は開院します


去年の12月に開業する場所が大阪市中央区玉造の今のところに決まってから約8か月かけて、ようやく明日の開業を迎えられることになりました。実のところ、開業については精神科医になったころから少しずつ意識して、「自分がクリニックをするならどうするか」と常に考えてきました。その集大成を今回、具現化できたことは感無量です。

医者になってからこれまで多くのことを教えていただいた患者さん、先輩、友人、後輩、開業を手伝っていただいたコンサルタントの方、建築をしていただいた方、診療のデスクを作っていただいた方、その他の多くの業者の方には本当に感謝しております。申し訳ないことに、ここには書ききれません。そして何より、ここに立たせてくれた祖父母、両親、兄弟、妻,、子どもたちに心から感謝したいです。

今は、ようやくスタート地点に立てたという気持ちでいっぱいです。僕自身、まだまだ若輩者で、これから勉強することは山ほどあります。当たり前ですが、勉強することは一生尽きないと思います。宋こどものこころ醫院に来ていただける子どもたち、保護者の方、大人の方、すべての患者さんのこころの健康のお役に立てるよう精進していく気持ちです。

よろしくお願いいたします。

2013年8月4日日曜日

受付スタッフを募集しています

ホームページ上で掲載していますように、現在、宋こどものこころ醫院では受付スタッフを募集しています。

僕が探しているのは

辛いことや悩みを抱えた子どもとその保護者の方の役に立ちたいと本気で考えていただける方、あるいは僕のこのような考え方に共感していただける方

です。

児童精神科、心療内科を受診される方々は「ここはどんなところなのか」、「症状をよくしてくれるのか」など不安と期待が入り混じった気持ちを持ってこられます。それに対していかに答えていくのか。これは僕たちの永遠のテーマであり、常に刷新、進化していかなくてはならないと考えています。

クリニックの電話対応、初対面の対応は初めて患者さんがクリニックに接するため、最も大切です。つまり受付スタッフはクリニックの「顔」です。これは一般企業やレストランなどと何も変わりません。医療はサービス業です。僕たちが食事しようとレストランを予約するときに電話対応がよかっただけで、そのレストランへのイメージがよくなり、「おいしいんじゃないか」って期待しますよね。僕の経験上、電話の対応がいいお店は、実際にサービス、気遣い、味で満足できるお店であることがほとんどであると感じています。もちろん、その逆もしかりです。それと同様、受付スタッフの電話対応から当院での治療は始まっています。宋こどものこころ醫院はこれから始まるわけですが、患者さんに喜んでいただけるよう、当院での対応、サービスをよりいいものにしていきたいです。

この想いに共感していただける方、一緒に宋こどものこころ醫院を作っていただける方の応募をお待ちしております。ご希望の方は履歴書(写真貼付)を当院までお送りください。面接日時については後日、こちらからご連絡差し上げます。条件などの詳細については電話(06-4303-5683)でお問い合わせください。よろしくお願いいたします。


2013年8月3日土曜日

たくさんのお花をいただきました

お祝いのお花をたくさんいただきました。こんなにもたくさんのお花をいただいたのは生まれて初めてです。お花を見ながら、僕がこんな高価なお花をいただくほどその方々に何かしてきたのかなと少し申し訳なくなりました。たくさんのお祝いをいただけたのは「しっかり診療をがんばるように」というメッセージと理解し、スタッフ全員で一人一人の患者さんを一生懸命診療していきたいと思います。お祝いをくださった方々、本当にありがとうございます。

2013年7月31日水曜日

子どもをほめるということ

いろんな育児書に「子どもはできるだけほめましょう」という言葉が乱発されているように感じます。児童精神科外来の中でも「教えられたとおり、幼いころからいっぱいほめてきたのですが、子どもは言うことをききません」というお母さんの言葉をよく耳にします。

一般的に「子どもをほめる」ということに反論のある方は少ないのではないでしょうか。

ただ大切なのはいつ、どのタイミングでほめるのかということです。結論から言うと、本人の様子をちゃんと観察せずにほめると、その「ほめる」という効果は落ちるということです。

「ほめる」ということの本質的な目的は何でしょうか?
それは子どものできるところを伸ばすこと、または不適切な行動を減らすことでしょう。つまり多くの場合、何らかの効果を狙ってほめるわけです。

たとえば、トイレットトレーニング中に初めてトイレでおしっこができたときにお母さんは「よくできたねー!」と頭をなでながら思いっきりほめます。これはいいことです。でも1年後にトイレでおしっこができたことで子どもをほめたりはしませんよね。その時にそれは当たり前になっているわけです。つまり普段の本人の様子をよく観察し、がんばってるなあ、しっかりできたなあというタイミングでほめてあげなければいけないわけです。何でもかんでもほめればいいというものではありません。

効果的に子どもをほめるというのは実はそれほど簡単なことではありません。その時の本人の様子、がんばり、落ち込みなど、詳細に本人の様子を親として観察した上でようやく「よくがんばったね」という一言が出てくるわけです。場合によっては、ほめたい気持ちをその時はぐっとこらえて、知らないふりをしておいて、あとで結果がしっかり出たときに2倍にしてほめてあげることがいいのかもしれません。さらに言えば、どんな言葉が子どもたちの琴線に触れるのかを考えてほめる言葉をその時々で変えてあげる必要もあるでしょう。

ご家庭によって幅はあると思いますが、ほめる頻度は親として「少し少ないかな」くらいにしておくと、一回のほめる効果が高まる気がします。

本人の様子をよく観察して効果的にほめてあげてくださいね。

2013年7月29日月曜日

行動療法との出会い

精神科医になってすぐのころの僕は患者さんの診察をするときは主訴、病歴をとりあえず聞いて、支持的精神療法という名の親切心や親切な態度、薬物療法、利用できるサービスの提案、あとは思いつき。自分にあるのは薬と病気の知識と今までみてきた患者さんから得た経験の3つだけ。いつもなんとなく患者さんを診察していました。確かにそれも医者としての大切な技術。それだけでよくなる人はおられるけど、病院という看板が、医者という資格が、白衣が、薬が治してるのかもしれない。これは技術じゃない。自分が治療してる実感がほしくて小児科をやめたはずなのに、自分が治療してるという実感がない。精神科の経験が短い自分としては不安と虚しさを抱えたままで、自分がしてる治療とその方向性に自分自身が常に疑問を持っていました。治療者である自分自身が今患者さんに何をしてるのかさえ見えていない。はっきり言って自分の言葉、精神療法に何の根拠もないといえるかもしれない。僕の造語ですが、それは「丸腰精神療法」。武器がない。徒手空拳ですね。要するに何となく話を聴いて思いつきのアドバイスをしてるだけ。


小児科をしていたためか、人のこころという大海原の中でも客観的理由・根拠というものをいつも求めていました。そのときに行動療法の山上先生の本と出会いました。山上先生の診察を見せていただき、疑問をぶつけて質問し続けることで、一人の患者さんを目の前にしたときに「どこからどうしていったらいいのか」という方向性が少しずつ見えてきました。山上先生がいつも言われる「自分が患者さんに話したことは、そのたびに自分なりのその理由を言えないといけない」。これだ!と思いました。その時のその質問にはちゃんと根拠があって患者さんに質問する。それから少しずつですが、根拠をもって患者さんに問診したり、傾聴したりできるようになりました。大上段に構えてしまいましたが、行動療法が完璧なわけもなく、すべてなわけでもなく、僕自身まだまだわからないことばかりです。ただ小さな自信を持って患者さんと対峙できるようになったこと、これが行動療法を勉強して得た最大の収穫です。山上先生には現在も月1回、ご指導をいただいており、さらに技術を高めていきたいと考えています。

2013年7月28日日曜日

昨日はきょうこころのクリニックの最後の外来でした


昨日は4年間お世話になったきょうこころのクリニックでの最後の外来でした。

僕はここで院長はじめ多くのスタッフの方に出会い、クリニック臨床、経営を含めて本当に多くのことを学びました。さらに児童精神科外来のみをさせていただいたのでたくさんの19歳までの子どもたち、その保護者の方の診察をさせていただきました。院長の姜先生には開業準備の期間(今もです)、具体的なアドバイスをいただきました。僕のボキャブラリーの乏しさでは、きょうクリの方々への感謝の言葉が見つかりません。きょうこころのクリニックの院長、スタッフの方は本当に優秀で、やさしいのです。きょうこころのクリニックは僕の目標です。

これからは連携はもちろん、宋こどものこころ醫院として、きょうこころのクリニックに何かの形で恩返しができたらと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

2013年7月24日水曜日

発達障害という言葉

児童精神科の中で発達障害は本当に大きな存在です。外来の中で1,2番目くらいによく出会うものです。

僕は小児科医をしているときに発達障害という言葉に初めて出会いました。小児科、精神科臨床を通して、発達障害の勉強や患者さんにお会いする中でこの「発達障害」という言葉はつくづくよくできている言葉だなと思いました(もちろん、障害という言葉が適切かどうかという部分はあります)。

発達障害はその実年齢にしてはある特定の部分でうまく進んでいない状態です。本当は進むはずなのに、何かに邪魔されているイメージでしょうか。発達障害でよく言われる、3つの特徴、つまり、こだわり(一つのおもちゃでずっと遊んでる)、コミュニケーションの障害(うまく自分の気持ちが話せない)、社会性の障害(回りを見ずに自分中心に動いてしまう、相手の意図がわからない)などは幼い子供であればある程度誰でも持っているものです。こんなことを3,4歳からできてしまうほうが不自然です。つまり誰もが幼いころは持っているわけです。それらが多くの方は年齢が上がるにつれて徐々に薄れていくのに対して、それがある程度のところで発達が停滞している、あるいはその速度が落ちてる状態が発達障害です。

じゃあ、どこからが発達障害なのか。本当によく聞かれる質問です。僕としての答えは同年代の子たちに比べて協調性を保てないくらい大きく遅れているのか、そしてそれによって社会的に問題が生じているのか(人に迷惑をかける、学校に行けないなど)です。この2つを判断の基準にしています。

ただ、ここでお断りしておくと、発達障害はグラデュエーションのようなものです。さっきの3つの特徴の色が濃い方から薄い方までいます。全くない方はほぼいません。なので、判断に迷う方が多いのが現実です。僕は診断に迷うときはその方の特性だけを説明して、診断名を大きく取り上げないようにしています。少なくとも「~障害」と言われてうれしい方はそれほど多くないと思いますので。

2013年7月22日月曜日

将来、自分が何をしたらいいのかわからない子どもたちへ

「将来、自分が何をしたらいいのかわかりません」

外来で思春期の子どもたち、あるいは親御さんのお話の中でよく出てくる話題です。

僕ははじめこの話題のときにどんな話をすればいいのか、かなり悩みました。よくあるのが、日々の生活で自分の人生についてあまり深く考える必要のない状況にある場合です。家には親がいるし、食べるのにも困らないし、学校はまあまあ楽しい。確かにこの状況だと子どもたちは自分の将来や未来について悩まなくていいのかもしれません。あるいは、これを考えることは思春期の子どもたちにとっては未来に対しての漠然とした不安を自分で掘り下げてしまうことになるのかもしれません。

このときに僕は子どもたちには親は先に死ぬこと、いずれは社会に出る日が必ず来ること、その時には自分で生きていかなくてはいけないこと伝えます。そして今から真剣に以下のことを考えるように言います。

自分は何がしたいのか?
自分は何をしてる時が幸せなのか?
自分は何が一番得意なのか?
自分は何なのか?


これを徹底的に考え抜く。わからなければ誰かに相談しながら、その相談を通して自分の中の答えを探す。人と話しているうちに発想がわいてくることはよくある。今すぐに答えが出なくてもいいから、悩み続けることが大切である。

これはなかなかエネルギーがいることなので、みんな嫌がりますが、これは最終的に避けて通れません。

親御さんにはご両親が外で今日はこんなことがあって、どんな仕事をして、お金を稼ぐことはこんなに大変なんだ、社会はこんなに厳しいんだという日々親御さんが感じている現実をリアルに話してくださいとお願いしています。子どもの前でいい格好をする必要なんてありませんよね。食卓でお父さんが今日あった辛かったことを話しながら泣いてもいいと思うんです。親は子どもたちにとって、人生の先輩です。「人生の予告編」を子どもたちに見せてあげることも大切な子育てです。

そして子どもの将来について家庭で大いに話題にしてください。親が子供の将来について真剣に悩んでいる姿を子どもたちに見せてあげてください。その姿を見せることも子どもたちが自分の人生と真剣に向き合うきっかけになるかもしれません。

2013年7月20日土曜日

精神科医も命にかかわる仕事

テレビでは外科や内科の先生が人の命を救うという番組が多い気がします。難しい手術をしたり、特殊な薬を使って治療する先生たち。すごいですよね。僕もいつも格好いいなあと思います。

それに対して、みなさんの精神科医のイメージってどんなものでしょうか?精神科医って話を聴いて薬を処方するだけ?僕は恥ずかしながら、小児科医をしているときまでは精神科はあまり人の命と関わらないのではないかと思っていました(最近はさすがにうつ病の自殺が取り上げられていますね)。

でも実際に精神科の臨床を始めると、いつも死の間近にいる人たちに出会います。深くリストカットをしてしまい血が止まらない子、マンションから飛び降りて全身の骨折をする人、首をつろうとして家族に止められる人、睡眠薬をたくさん飲みすぎて呼吸が止まった状態で病院に来る子。みなさん、それぞれの事情を抱えて、危ない行為をされます。精神科医としては一番緊張する瞬間です。そんな時、精神科医の自分自身がいろんな患者さんの命をつないでいるんだなと感じます。これは決して不遜な気持ちではなく、「今、僕が言葉を間違えたら、大変なことになるかも」と思うわけです。

そのときに、改めて、命に関わっているのは外科や内科の先生だけでなく、精神科医も本当の意味で人の命にかかわる仕事なのだなと痛感しました。

僕の中では、自殺に向き合う精神科診療はいつちぎれるかわからない細い糸のようなものを使って、一日一日その人の命をつなぐイメージです。その細い糸に自分の診療がなれればと思います。


2013年7月18日木曜日

「うちの子、ADHDだと思うんです」


診察室に入って、まだ話をしていないうちから「うちの子、ADHDだと思うんです」、「私はうつ病なんで認知行動療法をしてください」、「この薬は副作用があると聞いたので、他の薬に変えるか、減らすかしてください」という方がおられます。
 
精神科の病院やクリニックを受診するまでにかなりつらい思いをされているため、気持ちはかなりわかります。でも考えてみるとこれらはかなり危険なことです。
 
今はネットを中心に情報が溢れすぎて、それを読んで「自分は~だ」、「この症状は薬のせいだ」と思い、原因をつかんだので少し救われるみたいなことはありえると思います。

でも診断や治療法というのは、その人の状態から医師が診察の中で判断することです。あまりそういう視線を持ちすぎると自分や子どもが「~病」、「~障害」だと思い込んで、ネットに書いてある症状を診察時にそのまま話をします。そうすると誤って主治医に「~病」、「~障害」と診断されてしまう可能性が高まります。つまり、誤診される可能性が出てくるわけです。
 
なので、受診するときに知識を持っていただくことは大切ですが、それを診察時にあまり主張しすぎると、診察してもらってる主治医に「~病」、「~障害」だと思わせてしまうわけです。当たり前ですが、医師も人間です。情報に流されるということがあるわけです。特に信憑性の高い大人である親御さんの言葉です。特に精神科という検査結果で診断することがほとんどない科ではそれが顕著に出てしまいます。治療法や薬も同じです。
 
あくまで僕の印象ですが、診察時にあまりに一つの診断、治療、薬にこだわってしまう方はどうしても治りにくいです。医師も完璧とは言いませんし、はっきり言って玉石混交だと思います。でも素直にお話ができる患者さんは治りやすく、こちらが考えた末の考えをお話しても、ご自身の考えを変えられない方はいろんな医療機関を渡り歩いていたり、治りにくい印象です。知識は持っていらっしゃっても、まずは普通に診察を受けていただき、医師の言ってることと自分の状態があまりに違うなというときに、それらの知識を出していただくほうが、誤診されないですむと思います。また、「この先生は悪くないな」くらいの医師に出会われた場合には、基本的にはその主治医の先生の指示に従っていただくのが得策だと思います。

昔、勤めていた病院の先輩がいつも患者さんにお話されていました。「ネットはいいこともあるけど、必ず副作用もあるよ。だからほどほどに見ておかないと自分自身が辛くなるよ。だって誰が書いたのかわからないんだから。」と。

2013年7月17日水曜日

スタッフは家族です

みなさま、おはようございます。

来月6日の開院に向けて、昨日からスタッフのみなさんの研修が始まりました。さらに昨日は内装をしていただいた建築会社の方から最終的な引き渡しをしていただきました。その引き渡しのあと、一緒に食事をさせていただきました。

今回内装をお願いした横田満康建築研究所のスタッフの方々は「内装で患者さんの治療をしたい」という僕のニーズを一つ一つ丁寧にインタビューしてくださりました。今年のお正月の初めての打ち合わせから、半年間で設計と工事を完了していただきました。僕は素人なので、その期間が長いのか短いのかはわからなかったのですが、横田さんいわく、「1.5倍くらいの速さ」ですとのこと。かなり無理をお願いして、設計と工事を進めていただきました。毎週のように打ち合わせをし、僕のニーズを具現化し、良いものにしようという気概をスタッフの方からいつも感じていました。このとき、僕はこのインタビューは精神科診療と同じだなと思いました。クライアント(患者さん)のニーズをより正確にこちらが汲み取り、プロとして、そのクライアント(患者さん)にとって最高のパフォーマンスが出せるように最大限協力すること。これはまさに精神科診療ですね。

そしてこれから僕がはじめてスタッフを雇用して経営していく中で、どうすればいいのかを長年社長をされている横田さんにお聞きしました。すると「スタッフは家族です」というお言葉。うなりましたね~。そうなんです。スタッフを家族だと思えばいいわけです。何か、体が軽くなった気がしました。あまり他人行儀なことが得意ではない僕の性格からして、ピタッと合う言葉でした。これから宋こどものこころ醫院のスタッフを自分の家族だと思って、一緒に頑張っていきたいと思います。



2013年7月13日土曜日

患者さんのお話を整理することは重要な仕事


患者さんは精神的な疲れから頭の中が混乱した状態で来られることが多々あります。僕も含めて人間は誰でもそうですが、精神的な余裕がなくなると頭の中で整理ができずに、話が支離滅裂になります。そうなると自分でも何を言っているのかわからないときさえあります。僕たち精神科医はそれを承知した上で(短い診察時間の中で)、お話を整理しながらお聴きするようにしています。お話の交通整理とでも言いましょうか。

特に初診の方だと見ず知らずの初めて会う医者に、自分の内情をどこまで話していいのかわからない、緊張もする、しかも頭はかなり混乱している。これはかなりストレスがかかることです。僕はこの時内心、「話をそんなに上手にまとめようとしないでもいいですよ」と思っています。逆に言うと、ご自身の話を上手にまとめて話ができる人は状態としては軽症の可能性がありますし、能力的にも高いものをお持ちであると判断できます。

患者さんのお話をうまく整理してあげる能力が精神科医には必要です。話を整理してあげるだけで、今まで見えていなかった方向性が見えて患者さんがよくなられることがあります。うつ病の方は思考の視野だけでなく、実際に視野が狭くなるといわれています。そのときに、問題点や考えを整理することは大切な治療になるわけです。僕も患者さんのお話をもっと上手に整理できるようになりたいです。

2013年7月11日木曜日

「子どもへの接し方を教えてください」

「子どもへの接し方を教えてください」という希望を持って、児童精神科外来に来られるご両親がたくさんおられます。

診断(発達障害なのか、うつ病なのかなど)や本人の状態を知ること(学校にどの程度行けているのか、友達はいるのかなど)はもちろん大切です。でも、実は親としてはそんな診断名よりも日常生活の中で本人とどう接すればいいのかを知りたいわけです。僕は診断は大切ですが、診断がつこうが、つかまいが、子供本人、あるいはその患者さん本人の状態をできるだけ正確に把握し、どうすればいいのか、具体的な接し方をお伝えするようにしています(これが結構大変ではありますが)。

僕たちが行っている医療は間違いなくサービスです。患者さんのニーズにこちらが持てる力を出して、最大限お答えすることで成り立つ仕事です。診察の時に僕が心がけているのは「この患者さんは何を望んで、ここに来られたのか」を知ることです。お話を聞きながら、そのニーズを探しています。

2013年7月9日火曜日

童顔にもほどがある

僕は行動療法の山上敏子先生の外来の見学とご指導をいただくために毎月1回、福岡を訪れています。ホームページのごあいさつのところにもお書きしたとおり、山上先生に指導をいただいてから、僕の診療スタイルは激変しました。

でもその話は次回にして、今日は僕が童顔で悩んでいるということです。

なぜ福岡の話をしたのかというと、今日ちょうど福岡に行ってきました。今朝いつものように外来のところで白衣姿で立っていました。すると僕の前におじいさんが近づいてこられて、病院のシステムについて聞かれて話していたところ、「医師になるの?」と聞かれました。「いや、もう医師なんです」とお答えすると「それは失礼いたしました」とおじいさん。でも内心は「いや、僕もう大学を卒業して10年以上は経つんだけどなあ」と思っていました。

僕のこれまでの童顔の歴史にはそれはそれは長いものがあります(くだらない歴史ですが(笑))。

まずは高校を卒業し、大学受験が終わった18歳のとき。入学式まですることがなかった僕は一人でゲームセンターで遊んでいました。すると中学生が寄ってきて「お金貸して」というのです。何を言っているんだと思ったんですが、よく考えるとこれはいわゆるカツアゲというものかと。内心、もう大学生になろうという自分が中学生にカツアゲされる自分があまりに情けなくなりました。そこで僕は「貸すお金はないけど、君、何歳?」と聞くと「お前は何歳や?」と中学生。「18やけど」と答えると、その中学生は「うそつくな」と離れていきました。

次は大学6年生のとき。少しだけ知り合いのあるおばさんと話をしていて「僕は今年受験生なんです」と話したところ「あーそうなの、ところでどこの大学を受験するの?」とおばさん。さすがに「いや、大学受験は6年前に終わりまして」とお答えしておきました。

そして医者になってから7,8年が過ぎたころ。外来で初めてお会いする躁状態(気分が上がってしまっている状態のこと)のおじさんの患者さんが診察室に入ってくるなり、いきなり、「先生は医者になって何年?俺は研修医はいややで」と。僕はここでもさすがに「医者になって7年経ちました」とご説明。

またあるときは小学生の娘を小学校まで迎えに行ったら、小学校の先生に「いとこのお兄さんが迎えに来てくれたのね」と。ここでは内心、それは言い過ぎだろうと思いながらも、僕は「いや、僕が父親でして」とご説明。すると「あーそうなんですか?」と本当に驚かれる始末。

今ではあまりにも同じようなエピソードがありすぎて覚えきれません。しかも職業柄、あまりに童顔だと信用問題になってきます。小児科医として研修医の指導医をすることになったときは研修医の先生よりも僕が幼く見えて、僕が説明するよりも研修医の先生が説明するときのほうが患者さんのお母さんがよく話を聞いてくれたりして。。。

物には「ほど」というものがあります。童顔にも「ほど」があると思うのですが、みなさんはどう思いますか?(笑)

しかし、まあ初めてお会いする患者さんが診察室に入ってきたときは「えっ、こんな若い先生?」みたいな表情なのに、診察室を出て行かれる時はすごく笑顔になられてる時は内心、「してやったり」と思います。そのためにはやっぱり日々の研鑽が大切ですね。

2013年7月7日日曜日

宋こどものこころ醫院が完成しました

暑い暑い大阪でついに宋こどものこころ醫院が完成しました。
(醫院の名前は父が書いてくれました)


今年のお正月から綿密な打ち合わせを重ねて、6か月かけてようやく完成しました。建築会社のスタッフの方々に丁寧にインタビューしていただき、一つ一つ本当に心を込めてしていただきました。この場を借りて、感謝の気持ちを表したいです。

内装のコンセプトは「クリニックに入っていただいたところから帰られるまでが治療」でお願いしました。クリニックの中にいるだけで癒されるように。それを忠実に形にしていただけました。僕の好きな言葉に「魂は細部に宿る」があります(もともとは神は細部に宿るですね)。小さなところにまでこだわっていただきました。

宋こどものこころ醫院は医療のスキルはもちろん、スタッフ、内装を合わせて治療だと考えています。これから内装の写真撮影を行い、後日ホームページをリニューアルしますのでそのときにご覧いただければうれしいです。

明日から電話での受診予約を受け付けます。電話番号を明日の朝9時からホームページで公開します。受診を希望していただける方はお電話いただければ幸いです。

宋こどものこころ醫院は今の大阪の暑い気候に負けないくらい、熱い気持ちで診療いたします。建物だけでなく、クリニックとして真の完成を目指してがんばっていきます。よろしくお願いいたします。

2013年7月3日水曜日

大人の方も診察します


児童精神科医というと、大人は診ないの?とよく聞かれます。しかし、日本ではそんな児童精神科医はほとんどいません。これは日本の精神科医の教育によるものかもしれません。基本的に精神科医の教育は大人の精神科を勉強し、その後に専門を決める段階で児童思春期、老年期、睡眠、薬物依存などと別れていきます。

医療機関の中には「うちは~は専門外なので診ません」と受診の段階でいろいろと制限をしてしまうところもあります。もちろん、自分の限界や専門性をしっかりと把握することは大切です。でも患者さんに会う前からそれを診ないとするのは違う気がします。前の医療機関から情報や紹介状と、実際お会いした患者さんで全く印象が違うことがよくあります。なので、僕は小さな診療所ではありますすが、子どもから大人まで精神科で診療するとされているものはすべて診させていただきます(身体の治療が優先される場合、特殊な検査が必要な場合、暴力や暴言などの危険な行為をされる場合を除いて)。紹介状はあくまで情報の一つとしていただき、実際に診察させてもらってからその後の治療、通院、紹介の判断をしてきましたし、これからもそうしようと考えています。これは僕が何でも診られるといっているのではなく、まずは診させていただきたいということです。それで僕では難しいと判断すれば、他の医療機関や先生を紹介させていただきます。

2013年6月29日土曜日

「子どもと二人で話してください」という言葉

「子供と二人で話してください」と診察室から出て行こうとするお母さんに出会うことがあります。

精神科医に自分の子どもを会わせたら、その子の気持ちを引き出して、その子の辛いをことを話だし、楽になるだろうと考えて来院されているようです。そのお気持ちはすごくよくわかります。藁をもつかむ思いで来院していただいているわけですから、「ここに来たらプロの話術で何とかなるんじゃないか、本人の心のもやもやをときほぐしてくれるんじゃないか」と思われます。ただ、なかなか現実は難しく、僕たち精神科医も人間なので、地道にその患者さんと関係を作り、その患者さんを知ろうとする時間が必要なわけです。

普通に考えてみてください。
子どもが初対面の大人に会って、いきなり自分の気持ちを吐露するなんて不可能ですよね。

精神科の世界では「ラポール」という言葉をよく使います。患者さんと医者との関係を表す言葉で、「治療にはまずラポールを作ることが大切である」と精神科の教科書にはよく書いています。僕も診察室の短い時間の中で何とか子どものとの関係を作ろうと頑張るわけです。

先日、ある精神科医の先生の講演で聞いた話です。その先生が飲み屋で飲んでると「私の心を読まれそう」とよく言われるそうです。そのとき、その先生は内心、「そんなの読めるわけないだろ!」と思うそうです。当たり前ですよね。精神科医は読心術を持ってるわけではありません。

昔、不登校の娘さんとお父さんが初めて来られて、「学校に行けるようになる方法を教えてください」といわれるので、「今日、はじめてお会いしてすぐに方法を見つけることは難しいです。少し時間をかけて診させてください。」とお伝えすると、そのお父さんに「あなたは医者でしょう」と怒られたことがあります。その時、思わず「僕は神様ではありません」と言ってしまいました。そのあと、自分の言動を反省したのは言うまでもありません。

でも精神科医には精神疾患の基礎知識、精神療法の技術、たくさんの患者さんを診てきた経験、さらに普段から一人の人のことを一生懸命に知ろうとします。つまり一人一人の患者さんをかなり真剣に観察します(もちろん精神科医以外でも真剣に人を観察する仕事はたくさんあります)。

ここで誤解がないように言わせてください。僕の目標は、当然、お父さんやお母さんが望まれる通り、「子どもと話すこと」で、その子どもの状態をよくすることです(必ずしも二人きりで話さないといけないわけではありません)。つまりお父さんやお母さんと僕の目標は同じです。ただ、「本人と関係ができるまで、時間をください」ということです。

2013年6月28日金曜日

今日で勤務医生活を終えます

みなさん、こんにちは。

大阪は暑いような涼しいような朝晩の気温差が激しい気候が続いています。

今日は勤務医生活最後の日です。


今の病院では4年と少しお世話になり、多くの方に助けていただきました。今日はいろんな方々に挨拶をさせていただき、僕自身の見えないところで患者さんに貢献されている方々がたくさんいたんだということを改めて考えさせられました。医者一人でできることなんて、本当に限られています。看護師さん、ケースワーカーの方、心理士さん、医療事務の方、サポートのスタッフの方、掃除の方、食堂の方、運転手の方など、病院のすべての方にお世話になりました。

これからも僕一人では何もできません。クリニックのスタッフの方々とお互いに支え合いながら、心の中で思うだけでなく、感謝の気持ちをスタッフの方々に普段から表現しながら、一緒に患者さんの治療に臨んでいきたいと思います。

2013年6月26日水曜日

今日はスタッフの方の面接でした

みなさん、こんばんは。

今日は大阪は大雨で、さらに工事中の建物の中で、ご不便をおかけしながらスタッフになっていただく方の面接をさせていただきました。多くの方に来ていただき、ありがたかったです。

僕自身はこれまで自分が面接を受ける立場で、面接をする立場になったのは今日が生まれて初めてでした。そんな中、これまで数多くの面接をされてきた開業のサポートをしていただいている方と打ち合わせをしているときに教えていただいたことがありました。

面接は履歴書はもちろん、面接を受けていただくためにこちらから電話したときから始まっているということでした。さらには面接の時間を守れるのか、あいさつができるのか、待っている時間の態度、服装、立ち居振る舞い、言葉遣い、視線、笑顔など面接する側は本当に多くのポイントを見ているということでした。一見当たり前に見えますが、面接を受けるときに自分自身がそれらすべてに細心の注意を払えているのかというとかなり難しいと思います。つまり自分がどこまで無意識にできているのかということです。面接官はそれを見ています。

これらはすべて幼い頃から受けた家庭での教育、さらには学校や社会で受けた教育の積み重ねです。もちろん一朝一夕にできるものではありません。この中で一番大切なのはもちろん、家庭での教育でしょう。子どもたちがどこに行っても無意識にあいさつができる、視線を合わせられる、時間を守れる、笑顔になれる、丁寧な言葉遣いができるようになることが大切であると思います。

幼いころからの教育の大切さを改めて考えさせられた一日でした。



2013年6月24日月曜日

子育ては親自身が試されている


みなさん、おはようございます。
 
今日はまた子育てについて考えてみたいと思います。
 
自分自身が子育てをしながら思うことがあります。
 
子育ては実は親自身が試されている。
 
こどもが幼稚園や学校で嫌がらせを受けた。このとき、親として気分がいいものではありません。子どもが「~のおもちゃがほしい」、「ディズニーランドに行きたい」というと、親としては子供の喜ぶ姿が見たくて、それをかなえてあげたいなと思う。学校の宿題をしていて本人の答えが明らかに間違っているとき。明日学校で恥をかくかもしれないから、すぐに教えてあげたいと思いますよね。それが親心です。でもそのときに毎回、本人が不快な感情を持たないでいいように、助けてあげたとします。そうすると、子どもは親がいないときに一人でその不快な感情を処理することが困難になります。
 
子どもがこけないように先に座布団をひいてしまいたいのが親の気持ち。でも、座布団を引いてあげないといけないとき、座布団を引かずに様子を見ないといけないときがあると思います。その判断は難しいところですが、普段から本人の性格、器の容量の大きさをしっかり観察して、「ここまでは我慢させよう、これ以上はきついかもしれない、今回は辛いかもしれないけどそのままほっておいて様子を見てみよう」と判断するわけです。
 
ある本で読んだのですが、「部下に細かな指示をたくさん出して、細かなことまで修正させる上司は、実はその上司自身が部下のミスの軌道修正をできないと公言していることと同じである」と。まさにそうですね。自分の子どもが辛くなったとき(怪我や病気は別です)に何とかしてやるという気持ちを持てるかどうか。そして、子どもにも「本当に辛くなったときはちゃんと守ってあげるよ」と言葉で伝えてあげてください。最終的には親が守ってくれるのだという安心感を子どもにあげてください。こんなことも子どもが幼い時だからこそ親もできます。子どもが一人の大人として社会に出て、失敗してきてからでは親も何もできません。子どもが幼い時に、親の力でまだ修正できるときに子どもに挑戦させて、練習するわけです。
韓国では「ヘリコプターママ」がという言葉が流行ってるようです。子どもがいるところにはどこにでも飛んでいく母親。大学生の子どもの就職試験にまでついてくる親。風邪をひいて会社にいけないと電話してくる親。退職するときに会社に電話してくる親。先日の日本の新聞にもある大学が親向けの就職説明会をしているとの記事がありました。これまでにも書きましたが、いつまで横で親が助けてあげられるのか。本人が自分の力で生きていかなければならな時が必ず来ます。
子どもを甘やかしてしまうのは、実は親自身がそれを見るのがつらくて、我慢できないから。もちろん、子どもの辛い姿を見たい親はいないですよね。でも時と場合によっては親が内心は我慢をして、子どもが辛そうにしている姿をぐっとこらえて見守らなくてはならないときがあります。僕は子育てをしながら、自分自身が試されていると思っています。

2013年6月22日土曜日

診察室に入るのは本人だけ?お母さんだけ?

みなさん、こんにちは。

少しずつクリニックの建物ができてきて、開業への現実味がかなりわいてきている今日この頃です。

今日は児童精神科外来でよく聞かれることについてです。

診察時に本人と親に一緒に入ってもらうのか、別々に入ってもらうのか。

基本的にはまず本人の意思を確認します。本人が親と別がいいというのであれば、別。一緒でもいい、一緒がいいなら一緒に診察させていただきます。ただ別々にした場合にはそれぞれの診察時間が短くなるので、親御さんの時間は短くして、なるべく本人の診察時間が長くなるようにしています。

また、診察室の中でお母さんから「子どもを外に出して、私一人でもいいですか?」とよく聞かれます。

つまり、本人の前では話しにくい、本人には聞かれたくないということだと理解しています。

これは難しいところですが、本人が知らないご家庭の事情、本人の知らないところで作戦を立てる必要があるなどの特別な場合を除いて(この判断は診察中に行います)、僕はお子さんの前で話していただくようにしています。

多くの場合、本人の状態が悪いという話をするわけです。でも本人を抜きに遠隔操作でよくなるほど、子どもの治療は甘いものではありません。さらに治療の中心はあくまで本人です。親や医者が中心に出ようとする治療は年齢が大きくなるほど困難になります。本人の前でこれくらい大きな問題として大人が真剣に話し合っているんだということを見せること、聞かせることは大切なことです。年齢が幼ければ、本人の深刻な状態の話を本人の前でするだけで、問題の行動が改善することもあります。さらに子どもが問題行動をした場合の親子間での約束の同意もその場で取れます。またその時に普段は弱みを見せないお母さんが泣きながら医師に本人の状態を訴える姿は子どもが親のことを慮るきっかけにもなるでしょう。

これも大切な治療手段の一つであると考えています。

2013年6月21日金曜日

病院やクリニック以外での仕事

みなさん、こんにちは。

先日、堺支援学校で講演とケースの相談の依頼をいただき、行ってきました。

僕の仕事のメインはもちろん、患者さんやご家族の診療です。しかしそれ以外に、子ども家庭センター(いわゆる児童相談所)、支援学校、子どもたちのいる施設で相談を受けるというものがあります。これは児童精神科医なら結構みなさんがされている仕事です。

支援学校とは体の不自由な子どもたちや知的障害の子どもたちが通う学校のことです。今回、僕が行かせていただいた堺支援学校は大きな公園や古墳が近くにあり、緑が多く環境が抜群の学校でした。

支援学校の子どもたちの中には粗暴行為、自傷行為を主訴に医療機関に来られる子どもたちがいます。その子供たちにどうすれば、その行動が減るのかというのを学校の先生方から情報をいただき、一緒に考えるわけです。これは僕にとってもすごく勉強になります。スポーツ選手でいう、トレーニングのようなものだと考えています。日常臨床ではなかなかじっくりと時間をかけて患者さんの情報を得ることは困難です。しかしここでは時間をゆっくりかけて学校での生の声を聴きながら治療法を考えられるからです。

施設や学校でケースの相談を受けていて、いつも思うことは現場の先生方の涙ぐましいくらいの努力が子どもたちの日常生活を支えているということです。だからある日パッとその場に行った僕があれこれ意見を出して、指示したり提案したりすることが内心はばかられることがあります。「普段見てもいないのに、僕はこの子の何がわかっているのかな」と思ってしまいます。これは子どもといつも一緒にいるお母さんも同じです。子どもたちの様子を一番つぶさに見ているのはお母さんや学校の先生たちです。当たり前ですが、机の上や診察室の中よりも現場がもっとも大切だということですね。

それでも学校や家庭の現場にいる方々は真剣に悩まれて、病院やクリニックに来られるわけです。それに対して微力ながら、診察室の中で一生懸命考えて、少しでも貢献することが僕たちの責務だと考えています。

2013年6月19日水曜日

治療の糸口はその人の中にある

みなさん、こんばんは。

今日は大阪はすごい大雨です。台風が前線を押しているのか、台風が来ているというのは間違いないようですね。

今日は僕が患者さんの話を聞きながら、治療の糸口を探すときにどんなことを考えているのかを書きたいと思います。もちろん、これは僕個人の意見ですので、精神科医全般に当てはまるとは言えませんが。。。^^

最近読んだ本でソウル大学のキムナンド教授が書かれた「つらいから青春だ」という本がありました。キム教授の授業は韓国最高峰のソウル大学の授業の中でもっとも人気があり、授業を取るのがもっとも難しい授業だそうです。先日、NHKでソウル白熱授業という番組でも放映されていましたね。

キム教授は学生たちから就職や将来の相談をよく受けるそうです。その時に教授はいつも相談をまずは最後まで聞いてから、「本人が教授に一番聞きたいこと」をこちらが見つけ出してあげて、それに対して答えてあげるというものです。相談を受けた僕が下した判断から結論に導くのではなく、彼らの話の中から答えを導き出す。つまり彼らはさまざまな理由で取り出せなかっただけで、彼らはすでに自分の中に答えをもっている。

これは精神科の治療と同じだなと思いました。診察室の中で何かの相談を受けて、僕たちはすぐに答えを持っていることもありますが、そうでないことも多いのが現実です。そのときに僕はその患者さんの本当に困っている問題点は何か、その患者さんのニーズは何かを見つけ出すことに集中するようにしています。これは傍から見ると、ただ単に話を聞いて、患者さんに尋ねてばかりしている医者に見えるかもしれません。しかし最終的には患者さん自身の中に治療の糸口があり、それを僕が引き出してあげることができれば、患者さんがよくなることが多々あります。つまり、患者さん自身は自分の問題が何なのか、自分自身ではなかなか把握できていないことがあり、それを一緒に探してあげると治療の糸口になるというわけです。僕もまったく同じです。人に言われたり、指摘されてはじめて気づくことって多いですよね。

これが患者さんのお話をお聞きするときの僕の基本的な姿勢、方針とでも言えるかなと思います。

2013年6月14日金曜日

手作りの仮設看板を作っていただきました

 
みなさん、こんばんは。
 
今日はほとんど眠れなかった当直、その後の外来を終えてから、暑い中、手作りの仮設看板の設置に立ち会いました。
 
 
工事中の建物の前を多くの通行人の方が「なんだここは?」という視線で通られるのを見て、本物の看板ができるまでに仮設の看板があればと思い、お願いしました。いつも本当にお世話になっている方が作ってくださいました。
 
今までも十分わかっているつもりではありましたが、多くの医者は社会を知らない。今まで勤務医として病院で過ごし、今回自分のクリニックを開設する準備を進めながら改めて自分を振り返りながらそう思います。
 
先日、ある精神科医の先生の講演で「精神科医はすぐにハローワークへ行きなさいと患者さんに言うけど、医者がハローワークに行ったことはまずありませんからね」という言葉。間違いないですね。患者さんにいつもわかったようなことを話していながら、医者は患者さんの生活を知らないことが多い。これはすべてのことを経験すべきであるという意味ではなく、医者自身が自分の無知について謙虚であるべきだという意味です。
 
サラリーマンで過ごしていたら決して知ることができなかったことが多くあります。開業に際して、多くの方々にお世話になりながら、本当に多くのことを教えていただいています。

2013年6月13日木曜日

最後の当直

みなさん、こんばんは。

今日、僕は人生でおそらく最後になるであろう当直をしています。

当直について考えると今となっては懐かしいことをたくさん思い出します。

僕は2002年の春に大学を卒業し、医者になりました。そしてその年の5月に大学の小児科の医局に入りました。大学病院の給料があまりに薄給であったため、6月には他の科の先輩に紹介されて生まれて初めて当直というものをしました。そこは神戸の小高い丘の上にある古い古い老人病院でした。夜になると神戸の海の夜景がきれいに見えます。ただ昔の療養所の造りで、当直室は四畳半1間で、真ん中にはこたつがぽつんと1つ。病棟と病棟をつなぐ渡り廊下は建物の外にあり、夜21時の回診はたびたび外に出なければなりません。はじめての当直で、医者になったばかりで知識も経験もない、その上、建物は古くて怖いし、外にも出ないといけないという状況で、内心本当に怖くて、ここから生きて帰れるのかと24歳の僕は一人で真剣に考えていました。2002年はちょうど日韓ワールドカップの年でした。そのはじめての当直の日はワールドカップの開会式、開幕戦のフランス対セネガルの試合がテレビで放映されていました。怖すぎて当直室でサッカーに集中しようとひたすらテレビを見て、サッカーが終わっても一晩中テレビをつけっぱなしにして寝たことを思い出します。

それ以降、小児科時代は月に4-8日くらいの当直を続けてきました。夜中に新生児室で一晩中赤ちゃんに点滴の針を刺し続けてそれでも点滴が入らず、先輩に電話して来てもらったこと。腸重積の子が来て、1時間くらいしてもなかなか治せずに小児外科の友達に電話したこと。けいれんしている子どもが来て、点滴から薬を入れたらけいれんは止まったけど、呼吸も一緒に止まってしまい、気管内挿管(呼吸するための道をつける手技)して呼吸が戻るのを待ったこと。怖いお父さんに怒鳴り込まれたこと。年末に36時間続けて当直をして120人の子どもを診察し、終わるときにはしんどすぎて吐いてしまったこと。一晩中寝れずに当直が終わって、翌朝に外来をし、夕方に帰ろうとしたら重症の患者さんが来て、主治医になり家に帰れなくなったこと。重症の患者さんがいて3週間の間、病院に泊り、家に帰れなかったこと。小児科の先生なら誰でも経験することですが、本当にたくさんの経験をさせてもらいました。こう考えると精神科の当直は救急車がいっぱい来たり、夜中に何時間もお話をお聞きすることはありますが、小児科に比べれば体には優しいのかもしれません(心はまた別問題ですが)。

それら一つ一つの記憶はかなり鮮明に残っています。それらの経験があるため、今になって患者さんを診るときにある程度は落ち着いて診られるというのがあるのかなと思います。

これからは外来という時間も場所もかなり限られた条件のもとで診療することになります。
そこでクリニックでは外来診療以外の診療体制や方法も模索していきたいと思っています。

2013年6月12日水曜日

患者さんと医療者の期待のずれ

みなさん、おはようございます。

近畿地方に台風が来るのかと思いきや、東にずれていきましたね。そのおかげか、今朝の大阪の空は青々しくて美しくなりました。

今日は患者さんやそのご家族と接する中でたびたび困るなあと思うことを書いてみたいと思います。

ある本で読んだのですが、医療機関へのクレームの原因で一番多いのは医療者と患者の期待の齟齬だそうです。患者さんは病院というところに行けば自分の問題は解決すると期待されてこられます。もちろん医療機関は病気を治療するところですから、治ることを期待されるのは当然です。しかし、現実には治療できない病気もありますし、特に精神科では治療するのに何ヶ月も、あるいは何年もかかる場合が多々あります。そして何よりも大切なのは患者さん本人や家族の協力が治療には不可欠であるということです。

たとえば糖尿病の治療中の人が毎日暴飲暴食をしていては糖尿病は必ず悪化します。高血圧も統合失調症もうつ病も同じです。日々の患者さんの努力や家族の協力が必要です。つまり、病院にさえ通っていれば患者さんや家族は何もしなくていいというスタンスでは治療はできないということです。

医療全般に言えることかもしれませんが、治療とは患者さん自身と患者さんを囲む医療機関、家族、福祉や介護のサービス、その他の関係機関のそれぞれの協力があって、はじめて成り立ちます。これは精神科、児童精神科も例外ではありません。

情けない話ですが、患者さんやそのお母さんのアイデアが契機になってよくなられる方もたくさんおられます。それは僕が患者さんの状態や生活を正確に把握できておらず、より観察しておられるお母さんが治療されているわけです。その時に内心、治療している僕としては自分の実力のなさを痛感し、申し訳ない気持ちなり、患者さんの観察や状態の把握の重要性を再確認させられます。しかし一方で、それでいいのかなとも思います。お母さんは誰よりも自分の子のことをつぶさに観察しているわけで、治療している僕はそのお母さんを支え、そのアイデアの材料を提供しているのかもしれません。人と話す中で自分の発想がわいてくるというやつですね。

僕は患者さんとそのご家族と協力しながら、状態が少しでもよくなるための方法を一緒に模索したいなと考えています。

2013年6月8日土曜日

開業の準備をしながら

みなさん、こんにちは。

僕は今月で11年と少しの勤務医生活を終えます。勤務医から開業医になるこのタイミングは自分自身が試されていると考えています。

勤務医として働いていると患者さんたちは「~病院」という看板、スタッフの多さ、検査ができる、入院ができるからなどの理由で僕の診察に来てくれているのかもしれません(もちろんアンケートをとったわけではないので、これは僕の想像です)。でもそれは僕の技術や実力じゃない。病院という環境が僕の外来に来てくれる患者さんを増やしているだけのことです。

開業するということはまさに僕自身の技術や実力、さらに人間性までもが問われる。それに挑んでいくということはわくわくすると同時にもちろん不安でもあります。何もメリットがないのに小さなクリニックに行く理由などありません。僕が患者さんの立場でもメリットのない小さなクリニックには行きません。たくさんの検査機器や入院施設のある大きな病院に行くでしょう。有名チェーンのレストランならとりあえず行くかもしれないけど、おいしくもない小さなレストランには誰も食事に行きませんよね。

診察室の中で日々感じることは、少し違えば自分も患者さんの席に座ることがあるということです。医者の立場でこれを言うのが正しいのかはわかりませんが、僕と患者さんは何も違わないと思っています。僕だって病気になることがあるでしょう。当たり前です。人間なんですから。

僕の目標は自分が患者さんなら、こんなところで治療を受けたいなと思えるクリニックです。そのためにこれまで準備をしてきましたし、直前の今もその準備をしています。

 
 


2013年6月6日木曜日

夢を持つということ

みなさん、こんにちは。

僕は青森から大阪にもどって、また日々の診療を行っております。

思春期外来では大学生も結構来られるんですが、夢や目標が持てないという大学生にお会いすることが多々あります。

そこで今日は以前のカンブリア宮殿で若者に向けてソフトバンクの孫正義さんが言われていた一節を紹介したいと思います(このようなことを言える大人に僕も早くなりたいと思います・・・(笑))。

孫は孫正義さん、村上は小説家の村上龍さん、小池はタレントの小池栄子さんです。

孫 
若いということは無限大の夢を持つことができるということです。そしてその自分の持った夢に自分の人生はおおむね比例する結果を生むと思っています。小さな夢でも大きな夢でも、その夢の範囲の中で夢の80%が達成できるのか、50%が達成できるのか、という話です。そういう意味では夢はできるだけでかい方がいいんじゃないか、というのが1つのアドバイスです。 
もう1つはその夢を達成できる人と達成できない人の唯一の違いは、自分はその夢をどのくらい心の底から達成したいと思っているか、にあるということです。すごく強い決意をして、その夢の達成に向かって恐ろしいまでの情熱で努力したかどうか、ということです。
ちなみに夢の大きさというのは何も金額的な大きさとかでなくていいと思います。世界一おいしいパンケーキを作れる人間になりたいということだって、でっかい夢だと思います。世界一上手にピアノが弾けるようになりたい。これもでっかい夢です。自分しか弾けない曲を作りたい、というのだって夢ですよね。
僕は小学生のとき、実は画家になりたかったんです。それで僕がなりたかったのは貧乏画家なんですよ。

村上 貧乏画家になりたかった?

孫 そうそう。

村上 お金持ちの画家じゃなくて?

孫  お金持ちの画家は、その時点で堕落していると思っていました。人に売るために絵を描くのではない。展覧会に出すために絵を描くのではない、と。

村上 どんな画家がお好きだったんですか?

孫 ゴッホとかね。有名になる前のゴッホ。

村上 ゴッホは貧乏なうちに亡くなったんですよね。

孫  
そう。だからゴッホのような生きざまが、一番尊敬できると思いました。要するに、画家になるなら展覧会に出して有名になるとか、画商を通じて高いお金で売れる画家を目指すというよりは、世の中の常識とは関係なしに、自分が一番納得できる絵を描く。自分が一番描きたい絵を描く。それも僕はすばらしくでっかい夢だと思うんですよね。
どんな夢であれ、夢を描くというのはある種、自分の人生に対するビジョンだと思うんです。そういう自分の夢も明確に持たずに、自分の人生に対するビジョンも持たずに、ただ生きていくためにどこかで給料をもらいにいく人もいるでしょう。でも、「現状はそれしか仕方ないじゃん」と言ってる間に、人生、あっという間に終わるから。

村上 人生が終わる・・・。

孫 あっという間ですよ、本当に。あっという間に50代になり、60代になる。「そうはいうけど、現実はこうだから」とか、「そんな夢物語ばっかり語っていてもダメだ」とか、「とりあえず目先の現実を踏まえて」とか言ってる人ほど、その現実の世界から逃れられないまま人生が終わる場合が多いのです。
現実が厳しいからこそ、自分の夢を、自分の人生に対するビジョンを、僕はしっかり持つべきではないかなと思います。「志高く」。それが僕のメッセージです。

小池 ありがとうございました。

 
僕はカンブリア宮殿を毎週見てるので、もちろんこのときも見たのですが、この内容にあまりに感動して本まで買ってしまいました。これは若者に向けたメッセージですが、すべての大人に向けたメッセージにもなると思います。まだまだ若輩者の僕もこういう気概を持って生きていきたいです。





2013年6月4日火曜日

無所属の時間

今日は所用で青森の下北半島に来ています。



東北という地方自体、生まれて初めて来ました。

飛行機、新幹線、在来線を乗り継ぎ、本州の最北端に来ました。その道中、単線の電車に乗りながら田園風景と広い海を見ながら日常から離れる時間を感じました。この感覚をどう表現していいのか、僕自身困るのですが、自然の中で遠くの山や海を見ていると頭の先から何かが抜けていく感じで、少し眠くなるんです。そのときにまた明日から仕事に立ち向かえるなと思うんです。これが僕にとっての充電の時間かもしれません。

僕の好きな作家の城山三郎さんが言っておられる「無所属の時間」という言葉を思い出しました。

日常生活の中でどこにも属さない時間、どこにも属さない場所を持つことが自分を客観視する早道。

ほんの短い時間でも、日々の日常に追われる時間と離れることの大切さを感じます。

2013年6月3日月曜日

揺れない大人

みなさん、こんにちは。

今日は「揺れない大人」について考えてみたいと思います。

これは学校での不適応、不登校、子どもの家庭内暴力、リストカットなどの自傷行為が問題になる場合、ご両親によくお話しすることです。

学校でいじめられてる、学校に行けない、リストカットしてるわが子を見て、どうしても親は動揺してしまいます。当たり前ですね。しかし、このとき内心は動揺していても子供には坦々と接しながら、「学校の先生とどうしたらいいのか相談するね」、「病院に行って相談しようか」くらいのことを言うのです。子どもが悩んだり、落ち込んだり、興奮したりしてる時に、親も一緒になって興奮してる人たちをよく見ます。でもこれは余計に子供を不安にさせてしまいます。

子どもの気持ちが不安定になってる時こそ、落ち着いた親の姿を見せてあげてください。それが子どもへの安心感になります。普段の日常生活の中では一緒に喜怒哀楽を出すことはもちろん大切です。ただ、子どもの気持ちが不安定になってる時は親として時に虚勢を張ることが必要です。
(もちろん、不登校、暴力、自傷行為の治療は簡単ではありませんので、ご家庭で対処をされたうえで、困難であれば近くの医療機関を受診されることをお勧めします)

子どもが揺れているときに大人も一緒に揺れてしまうと、子どもは大人に頼れなくなってしまいます。大人の僕たちも困ったときに誰かに相談して、その人が自分と同じように不安定になっていたら、もうその人には相談しようと思いませんよね。
親がどっしり構えて、堂々と話をしてくれると、何かあれば親に相談しようという気持ちが子供の中で生まれます。外で何かあった時に子どもがお父さんやお母さんに相談できる環境を作っておくことは非常に重要です。

「揺れない大人」の姿を見せてあげてください。