2017年4月22日土曜日

みんなが医療機関に来れるわけではない

毎日家から出て醫院に自分で来ている患者さんを治療していると、何か勘違いしてしまいそうになります。勘違いとは患者さんは外に出ているもの、必要なら自分から外に出てくるはず、そうでない人は今は仕方ないのだという半分諦めとも言える発想。外に出れずに精神疾患で悩んでいる人たちは実際に受診している人よりも多いはずなのに、そんな当たり前のことを忘れがちです。

なぜこんな考えに至ったのかというと、実は最近、ACT(包括型地域生活支援プログラム)をされている先生の本を読みました。ACTとは重い精神障害を持たれた方が病院以外のところで暮らせるように医療と福祉のチームで援助するシステムです。この本を読んで、改めて自分がしている医療は外に出れる人を相手にしているかなり特殊な医療であり、ごく一部なのであると認識させられました。

そんな目で自分がしている医療を見ると、ますます目の前にいる患者さんやご家族は少なくとも出てこれている人たちだし、何らかの思いを持って受診してくれているわけだから、一人一人の方にしっかりとした結果を残していかなくてはならないと思います。

2017年4月15日土曜日

自分の体験から出てくる言葉が本当の言葉

NHKのミュージックポートレイトという番組をご存知でしょうか?2人の対談形式で、それぞれの出演者の人生を振り返りながら、その時の思いが詰まった曲を紹介する番組です。僕はこの番組でいろんな人の人生を見せてもらえて、勉強になるし、興味深いので、結構見ています。先日はつんくさんと、久本雅美さんでした。その中で、久本さんがテレビに出だして売れ始めていた時に何か違うと悩んでいたそうです。その時に気付いたのが、自分は人にどう見られてるかばかり気にしていたこと。そしてそれが実は落とし穴なのだと気付いたと言います。これは苦悩の中、自分の中から出てきた言葉でしょう。こういう言葉を聞くと、本当の実体験から出てきた言葉の強さを強く感じます。僕はこのブログの中でどうしてもどこかからの言葉を引用してしまいます。もちろんそれも悪いことばかりではありませんが、できるだけ自分の体験や苦悩を通して、自分の中から出てきた言葉でブログにしていきたいと思います。

2017年4月8日土曜日

薬が効かなくなってる?

薬が効かなくなってるみたいなんです。

患者さんたちから本当によく聴く言葉です。医学的にこれが正しい場合もあります。例えば睡眠薬は長期間使えば、確かにだんだんと効きが悪くなります。児童精神科ではADHDに対する薬としてコンサータ、ストラテラという薬をよく使います。これらの薬は落ち着きのなさ、集中力のなさを改善してくれる薬です。実際に効果的な薬です。僕の場合、これらの薬をお出しすることが多いので、これらの薬について薬が効かなくなったと言われることがどうしても多くなります。確かに効果がなくなることは絶対ないとは言えません。しかしほとんどの場合、薬の効果が落ちたのではなく、次の2つが多いように思います。一つ目は効果が出ている患者さん本人の状態が当たり前になり、内服前に比べて改善しているのを見ている側が忘れてしまい、さらに本人への要求が高まっている場合。二つ目は患者さん本人を取り巻く状況が変化して、落ち着きや集中力が低下している場合です。もしADHDの薬を飲まれていて、効かなくなったと思われた場合、これら2つの可能性を考えてみてください。

そしてもっと根本的な薬というもので考えると、確かに、「薬=症状を改善するもの」ですが、「薬=どんな状況でも症状を改善するもの」ではありません。悩みや考え事が多すぎる時にどんなに睡眠薬を飲んでも寝れないのと同じです。これは患者さんにも医者自身にも言えることですが、「薬=症状を改善するもの」、さらには「症状が悪くなる=薬を替える、増やす」という幻想に囚われ過ぎないことが大切だと考えています。言うまでもなく、薬が万能なわけはありませんから。

2017年4月1日土曜日

ちゃんと息を吐いてますか?

目の前のことに真剣になりすぎたり、緊張が過ぎると、人は呼吸が浅くなります。でも何かに集中してしまっているので人はそれに気づきにくい。もし呼吸をしていない自分に気づいた時は、仕事の最中でも、深く息を吸って、吸った時間の3倍の時間でゆっくり吐き出してあげてください。すると、少し体や心の緊張がとけます。特に、息は吐き出すことで全身から力が抜けます。歌を歌うのも息を吐くため、タバコを吸うのも吐くためです。息を吐く。この感覚がとても大事だと思います。

2017年3月25日土曜日

2歳の息子を保育園に預ける時

僕には2歳の息子がいます。上の子たちのときは仕事の都合上ほとんどしたことがなかったのですが、今は時々僕が保育園に預けに行くことがあります。息子は保育園に着いて先生に会うと、走っては向かいますが、僕と離れたくない気持ちからか先生と僕との間を行ったり来たります。僕と手をつなごうとして自分の手を少し上げるけど、また下ろします。決して強く僕の手を握ろうとはしません。息子は自分から父親が離れていくことを知っているのでしょう。日によっては我慢ができず、抱っこをせがみ、仕方なく僕が先生に息子を渡す時には大泣きしていることもあります。その時の気持ちといったら言葉では表せません。子供を保育園に預けている世の中のお父さん、お母さんたちはみんなこんな朝を迎えている。なんと切ないんでしょうか。子どもの気持ちはもちろん大事ですが、僕はお父さんやお母さんの気持ちが切なく思えてなりません。